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第十幕「Maybe happy days(1)」


 事件から丸三日が経過し、金曜日。
 人の噂は七十五日とは言うものの、人間の関心とは目新しいことが無ければこんなにも早く移り変わってしまうものなのかと、高崎総一は嘆息した。
(ま、早く日常に戻るなら、いいことなのかもしれないけどな……)
 今は昼休み、クラスメイトたちはテストへの予習に余念が無く、たった三日しか経っていないというのに、『あの事件』のことを話題に出しているグループは教室の中に一つも無い。
 もう少し噂やデマが出回るかとも思ったが、そんな素振りを見せる人間はこの学校のどこにもいないようだ。
 ニュースや新聞などで、事件の大体の情報は――無論、偽装されたものではあるのだが――世間にも出回っている。さらに、当事者である生徒たちや学校関係者にきちんと説明を行うことで、逆に疑念を持たせる隙を徹底的に無くしているのだ。
 事実、休み明けの水曜に学校側の発表が行われたすぐ後には、そうした邪推をする生徒がいないわけではなかった。
 やれ、『あんな場所で映画の撮影をしていたのなら、付近にスタッフがいたはず』。
 やれ、『あんな巨大なもの、最近の映画だったらCGを使うはず』。
 やれ、『警察ではなく自衛隊が報告に来たのはおかしい』等などなど。
 憶測に想像を加えた議論は、生徒たちの間でまことしやかにささやかれることになったのだが、それも長くは続かなかった。
 結局、話が頭打ちになってしまうのだ。
 どの仮説も所詮は机上の空論。相手に見せられたカードはとても多く、突っ込みどころも多々あるはずなのに、だからこそ行き止まってしまうことにもすぐに気が付く。
 そして、もう一つ大きな理由がある。
 そう、前述の通り今は試験前なのだ。
 都立霞ヶ丘高校は都立にしてはそこそこの偏差値で、いわゆる上の下辺りの学校だ。一年に一人か二人は東京六大学に進学するものもいる。
 あまりに出来のいい学校だと、逆にちょっと羽目の外れた人間がいたりするものだが、ある意味中途半端なこの学校にはそういう人間も少なく、不良らしい不良もほとんどいない。
 試験前の勉強も、一夜漬けオンリーなどというチャレンジャーはほとんどいない、なんとも珍しく治安のいい学校なのである。
 休日前の昼休みともなれば、友人のノートをコピーしにコンビニまで走ったり、午前中の授業で分からなかった部分を友人同士で聞きあったりと皆忙しそうだ。
 少なくとも、成績の足しになるはずも無い話題に花を咲かせる気など、これっぽっちも無いだろう。
 そんな教室の中、高崎総一は何をしていたかというと――――。
「……はぁ」
 総一たちの班のある一角。その中の、主に二人から発せられるかつて無いほどの緊迫した空気に、総一はもう一度ため息を付いた。
 机の上に申し訳程度に開かれている単語帳の中身は、まるで頭に入ってこない。窓の外に目を向けると、嫌味なほどに澄んだ秋晴れの空が総一を見下ろしていた。
 ちらりと、伺うように窓の反対側に目を向けてみる。
「…………」
 不自然にこちらと逆に体を向けた緑川桜子がいた。
 普段表情豊かな印象だからなこともあるだろうが、強張った表情で眉根を寄せて参考書に目を落としている姿は、まるで黒いオーラでも発しているかのように見える。
 そこからさらにぐるりと視線を回して、真後ろの席の北里正樹を見た。
 彼は今ノート写しの真っ最中で、真剣な表情で目と手を交互に動かしている。
「ん、なんか用か?」
「……いや、別に」
 この時期、正樹は普段取り損ねている分のノートを桜子から借りて写すのが通例なのだが、今彼の手元にあるのは総一のノートだ。
 それというのも、頬を殴ったというあの一件以来、正樹と桜子は一言も口を利かなくなってしまったのである。
 そもそも、総一たちのグループは正樹と桜子にそれぞれ総一と弥生が連れてこられて成り立ったグループだ。話題を提供したり、どこかへ出かける提案をするのももっぱらその二人の役割で、総一と弥生はそれに引きずられるように遊びに連れられることが多かった。
 親しい友人であり幼馴染でもあるこの二人は、桜子の弓道部の朝練さえなければ一緒に登校するほど仲が良い。あまり二人と話さないクラスメイトの中には、二人が付き合っていると思い込んでいるものさえいる。
 そんな二人が仲違いをした今、その理由さえ良く分かっていない総一は、頭を抱えてその場にいることしかできないでいるのだ。
(まったく、ふがいないな……)
 分からないのは、二人が会話を全くしないにも関わらず、お互いを避けていないことだ。
 普通に自分の席に座ればこうしてそばに寄らざるを得ないわけだが、それを嫌がっている節は不思議と無いのである。
 昨日の帰り道に正樹を問い詰めてはみたところ、どうも桜子が正樹を殴った時に何かあったらしいのだが、どうにもはぐらかされて詳しいことを聞くことは出来なかった。
「高崎くんっ!」
 いきなり机を思いきり叩かれて、総一は思わず目を丸くした。
 目の前に立っていたのは、昼休みになってすぐ席を外していたはずの君塚弥生だ。いつも、どこか一歩引いた立ち位置にいる彼女が、普段見せないような剣幕で総一に詰め寄っている。
「ど、どうしたんだよ君塚?」
 その勢いもあったのだが、気付いた時に弥生の顔が思ったより近くにあった事実も総一の動揺を強くしていた。いや、弥生を好きな節がある正樹が真後ろにいることで、三重の意味でと言えなくも無い。
「ちょっと話があるんだけど、来てくれない?」
 正樹が本当に弥生に気があるなら不快に思うか後ろを伺ったが、当の正樹は特に不満そうな表情を浮かべているわけでもない。
 そういえば、弥生は桜子が正樹を叩いた場にいたのだ。その時の話を聞けるかもしれないと、総一は考えた。
「ああ、分かった」
 この状況の二人を放置するのも気が引けたが、どうせ自分がいてもできることはない。
 総一は弥生に連れられて廊下に出た。
 弥生はすぐ近くの窓際に寄り掛かる。特にどこかに行こうという気はなかったようだ。やはり、正樹と桜子の話なのだろう。
「高崎君は、北里君からどのくらい聞いてる?」
 弥生も元よりそのつもりでいたのか、いきなり本題から入ってくる。
「正直、ほとんど何も分かって無い。緑川が正樹を殴った時に何かあった、くらいしか知らないな」
「そっか……」とだけ言って、弥生は黙ってしまう。
 それが何か考えているようあったため、総一は何も聞かずにじっと待った。
「結論から言っちゃうと、桜ちゃんが北里君を好きだってのが分かっちゃったんだ」
「…………は?」
 素っ頓狂な声を上げてしまった総一に、弥生は苦笑いをして返す。
「あーやっぱり気付いてなかったかー。高崎君ってそういうことに疎そうだもんね」
 大きなお世話だと返したかったが、自分がそういう方面に疎いのは事実だしその自覚があったため、総一はぐっと堪えた。
 確かに、正樹と桜子は恋人と見間違えられるほど仲がいい。夫婦漫才のようなやり取りはしょっちゅうだし、友人の度を越えているのではないかと思うほどのスキンシップもたまに見られる。
 しかし、それはあくまで幼馴染だからなのだという先入観。そして、正樹は弥生に気がありそうだという推察もあって、その組み合わせについて恋愛的な意味で真面目に考えてみたことは、確かに総一には無かったのだ。
「この前、桜ちゃんが北里君をぶった時に、それを匂わせるようなことを言っちゃったんだよ」
 詳しいセリフの内容は本人の名誉のために伏せるけど、と弥生は一息置く。
「カッとなった勢いもあるのかもしれないけど、なにしろクラスのみんなの前だったからね。今は気まずくて顔も見れないんだと思う」
「あー……なるほど」
 確かに言われてみれば、桜子の方が『避けていた』ような気がする。正樹も居心地が悪そうにしてはいたが、できるだけいつも通りに振舞おうとはしていたのだ。
「それで、緑川に問題があるのは分かったけど、それって俺たちにはどうにもできないことじゃないか」
 そう、問題はそこなのだ。原因が分かれば何か対処できるかとも思っていたが、それが恋愛にまつわるものなら総一たちが下手に口を出すべきことではない。
 しかし弥生の反応は、総一の思惑とは全くの逆だった。
「何言ってるの高崎君! こんな時こそ私たちが助けてあげなきゃ、あの二人ずっとこのままかもしれないんだよ?」
「そんなこと言ったって、それは二人が解決しないと仕方が無いことなんじゃないのか? 俺たちが口出してこじれたりしたら、その方がマズいだろ?」
「でも、今みたいな状態でお互いにずっと意地を張り合い続けてたら、その内友達にも戻れなくなっちゃうかもしれないよ!?」
 ハッと、総一は息を呑んだ。
 そんなことは無い、と反論することは簡単だったはずなのに、それを否定することが出来ない。
 何故だかは分からないが、それがもし本当になってしまうこと、取り返しのつかない状態になってしまうことを、とてつもなく怖く感じたのだ。
 気が付けば、総一は頷いていた。
「……分かった。何かするなら協力するよ」
「ホント!? じゃあさ、明日から休日でしょ。仲直りのきっかけに、日曜日に四人でどこか遊びに行こうよ!」
「ああ、分かっ……いや、いやいやいや。ちょっと待て」
 勢いで頷きかけた総一は、考え直したように頭を振る。
「俺たち、今試験前じゃないか。そんな遊びになんて行ってる場合じゃないだろ!」
「違うよ高崎君、逆だよ逆」そう言って、弥生はちっちっと指を振る。
「二人がこんな状態だと、当人たちはもちろん私たちだって勉強なんて手に付かなくなっちゃうよ? それに、北里君なんてこのまま桜ちゃんの助けが借りられないと、赤点取っちゃうかもしれないじゃない」
「そ、それは流石に失礼だろ……」
 などと口では言ったものの、総一も内心『そうかもしれない』と思っていた。
 ノートの件もそうだが、正樹は基本的に勉学面で桜子に頼りっきりになっているところがある。
 割と中学で成績の悪かった正樹が、ランクで言えば上の方に当たるこの学校に入学できたのは桜子の助けがあったからだと、本人もいつか語っていた。
「それに、まだ二週間ぐらいあるんだから。高崎君だって、一日くらい休んだって平気なくらいには成績悪くないじゃない」
 駄目押しのように告げられるその言葉に、総一はすっかり逃げ場所を塞がれてしまう。
「…………」
 しばらく考え込んでみても、弥生の案を否定するだけの理由を総一は見つけ出せなかった。
 実際、総一だって二人のことは心配なのだ。この時期の成績と天秤にかけるのは辛いものがあるが、この件に関しては総一に責任が無いわけでもない。
「はぁ……分かったよ分かりました。……明後日だな?」
 今日何度目かも分からないため息を諦めたように吐き出しながら、総一は一筋縄ではいかなさそうな休日を想像して眉をひそめるのだった。
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