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第一幕「Into the beautiful world」


「えーあちら、遥か彼方にうっすら見えますのが、『東京大堤防』です。六年前に大ニュースになった『太平洋隕石』は記憶に新しいと思いますが、隕石落下の際に起こった津波から世界各地の都市を守るために建設されたものであることは皆さんもご周知のとおりだと思います」
 背の高いガイドの女性が窓の外を見るように促す。
「あれが『東京大堤防』。まさに現代の万里の長城と言うべき建造物です。しかし最近では、地元住民から海の景観を壊すといった苦情も上がっており、取り壊しを求める声も強まって――――」
 窓際に集まっているクラスメイトたちに囲まれた割と美人のガイドの声を遠くに聞きながら、高崎総一は少し離れた場所から窓の外に改めて目を向けた。
 首都・東京の一番の観光施設である『東京大堤防』は、この離れた展望台からでも分かるほど遠くに、とてつもなく長く大きく見えている。
 万里の長城というたとえはまさにといった感じで、水平線の上に乗るようにそれは立っていた。
 『太平洋隕石』と呼ばれた大隕石の落下からはや六年。あの巨大な堤防は、海の上でいまだに異彩を放ち続けている。
 2015年。結局、隕石による津波はあの『大堤防』をもってしても全てを止めることは出来ず、東京は多少の被害を受けてしまった。
 都市として機能できないほどの被害ではなかったが、復興にかかる時間、費用、その際の交通の不備などを考慮して、東京は首都としての機能を一時的に失うことになってしまう。
 そのため、2021年の現在。司法や行政など首都の機能の大半は大阪や京都など関西に委託されているのである。
 ほとんど復興された今でも、東京は首都とは名ばかりの半観光都市となっている。半というのは、見るものが隕石の被害の証明である『大堤防』や、その博物館関係しかないからだ。
 高校の社会科見学の一環でこんなところまで足を運んだ総一たちも、そんな観光客の一員だと言えるかもしれない。
 『東京大展望』の見学もかねてやってきた、そんな東京タワーの展望台で総一はふと見慣れないものに目を取られた。
(望遠鏡……か。まぁ東京タワーなんだからあるだろうけど、こういうの久しぶりに見たなぁ。観光なんてもうしばらくしてないし)
 ガイドやクラスメイトの集まっている方をちらりと見ると、質問と称してセクハラまがいの発言をするお調子者のクラスメイトの姿が目に入った。まだ時間には多少の余裕があるようだ。
(せっかくだから……)
 特に理由は無い。総一はただの物珍しさで、その望遠鏡を覗き見てみることにした。
 百円を入れる場所がかなり錆付いていて、もうしばらく利用したものがいないことを感じさせる。
 かつては巨大なビルや娯楽施設など、海側の望遠鏡からは埋立地の建物郡が良く見えたものだが、東京タワーより海岸に近い方はほとんどが津波の被害を大なり小なり受けており、グレーのカバーに覆われた修復途中のビルや新しく作られている観覧車など、隕石の被害を改めて見せつけられる景色が広がっていた。
 総一は一度目を離して、ため息をつく。
 そういえば、東京湾近くに存在した某巨大テーマパークも津波の影響を多大に受けてしまい、かなりひどい有様になっているそうだ。
 正直な話、今の東京に総一たちの年代――学生が喜びそうな娯楽施設は、ほとんど残されていないのである。
 総一たちのように一日限りの社会科見学ならまだいいが、地方から修学旅行で東京に来る学生たちに、泊りがけで見るものなど残っていないのではないかと心配になる。
「ふぅー……んっ!」
 総一は退屈になるであろう今日一日のこれからに対してもう一度ため息をつくと同時に、背筋を反らせるようにのびをした。中途半端にかがんで望遠鏡を覗いていたせいで、軽く凝っていた腰がボキボキと音を立てる。
「おーい高崎ー、ぼーっとしてるな、先に行くぞー!」
 クラスメイトの声に顔を上げると、すでに他のクラスメイトたちはエレベーターの方へ向かっているところだった。
 どうやら望遠鏡を覗いている間に置いていかれてしまったらしい。
「悪い、すぐ行く!」
 そうは言ったものの、まだ見られる時間が残っていた望遠鏡に総一は最後にちょっとだけと目を当てがった。
 見ようとしたのは『大堤防』、遠くからではただの灰色の壁にしか見えないが、これで見ると表面が思ったよりも機械的であることが分かる。
 もしかしたらあれはただの壁ではなくて、何か津波を軽減するような装置でも仕込まれてるのかもしれない。残念ながら、こちらに向いた側からではそのような機構は確認できなかったが。
 クラスメイトたちのところに向かおうと顔を上げようとしたそのとき。
 ふと、何かが堤防の上で光ったように見えた。
「ん?」
 総一は思わず顔を上げた。『大堤防』の上に、何か人型のものが見えたような気がしたのだ。
 肉眼で堤防の方を眺めてみても、そこには何の影も見当たらない。もしかしたら堤防の上に整備の人か誰かが歩いていたのかもしれないし、ただの気のせいの可能性だってあるだろう。
 試しにもう一度覗いてみると、すでに望遠鏡は時間切れで真っ暗闇しか見えない。
「っと……。こんなことしてないで、早くみんなのところに合流しないと……」
 エレベーターの前へと移動すると、すでに人影はどこにも無かった。どうやら総一を残して、すでに全員先に行ってしまったらしい。二基あるエレベーターの階数表示を示すランプは、両方とも下に降りている最中であることを示していた。
「はぁ……。普通、先生の一人くらい残しておくだろ」
 文句を言ってみても仕方が無いとため息をもう一つ吐き出して、総一は待ち時間の長そうなエレベーターのボタンを押した。

   ●

 東京タワーから少し離れた、展望台には届かないまでもそれなりに高いビルの屋上に、二人の男が立っていた。
 二人とも双眼鏡を使い、東京タワーから出てくる学生の群れを、無表情のまま眺めている。
 学生服を着た若い男……いや、少年が先に口を開いた。明るい茶髪に髪を染め利発そうな目をした端正な顔立ちの、落ち着いた雰囲気をした少年である。
「高崎総一……ここまでする価値が、あの少年にあるんですか?」
「少年といったって、お前と同い年だろう」
 答えるのは、喪服のような黒のスーツに身を包んだ男である。
 一八五センチ近くあろうかという長身と、実直そうな風貌が特徴的な男だ。歳のころは三十手前ぐらいだろうか。常に寄せられた両眉は深い溝をその間に刻み、実年齢よりも多少上に見せる。
「まぁ、あそこまでするからには、その価値があると上が判断したんだろうな」
 オウム返しのようなセリフが気に障ったのか、学生服の少年は憮然とした表情を浮かべた。
「そもそも、精密検査もせずにぶっつけ本番なんて……。拒絶反応が起きたらどうするんですか?」
「一応、血液検査や身体特徴からのデータ算出はしたさ」
 長身の男はなんでもないことのことのように言うが、学生服の少年にはまだ思うところがあるのか、しつこく食い下がる。
「脳検査もカウンセリングも無しで適合確立八十パーセント以上なんて、言葉だけで言われても信用できませんよ。確かに規則では大丈夫って事になってますけど、まさか本当にそんな人間が出てくるなんて……」
「まったくだ。私も最初に書類を見た時は信じられなかったさ。だが、彼らの学校に投入した人員や、作戦場所周りへの根回しなんかは、とても確証無しでできることじゃない」
 その点に関しては少年は納得するしかなかった。ここまで手の込んだ作戦、しかもそれが、たった一人の《アクター》の確保のためだけに行われるなど、前代未聞だったからだ。
「それに、彼は何も知らない民間人ですよ?」
 そう、彼は何も知らないのだ。
 少年たちが仕組んだ、これから起きる『作戦』によって自分が巻き込まれることになる運命、その断片すら知らないのだ。
「俺は、自分から志願してこの『組織』に入りました。他のメンバーだってそうです、成り行きだったり、やむをえない事情があったり色々ありますけど、みんな事情を知ってから自分の意思でやってきた人たちです。でも、彼はそうじゃない」
「それでも、巻き込むしかない」
 スーツの男は、あくまで冷静に言い放つ。
「たとえ、彼が民間人だろうと、彼のクラスメイトたちを危険に晒すような作戦だろうと、それで一人、『戦力』が手に入るのなら、そのための指示を出す。それが私の仕事だ」
 男は少年の方を見向きもせずに、まっすぐに前を向いていた。
 しかしそれは、少年の意見を軽んじているわけでもないと、少年自身が感じていた。ただ、彼はひたすらに自分の職務に忠実であり、またそうでなくてはならないと思っているのだ。
 そのことは、男を誰よりも尊敬している少年が一番良く分かっていることだった。
「そう……ですね。俺たちには、人手が足りない。たとえ理不尽でも、彼の協力が今は必要だ」
 少年は自分を説得させるように呟くと、それ以上その事に追求することは無く、再び双眼鏡を構えなおした。
 彼らがここで見張らなければならなかったのは、観察対象である高崎総一だけではない。少年が改めて目を向けたのは東京タワーではなく、はるか遠くにある『東京大堤防』だ。
 ちょうど少年が目を向けた時、堤防の上に一つの人影が立っているのが見えた。
 いや、人影というにはそれは大きすぎる。いくら最新型で高性能なものを使っているとしても、双眼鏡でこの位置から『大堤防』までの距離を考えれば、人の形としてハッキリ見えるは明らかにおかしい。
 しかし少年はその事には全く触れない。その異常に気付かなかったのではなく、当たり前の事実として頷くと、男に言う。
「一匹だけ隔離するのには成功したようですね。……それで、実行する場所はどこになるんですか?」
 少年の問いに、スーツの男が答える。
「臨海公園だ、すでに周囲の区画整理は完了して、『彼女』も配置に付いている。我々もすぐにそちらへ移動する」

   ●

 総一たちを乗せたバスは、昼食をとる場所に指定されている臨海公園に向かって走っていた。
 いくら町が津波の被害を受けたといっても、さすがに六年も前の話である。復興などとっくの昔に完了した町には当たり前にたくさんの人が出歩いている。
 津波の被害があったころは深さ一メートル以上も水が道に溢れていた場所もあったらしいが、今の東京にそんな面影は全く無い。
 軽い振動に揺られながら、バスは順調にその足を進めていた。
「誰か一人くらい残ってくれても良かったんじゃないのか?」
 総一は大げさにため息をつくと、眉を寄せて不満を漏らした。
「だってよー、お前、子供みたいに夢中になって望遠鏡覗いてたじゃねーかよ。ガイドさんの話も全然聞いちゃいなかったみたいだし、そんなんじゃ置いてかれるに決まってるだろ」
 総一の隣の席に座っていた北里正樹が、手にした棒状のチョコレート菓子を食べながら笑い混じりに答える。
「正樹……もうすぐ昼飯になるのにそんなもん食って大丈夫なのか? 弁当入らなくなっても知らないぞ」
 と言いつつ、総一も正樹の持っている袋に手を伸ばす。なんの悪びれも無く一本取って食べ始めた総一をジト目で見ながら、正樹は二本目を口に含む。
「こういう時の菓子は別腹だろー。こんなもんの一箱や二箱で俺の食欲に影響なんて出ないっつーの。わざわざ臨海公園なんかまで行かないで、もっと近くで飯にすればいいのにな」
 その声に答えるように、一人の女子が前の席の上から顔を覗かせた。
「いいじゃん臨海公園、まだ新めで綺麗だって評判だよ? うちからは何気に遠いし、行ったことなかったからちょっと気になってたんだよねー」
 座席越しに正樹に答えたのは、緑川桜子である。
 ほどいたら腰までありそうな長い黒髪をまとめているポニーテールは、その長さからフィクションの世界にいる武士の髪型にも見える。つり目気味の瞳は、今日も常に笑っているように細められていた。
 総一は思い出したように呟いた。
「あー、そういえば俺も行ったこと無いかもな。あそこ、結構最近にできたんだっけ?」
「そうそう……ってまぁ最近って言っても一年ちょっと前だけどね。埋立地の方は復興が結構後回しになっちゃってたから。それでも、観光に便利なところはきちっとしたの作らなきゃって事で、結構いい感じになってるらしいよ?」
 桜子は椅子の背もたれの上で組んだ腕にあごを乗せ、体重を預けて話をしている。
 桜子のパタパタと動かす足が邪魔だったのだろう。通路側の隣に座っていた少女が、苦笑を浮かべながら総一たちの方に顔を覗かせた。桜子の隣の席に座っていた君塚弥生だ。
「私、あそこの臨海公園行ったことあるけどなかなか雰囲気良かったよ。今日は天気もいいし、高崎君がさっき見てた『大堤防』も結構ハッキリ見えるんじゃないかな?」
 君塚弥生は、少したれ目がちな瞳と外に少しはねたような髪型の、桜子とは逆におとなしい印象の少女だ。
 同じ班である緑川桜子とは仲がいいらしく、良く一緒にいるのを見かける。決して暗い性格ではなく誰とでも気さくに話せるのだが、背もテンションも高い桜子と一緒にいると控えめな気質も相まってか、どこか桜子の陰に隠れている印象を受けてしまう。
「へー楽しみだな。君塚が前に行った時は何しに行ったんだ?」
 総一が何の気なしに聞き返すと、弥生は、んー、と少し考えるような仕草をした後、
「出来たばっかりの時だから、ちょっとニュースで見たとかなんとなくだったと思うよ。私の家、結構海のほうに近いから」
 その時、弥生の喋っている斜め上から桜子が弥生の頭をわっし、と掴んだ。
「はえ!?」
 突然のことに驚いた弥生が、素っ頓狂な声を上げる。
「え、それあたし初耳なんだけど。っていうか、それ誰と行ってきたん? はっ!……カレシ、彼氏なんか!? うーわー友達が知らない間に勝手に大人の階段をー! 裏切り行為やー!」
 なぜかエセ関西弁になりながら、掴んだ弥生の頭をぐるんぐるん回している桜子。弥生は、やーめーてーと言いながらされるがままになっている。
 隣に座っている正樹が、「か、彼氏いたのか……ま、マジで?」などと戦慄しているのを横目で見ながら、総一は笑いを堪えつつ話題を変えようと口を開いた。
「そういえば、さっき行った東京タワーも行くの初めてだったな」
「え、マジで? 俺とかもう五、六回は行ってるぜ?」
 頭を抱えて何かブツブツ言っていたはずの正樹が、正気に戻って食いついてきた。
「俺の家、『太平洋隕石』の前は海の近くだったからばあちゃんの家に疎開してたんだよ、戻ってきたの中学上がってからだし。っていうか、正樹はなんでそんなに行ってるんだよ……ああいう地元の観光名所ってそんなに何度も行くものじゃないだろ?」
「あー、うち親戚多いからさ。東京に遊びに来た時とか必ず連れて行かされるんだよ、東京タワー。そんな面白いモンでもないと思うんだけどねー」
 正樹が自分に問われた部分だけ答えると、弥生が別の部分に突っ込みを入れてきた。
「高崎君って『太平洋隕石』の時、疎開組だったの?」
「ああ、海の近くって言ったけど、ここからもそう離れてない。もしかしたら君塚の家の方と近いかもしれないな。戻ってきたら潰れてたし、せっかくだからって内陸の方に一軒屋を買ったんだ」
「へー、うちと正樹んちはずっと東京だよね」
 桜子が正樹を目を合わせながら言う。この二人は幼馴染で、家もごく近くだ。そもそも総一と弥生は、この二人にお互い連れられて一緒に遊ぶようになったのだ。
「君塚の家は?」
 総一が聞くと、弥生は一瞬俯いた。
 少しだけ不自然な動作に、総一はその顔を覗き込むように伺ったが、その瞬間上げた顔はいつものようなはにかんだような笑顔で、
「うん、私もずっと東京」とだけ答えた。
 その違和感に何か聞き返すよりも先に、バスがブレーキをかけ始める。目的地――臨海公園に着いたのだ。
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