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第二幕「銀色の巨人」


 東京タワーからすぐ近くにある芝公園を通り過ぎ、芝浦埠頭の方へ向かうとバスの窓からレインボーブリッジが見える。
 隕石落下の津波の際、中でも有明辺りは多大な被害を受けた。東京ビックサイトやゆりかもめなど、有名な施設のほとんどが破壊されてしまい、現在もあの周辺は復興の見通しが立っていない。
 しかし、それらが盾になるような形で津波の被害を免れたのが品川埠頭や芝浦埠頭など、本島側にあった埋立地だ。
 もちろん、東京タワー付近にも多少の被害が出ていたことから分かる通り全く被害を受けていないわけではない。復興にもかなりの年月がかかった。
 しかし、昨年末に人の出入りが解禁になったこの新芝浦埠頭には、元々のものよりも大きく作られた土地を利用して、臨海公園やみなとみらい21にあるような巨大な観覧車などの観光施設が多々建設され、後の新しい有明の埋立地と合わせて『観光地・東京』の目玉になるスポットとして評判が高い場所になっている。
 臨海公園の駐車場に到着したバスを降りて少し歩くと、一面に広がる青い芝生が総一たちを出迎えた。
「おー結構広い。思ってたよりいいんじゃん?」
 総一の後ろに並んでいた正樹が、額に手を当てた大げさなしぐさで、ぐるりと辺りを見渡した。
 基本的には何もない、ただ広い芝生の上に、レンガ敷きの通路が漠然と引かれている、よい散歩コースになりそうな公園だ。
 アクセントのように植えられている背の高い木々や、よく言えば前衛的、悪く言えばよく分からない形をした――どこかの美術大学生の作品だろうか――巨大なオブジェが広場の中心を指示するようにどっかと腰を下ろしている。
 しかしなにより、臨海公園の名に恥じぬ景色は海一面。
 海側から丘側にかけてなだらかな上り坂になっているらしく、臨海公園のほぼ全ての場所から海を眺めることができるようだ。遠くには水平線の上に乗った黒い筋のように、『東京大堤防』を眺めることができた。
「おーし、じゃあ班ごとに集まって弁当食えー。その後はそれぞれ自由行動だが、この公園はかなり広いからあまり遠くに行き過ぎないように! 集合は十二時五十分だから、遅れないようにしろよー!」
 担任の叫び声を聞いて、だらだらと公園中に散っていくクラスの面々。
「んー、じゃあどこ行こうか。あんま離れすぎても戻ってくるのめんどくさいよなー」
「海に近いところがいいんじゃない。やっぱ『海に臨む』から臨海公園なんだしさ」
「安直だなー。高台の方が色々見えていいんじゃないか?」
「あのオブジェとか邪魔じゃない? 他の食べてるグループもあるし、やっぱ海見るなら向こうの方がいいって!」
 正樹と桜子が弁当を食べる場所についてワイワイ話し合っているのを、総一はどこか呆けたように聞いていた。
「どうしたの? ぼーっとして。もしかしてバスで酔っちゃった?」
 話しかけてきた弥生にも、総一は半ば上の空のように、海の方を眺めながら答える。
「いや、車酔いとかじゃないんだけど。海を見るのが久しぶりすぎて……そもそもこんな広い所に来たのも久しぶりだから。なんか……なんだか分からないけど、ちょっと頭がぼんやりしてる気がする」
 返答になっているようでなっていない総一の言葉に、弥生は小首をかしげて、
「大丈夫? なんだかそうしてるとちょっとアブない人っぽいかも?」と、割と酷いことを呟いた。
「っていうか、高崎君って結構いつもぼーっとしてるよね。展望台の時も、そんな感じだったから置いてかれちゃったのかもよ?」
「……俺、そんなにいっつもぼーっとしてる?」
 総一は頭を軽く振ると、今度は弥生の方をまっすぐ見て答える。弥生は顎の下に指を当てて、少し考え込むように、んー、とうなると、
「ほら、高崎くんって今、教室の席が窓際じゃない? ちょっと授業中とかに目に入ると、結構外とか見てることが多いかも。どこか遠くを見てるって言うか、呆けてるって言うか、何も考えてないっていうか――」
「ひ、ひどいな……。それじゃあ本当に俺、危ないヤツじゃないか」
 自分のそんな行動に自覚が無かった総一は、弥生の言葉に軽くショックを受けた。気付いていなかった自分の悪評を目の前に突きつけられたようで、肩をがっくりと下ろす。
「いやいや、たまにだよ。たまに。普段はそんなんじゃないから安心していいと思うよ。北里君としゃべってる時の高崎君は全然普通だし。なんていうか、天然ボケと無気力ツッコミ?」
 それは追い討ちではないのか、と総一は思ったが、それは口には出さなかった。
「俺の無気力ってのは……もうどうでもいいけど、正樹の天然ボケってヤツ。それ、本人には絶対言ってやるなよ。いくらぼーっとしてるって言っても、目の前で友達が傷つくのを見て平気なほど能天気じゃないつもりなんだからな?」
「ん? よく分からないけど了解しました」
 敬礼の真似をして、絶対了解していない様子の弥生を見て苦笑いを浮かべた総一は、しかし別のことを考えていた。
 もう一度海のほうを見る。先ほどふいに口を付いて出たが、海に来たのは本当に久しぶりのような気がしたのだ。
(六……いや、七年ぶり? 通りすがったことはあっても、海よりの場所に全然近づかなかったな、そういえば)
 とは言っても、太平洋隕石が落ちてからの東京湾付近一帯は、修復工事のためにほとんどの場所が立ち入り禁止で主だった場所にはほとんど近づけなかったため、それほど不自然というわけでもない。
 そもそも東京に戻ってきてからは、疎開する前のように用もないのに行けるほど海が近くなかったのだ。
「偶然、かな?」
 首を傾げたその時、先を歩きながら話し合いをしていた正樹と桜子が振り向いて話しかけてきた。どうやら話がまとまったらしい。
「よっし、それじゃあとりあえず軽く歩くかー」
 正樹の呼びかけに頷くと、総一たちは横一列になり、再びゆっくりと歩きだす。
 平日の昼間という事もあってか、公園内に人はまばらだった。駐車場からすぐのこの場所からでも、海や『大堤防』を問題なく眺めることができる。
 結局、正樹と桜子の話し合いは桜子の主張が通ったようで、総一たちは海沿いの適当に開けた場所で弁当を食べることになった。
 周りを見ると、適度に間隔を置いてクラスメイトたちもレジャーシートを広げている最中だった。総一たちも自分たちで持ってきたシートを、重ね合わせるように広げて座る。
「それじゃ、いっただきまーす!」
「「「いただきまーす」」」
 正樹の合図に、弁当に手を付けようとする。
 しかし、その弁当は誰の胃にも納まることは無かった。
 その瞬間、凄まじい轟音とともにやってきた、銀色の槍のために。

   ●

 ゴォッ、という強引に風を切る音の一瞬後、爆音を立てて崩れ落ちたのは公園のほぼ中央に立っていたオブジェだった。
 近くで昼食を取ろうとしていた学生たちや、犬を連れて歩いていた散歩客の上に、飛び散る破片が降り注ぐ。巨大な石から掘り出したであろうそのオブジェは、まるでその本来の素材の姿に戻るかのように、一瞬でただの石塊と化していた。
 オブジェに成り代わるように燦然とそびえ立っていたのは、一本の銀色の槍。
 少なくとも、総一にはそれを槍としか表現できなかった。全長五メートルほど、太さは自分の胴ほどもありそうな、槍と呼ぶには無骨で巨大すぎる棒のような物体が、地面に突き刺さりどこか誇らしげに自分の存在を主張していた。
 周りは嘘のように静まり返っていた。誰もがその光景を嘘だと思いたかったに違いない。だから、ただ黙ってその槍を見上げることしかできなかった。
 飛んできた破片で軽いケガをした者たちも、それを忘れたように呆然としていた。
 そして、誰もが気付かなかった。
 背後から迫っていた、その槍を投擲した張本人に。
 ずるりと、何かを引きずるような物音に、その場にいた全ての人間が一斉に振り向く。
 銀色の何かが、そこにいた。
 それは本当に『何か』としか言えないような物体。人型を成していると断言するには不恰好すぎるそれは、全身が流動する粘体でできているように波打っている。
 その表面は金属質な光沢を放つ銀色で、映画などである液体金属でできた人間を見ているようだった。
 しかし、驚くべきはその大きさである。公園の海沿いから、這い出すように上がってきたその『銀色の巨人』は、低いハードルを跨ぐように小さい動作で軽々と手すりを乗り越えた。
 公園に生えている木と同じほど――八メートル近い高さを誇るようにゆらゆらと揺れながら、曖昧な――まるで子供が一筆書きで描いたような――人型を保っている。
 皆が呆然と立ち尽くす中、『銀色の巨人』がゆらりと動き出す。
 自分の背より多少低い木。『巨人』の目の前に立っていたそれは、特別な何かがあったわけではないだろう。ただ、『巨人』の進路を塞ぐ、ほんの少し邪魔な位置にあっただけ。
 『巨人』は、長さ三メートル以上ありそうな巨大な腕を振り上げた。
 軽く勢いがつけられたその『腕』は、肘や手首の区別も付かないゆったりとした曲面で構成されている。
 先端に近づくほど太くなるその『腕』の先にある『拳』は、指も無く拳というにはあまりに拙い、直径一メートル近い球体が腕の先にめり込んだような外見をしている。
 そんなものが振り下ろされた衝撃は、ただ見ていることしか出来なかった人々の日常をあっけなくぶち壊した。
 ただ重力に任せて振り下ろされるだけでも、その『拳』の重量を考えれば破壊力は計り知れない。
 五メートル近くあったはずの木は、縦にかち割られるように轟音を立てて砕け散った。
 再び飛び散る破片を身に受けて、生徒たちはようやく正気を取り戻した。
「き……きゃあああああああああああああああああああああああ!!」
 画面効果やBGMを伴わない。映画やアニメとは違うリアルな悲鳴は、その場にどこか空虚に響き渡り、総一にはそれが滑稽にすら思えた。どこか現実感の無い叫びを聞きながら、ただ『銀色の巨人』を見上げ続けている。
「う、うわぁ!」
「いやっ! いやああああああああああ!」
 次々と叫び声を上げながら走り出すもの、破片を体に受けて流れる血に正気を失うもの、そういったもの達を引っ張って逃げていくもの。
 その場の全ての人間が、自分の荷物もそのままに、ただ自分達の命をここから遠ざけようとしている。空は青く、見渡す海の景色は美しいままだというのに、その光景はまるで地獄絵図だ。
 総一たちの中で、一番しっかりと立ち直ったのは、意外にも普段おとなしいはずの弥生だった。
「に、逃げなきゃ! ほら、桜ちゃん立って!」
 弥生は、怯えたように『巨人』を見上げている桜子の腕を強引に引っ張り上げる。続いて正樹も思い出したように気を持ち直すと、しっかりとした足取りで立ち上がった。
 一人だけ呆然としたように黙ったままの総一の腕を、正樹が掴んで叫ぶ。
「おい! マジでボケッとしてる場合じゃねぇぞ!」
 しかし、総一の視線は動くことは無い。
 夢遊病患者のように焦点の会っていない視線。半開きな口から、一言だけ声が漏れた。
「ユウジ……」
「は?」
 その時、逃げ遅れた総一たちは不運にも『巨人』の一番近くにいた。周りの木を薙ぎ倒しながらゆっくりと直進していたそれが、標的を決めたかのように、総一たちの方に顔を向けたのだ。
 顔といっても、つるりとした銀色の曲面の一部に過ぎない。粘土で子供が作った人形のように不恰好な人型の、頭に当たる部分がぐにゅりと気味悪くねじれた。
「ひっ!」
 それを見た正樹が、息を詰まらせるような声を出す。
 『巨人』の右腕が、再び大きく振り上げられる。直径一メートルもありそうな金属の球体。そんなものが叩き付けられた人間がどうなってしまうのか、先ほどの木の末路を見れば、考えたくなくなるほど凄惨だということくらいは分かる。
 腕を振り上げた姿勢のまま、ゆっくりと近づく『巨人』を見て、弥生は立ち上がった桜子の手を引きながら、駐車場の方へと走り出す。
「北里君、高崎君のことお願い!」
 それだけ言うと、振り向きもせずに駆けていった。正樹は、まだ座り込んでいる総一の頬を、思いっきり殴りつけた。鈍い音とともに、総一の目に正気が戻る。肩をつかんで揺さぶり、正樹は再び叫ぶ。
「冗談じゃなくて死ぬぞ! しっかりしろ!」
「あ、ああ。悪い、もう大丈夫だ」
「ホント、頼むぜ。ほら、とっとと行くぞ!」
 そう言って、正樹は総一の肩から手を離し、踵を返して走り出した。
 その瞬間だった――

 ドシン……!

 北里正樹を攻めることはできない。むしろ、わけもわからないモノから一刻も早く逃げたい衝動を堪え、友人に二度も叱責をすることができたことを褒めるべきだろう。
 しかし、その一瞬。総一がまだ体を完全に立ち上がらせる前に、正樹は総一に背を向けてしまった。その一瞬、『銀色の巨人』の腕がまっすぐに総一に向かって振り下ろされるのを、見ることも出来なかった。
 彼の背後から聞こえたのは、まるで総一などいなかったかのように地面を叩く低い音。彼が振り向いて見たのは、ひび割れ陥没した地面と立ち込める砂煙。
「そ……総一?」
 背筋を駆ける、味わったことも無い恐怖。
 そこにいた友人の無事を確かめることもできずに、気が付けば正樹は全力で逃げ出していた。
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