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第七幕「相容れぬモノ」


 剣、そして綾人自身から迸る光が全身を隠すほどに広がると、その中から勢い良く何かが飛び出してきた。
 ある程度の距離を取って中空に浮遊したそれは、鎧。
 ヘルメット、肩当て、肘当て、腕回りを包む手甲、胸当て、膝当て、等などなど。おびただしい数の金属片が、光の中から次々と生み出されていく。
 光を反射する眩いほどの白銀に、金の装飾がくど過ぎない程度に施されているそれらは、その一つ一つがまるで美術品のように美しい。
 全てのパーツが吐き出されると、光の回りを渦巻くように漂っていた鎧たちが再び光の中に吸い込まれていく。今度はその光を自らで包み込むように組み合わさり、次第に人の形を成しながら。
 完成したそのシルエット――二メートルを越す長身、身の丈を越すほどの剣を携えた騎士に、総一は見覚えがあった。
「お前が、あの時の……?」
 総一が《顔無し》と戦った後、気を失ってしまう直前。透花の合図とともに突風をまとって目の前に現れた、白い鎧の騎士。
 それが今、自分の目の前に立っている。
「そう……」
 三メートルもあろうかと言う両刃剣を、片手で軽々と振り上げる。
 騎士から響いた声は全身を隙間無く包んだ鎧に遮られているはずなのに、こもったり小さくなったりすることもなく白城綾人そのままの声で総一の耳に届いた。
「これが俺の《役(キャスト)》――――《白騎士(ホワイト・ナイト)》だ!」
 総一は、目の前の光景にただ息を飲むしかなかった。
 自分もそうだとは自覚していても、目の前で人が別のモノに『変わる』という場面を目の当たりにして、冷静でいられるわけがない。
 重厚な威圧感、鼻の置くまで届く金属の匂い、自分に惜しみなく向けられた激しい敵意。嫌な汗が背筋を流れるのを総一は感じた。
 自分は、恐怖している。
 まるであの時、《顔無し》を前に初めて『変換』を行った時と同じように。
(…………同じように?)
 思わず顔に手をやる。少しザラついた、チキンの食べ残しでしか触れたことが無いような骨の感触。
 それは、そこに確かに存在する自分の『力』の手触りだ。
「いや、違うな」
 何が起こるか、どれほどのことができるのか、何もかもが未知数だった最初の時とは全てが変わっている。
 大切な美術品を愛でるように、恋人の肌に触れるように、『仮面』の表面を薄く撫ぜた。それだけで全身に鳥肌が立つ。恐怖のせいでは無い。これから自分に宿る力に対する期待で心が躍っているのだ。
 いつの間にか、再びその口元には笑みが浮かんでいた。
「……『変換(コンバート)』」
 最初の時とは違い、今回は視界が開けている。
 足元から立ち昇る液体状の闇が自分を一瞬で包み込んでいく様子を、実感だけでなく実際に見て取れた。それが卵のように割れたとき、自分の『変換』は完了する。
(暖かくて、心地いい……)
 闇の中。何も見えなくても、何も聴こえなくても、全ての間隔が閉ざされていたとしても、そこが自分の帰る場所。自分そのものの根源。
 不思議だった。この後自分がどれほど熾烈に戦うのか、自分の感情がどれほど昂ぶるのか、おぼろげに理解しているつもりでも、今のこの一瞬だけは日常のどんな一時よりも安らいでいる。
(だから、また来るよ)
 また、この闇の中へ。
 視界の端に光の筋が走る。卵の殻が割れようとしているのだ。自分の右腕に目を落とせば、そこには歪な爪と外骨格に包まれた、黒ずんだ筋肉質の腕。人間とはかけ離れた、悪魔の腕がそこにあった。
 完全に割れるのを待つ必要はない。頭の中でズキズキと、核となる石が教えてくれている。自分の敵は正面にいると。
 腕を前に突き出して、想いを込めるだけでいい。掌の正面に闇を押し固めたような黒い球体ができあがっていく。
「サヨウナラだ、白城綾人」
 目の前が開ける、正面に立つ《白騎士》を視認する。
「お前とは、友達になれるかもしれないと思ってたよ」
 聞こえているのかいないのか、《白騎士》は棒立ちのまま動かなかった。総一の『変換』が完全に終わるのを待つつもりなのかもしれない。名前の通りの騎士道精神という訳だ。
 口の端をこれ以上ないくらいに吊り上げて、総一は手の中の球体を開放した。
 至近距離過ぎて《顔無し》との戦いでは見えなかった、レーザーのように迸る『黒』の奔流が《白騎士》に向かって迫る。
(当たった……!)
 総一の周りの殻も、周囲の空気すらも蒸発させて、《白騎士》にそれが触れた。
 そう思った瞬間だった。
「奇遇だな、俺もそう思ってたよ」
 後ろから聞こえた。その声は確かに白城綾人に間違いない。
 総一が反射的に振り返ったそこには、すでに誰もいない。いや、正確には先ほどと何も変わりなく座ったままの、鹿島智久と雪野透花の姿がある。
 彼らはこの状況に対しても何の感慨も持っていないのか、表情を少しも変化させない。ただ一言、鹿島がどうでもいいことのように呟いた。
「綾人……殺すなよ」
(なっ!)
 一瞬、動きが止まっただけ。それだけのはずなのに、その一瞬は戦いの中でとてつもなく重いという事に総一は気付けなかった。
「もう一度言っておく」
 声はまた後ろから聞こえる。何かが上に向かって飛んでいくのが、目の端をかすめた。
 宙を舞うそれを目で追えば、何のことは無い。それは自分の右腕だ。
「『お前』はまだ、強くなんか無い。少なくとも、俺にあっという間に片手を落とされるくらいにはな」


 もしもこの筋肉が剥き出しな身体に皮膚があったなら、全身が鳥肌立っていただろう。
 ゾッとしたのだ。
 淡々と響く綾人の声に。初めにちらりと目にした以外、全く捉えられない《白騎士》の姿に。命の扱いに少しも躊躇しない、目の前の鹿島という男の言葉に。
 硬質化した骨のせいで、派手に音を立てて総一の右腕が床でバウンドする。窓も無く広いこの部屋だからだろうか、反響した音がしばらく耳の中に残って全身を痺れさせる。
 時間がゆっくりと流れているような感覚を無理やり現実に引き戻すように、総一は酷く緩慢な動きで自分の右腕を見た。
 肘先からすっぱりとなくなった切り口からは、不思議なことに一滴の血も垂れてはいない。ただ繊維と骨が切断された、いやにきれいな面が覗いている。
 それでも、じくじくと広がっていく痛みは、徐々に徐々に這い上がってきていた。
 今までの人生で経験したことのない、するはずもなかった痛み。焼けるように、蝕むように、決して無視できない。全身の感覚を強制的に支配して無遠慮に広がっていく。
「うっ……」
 それでもまだ、総一の顔は笑っていた。
 自分でも何が可笑しいのか分からない、ただ痛みで引きつっているかもしれない、口の端を吊り上げている形だけの作り笑いかもしれない。
「くっ……そぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!」
 総一は振り返りざまに、『黒』の奔流を叩きつけるように振るった。標的も定まらず、ただ溢れ出るように湧き出した『黒』は真っ直ぐに飛ぶこともなく、あちこちの床や壁を破壊する。
 そしてもちろん、そんないい加減な攻撃が《白騎士》を捉えることなどできない。
「ううううぅぅぅぅぅぅぅ、あああああああああぁぁぁぁぁぁああああ!」
 獣のように咆哮してみっともなく力を撒き散らす様は、まるで地団駄を踏んでいる巨大な幼児のようだ。片腕の掌から形を留める前に打ち出された『黒』が、まるで涙のようにも見えた。
 そんな総一の姿を見かねたのだろうか。一瞬の風を切る音と共に、《白騎士》が総一の正面――最初に立っていた扉の横――に姿を現した。
 全身隙間なく、顔すらも全く覗かせないほどにきっちりと白銀の鎧に包まれた騎士は、自然体のままゆっくりと総一に近づいてくる。
「身体の一部を失う……そこまでの痛みは初めてだろう。取り乱すのも仕方のない事かもしれない。だがな、高崎」
 綾人の言葉は総一には届いていないのだろう。近づく《白騎士》を自分の方に寄せ付けないために、ただがむしゃらに片腕を振り回す。
 ぞんざいに撃ち出された『黒』は、《白騎士》の足元の床を無造作に削り取っていく。しかし、そんなものは見えていないかのように、《白騎士》はまっすぐに総一に向かって距離を詰める。
「今のお前は、見ていて無様だ」
 そのセリフが総一の耳に届いた瞬間、すでに《白騎士》はその場から姿を消していた。
 正面にいたからこそ分かった。
 『変換』して段違いに良くなったはずの動体視力でも、付いていくのがやっと。そんな速度で迫りながら、さらにそれを超える目にも留まらぬ勢いで剣を振りかぶる。
 総一は先ほどまでの《白騎士》の消失を、超能力か何かだと思っていた。自分が撃ち出す『黒』の奔流のように、『変換』によって発現した何らかの特殊能力によるもので、自分はその超常現象によって『見失わされているのだ』と。
 だがこの時。混乱していた頭が瞬時に正気に戻るほど、その衝撃に打ち震えた。
 ただ、速い。
 あの重そうな鎧を全身に着込み、その鎧と同じくらいの質量はありそうな剣を振り回し、それでも視界に捉えるのがやっとなほどの超スピード。
 ただ真っ直ぐに向かってくるだけのはずだ。それなのに、総一の目には残像が一瞬映っただけだった。
 さっきまではそれで後ろに回りこまれていたのだろう。総一のような戦闘の素人でも瞬時に分かる、圧倒的過ぎる地力の差。相手がどう動いているか頭では理解できているはずなのに、それに反応して身体を動かす命令ができない。その前にすでに、《白騎士》の攻撃は完了している。
 ゆっくりと、総一の身体がくずおれた。付け根から切り取られた左脚が、体の後を追うように倒れる。
「は……はは。反則だろ」
 右腕、そして左脚。切断された場所から襲ってくる痛みは強くなるばかりで、すでに総一は気を失いかけていた。
 なんとか顔を動かして見上げると、そこには自分を見下ろしている『変換』を解いた白城綾人の姿があった。もう自分には、生身の人間にさえ何かをする力はないと全て見破られているのに、嫌な気は不思議としない。
 なんとなく分かったからだ。綾人の言葉の真意が。
「『今の』俺は……ね。まったく、スパルタにも……程があるだろ」
 そう呟いた総一は、その時初めて綾人が笑う顔を見た。
 笑顔の似合わないヤツだ、と総一は思う。
「まだまだ……こんなものは宵の口だ」
 その声は、まるでこれからの苦難を楽しみにしているかのように弾んでいて、しかし総一のことを哀れむように悲しげでもある。
 総一は綾人の表情を見上げ、なんとかその意志を読み取ろうとした。
 知りたかった。自分を圧倒したこの少年が、何を考えて、何を感じ、何を目的として戦っているのか。
 個人が持つにはあまりにも大きすぎる、まるでフィクションのような能力を手に入れながらも、こんな『組織』の中でどういう気持ちを胸に秘めて剣を振るっているのか。
 だが、逆光に翳む目はすぐ白に包まれて、綾人の顔を確認するよりも早く総一は今日二度目になる気絶を経験した。
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