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第十二幕「Maybe happy days(3)」


 大型のエレベーターで降りること数分。社会化見学のバス同様、真っ先に降り立った正樹が感嘆の声を上げる。
「うわっ、思ってたより全然広いな!」
 その場所は上階のロビーと同じドーム状の部屋で作りも似ていた。おそらく、エレベーター待ちの人々のためのスペースなのだろう。
 一つだけ違うのは、ドームの四方が大きく開かれていたこと。
 その先には、そのドームなど比べ物にならないほどの広々とした空間が広がっていた。
 まず目に付くのは、とても地下とは思えないほどの天井の高さ。
 やはり上階と同じ、発光する幾何学的な模様の描かれた天蓋は地上のテーマパークにも負けないほどの意匠がこらされていて、道に沿って並べられた電灯と合わせて薄ぼんやりとした明るさで全域を照らしている。
 まるでそれは、ネオンに照らされる都会の夜のような雰囲気だ。
「パンフレットによると、いくつかのアトラクションごとでブロックになってて、それが部屋みたいに分かれてるみたいだね」
 弥生がいつの間にか手にしていたパンフレットを他の三人が覗き込む。
 『電脳と電子の世界・ジオグランシティ』は、今いるエレベーターのあるロビーを中心に大きく八つのエリアに分かれているようだ。
 それぞれが各種アトラクションの特性ごとに分かれていて、一つのエリア内に大体三つか四つほどのアトラクションと休憩所のような飲食ができる施設がある。この規模も、屋内型のテーマパークとしては異例の大きさだろう。
 部屋のように分かれているのは、地下にあるという構造上の工夫なのかもしれない。
「じゃあ、とりあえず片っ端から行ってみようぜ。今日みたいに空いてる日って他に無いんだろ? 今日一日で全部制覇できるんじゃねぇの?」
 正樹が言うとおり、周りを見渡しても人はほとんど見当たらない。
 関係者だけの公開日と言っても特に代表者の舞台挨拶などは無いようで、すでにガラガラのアトラクションで遊んでいる家族やエレベーターから総一たちに継いで降りてきた年配の夫婦らしき二人組みなど、チケットを持った人間が思い思いの時間に入って好きなだけ遊べるようだ。
「そうだね、じゃあとりあえずここから時計回りにぐるっと回ってみようか」
 弥生がパンフレットの上の道を指でなぞって総一たちを見渡す。
「おう、そうしようぜ!」
 正樹はすでに待ちきれないといった様子で声を張り上げる。
「桜ちゃんたちもそれでいい?」
 総一と桜子が頷いたのを確認すると、弥生は小さく片手を振り上げて、
「よーっし、それじゃあ行こうか!」と最初のエリアへと踏み出した。
「おーう!」
 恥ずかしげも無く大声を上げてさりげなく弥生の隣に並ぶ正樹を、複雑な表情で桜子が眺めている。
 総一は、そんな三人をさらに後ろから見つめていた。


 それから数時間。総一たちはテーマパークを満喫した。
 『電脳と電子の』というだけあり、バーチャルを駆使したアトラクションが多く、屋内というスペースの無さを上手くカバーしたものも多かった。
 特に、研究所を模した建物の中を進みながら3Dグラフィックで再現された敵を撃ちながら進んで行くというアトラクションは、ゲームセンターなどに置いてあるシューティングゲームとはレベルの違う臨場感を味わうことができた。
 正樹などは並ばないで遊べるのをいいことに、調子に乗って総一や弥生を連れまわしては何周も繰り返し遊んでいたほどだ。
 フリーフォールのような絶叫モノや、宇宙船で飛び回る様をバーチャルで再現したものなどの乗って遊ぶ系以外にも、様々なイベントがアトラクションがあちこちに配置させていて、客を飽きさせない。
 子供向けであろう、キャラクターの気ぐるみが飛んで跳ねて踊りまわるショーも、こういうたまにしか無い機会だからこそ新鮮に楽しめるものだ。
 全部制覇などとは言ったものの、時間はあっという間に過ぎていく。
 体力も段々と削られてきたこともあって、二時を回ったところで総一たちは少し遅い昼食を取ろうと飲食スペースに腰を落ち着けた。
「あー遊んだ遊んだ。屋内のテーマパークってどんなもんかと思ってたけど、結構充実してるもんだなー」
 そう言って、正樹は椅子の背もたれで仰け反るように大きく伸びをする。それを呆れたように見ながら隣に腰を下ろした総一は、弥生に問いかける。
「ここって、営業何時までやってるんだ?」
「えっと……普通の時だと夜の九時ぐらいまではやってるんだけど、今日はあくまで『お試し』だからね。確か四時には閉まっちゃったと思うよ?」
 顎の下に指を当てて、首を軽く傾げながら答えた。その答えに、今度は正樹が仰け反った姿勢のまま聞き返す。
「え、今何時だっけ?」
 総一は腕時計を覗き込むと、
「二時過ぎ」
「うえー! あと二時間もねーのかよ。まだ全然遊び足りねー気がする。よし、いいこと思いついた。この後カラオケ行こうぜ!」
「……おい正樹。お前は忘れてるのかもしれないけど、今俺たちは試験前なんだからな?」
 斬り捨てるような総一の言葉に、正樹は眉をひそめて露骨に嫌そうな顔をする。
「うーわ。こういうトコにいる時にそういう事言っちゃうー? 総一クン、もっと空気というモノを読んだらどうだね」
「そんなこと言ってー。北里君て試験のたびに赤点ギリギリなんでしょ? 今日遊んだ分、ちゃんと勉強しなきゃなのはホントでしょ?」
「うぐっ……」
 弥生にまで口を挟まれて、正樹は蛙の潰れたような声で呻いた。
 仰け反っていた体を戻して、今度はテーブルに肘を付くとスネた風にぼやき始める。
「い、いや、俺だってその気になればやるってばさ……」
 その顔に浮かんだ乾いた笑いは、今回の試験の結果を予想しての強がりだろう。
「その気にーなんて言ってるからいっつもギリギリなんだよ。またこの前の期末みたいに補講行かなきゃいけなくて休み潰れて、みんなと遊べないのなんてイヤでしょ?」
「……んーあー……はい」
 まるで母親に叱りつけられた子供のように小さくなってしまう正樹。その姿はどこかおかしくて、総一は二人からは分からないように小さく笑った。
 それは、きっと自嘲の笑み。
 何の実も無い会話、何の利も無い日常、そんな平和極まりない時間の中に自分がいること。ただ、それが楽しくて。ただ、それが嬉しくて。
 ―――ただ、それが懐かしくて。
 少し前まで当たり前に自分の近くにありすぎて気付かなかった、この幸せなはずの日々。それが今は、いつまでも続かないことが分かってしまっているから。
 今を満喫してしまっている自分を、高崎総一は嘲ることしかできなくて。
 きっとそれは、他人事としか見ることのできなくなった日常の残滓。
「あ、あたし、ちょっと食べ物とか買ってくるよ」
 完全に傍観者として螺旋のような思考に落ちていた総一の耳に、不意にそんな声が飛び込んできた。
 声の主―――緑川桜子は、気がつけば思いつめたような様な表情ですでに立ち上がっていた。
「え、桜ちゃ―――」
 唐突なことに驚いた弥生の声を振り切るように、桜子は早々と踵を返す。
「みんなの分は適当に買ってくるから、ここで待ってて」
 それだけ言い残すと、誰の返答も待たずにすたすたと売店のほうへ早足で歩き去ってしまった。
 総一が他の二人を見やると、さっきまで楽しげに談笑していたはずの二人は突然の事態に頭が付いていかないのか、茫然と桜子を見送っている。
 いや、正樹はハッとして表情を真面目な風に戻すと、すぐに桜子を追いかけようと腰を上げた。
「お、おい。ちょっと待てよ!」
 走って行こうとする正樹を、総一は思わず制していた。
「正樹!」
 横からかかった声に正樹が足を止める。振り向いた表情が、総一に「何故?」と訴えかけていた。
 正樹の行動は、無意識のものに他ならないだろう。
 今日一日、一言を言葉を交わしていなかったとしても。今日まで二人の間にあったのがひたすらに気まずい空気だけだったとしても、親しい人間が思い詰めたように立ち去れば追いかけずにはいられなかったのだろう。
 しかし総一には今、それが得策だとは思えなかった。
「お前。緑川を追いかけてなんて言うつもりだよ」
 無意識だからこそ、その行動は考え無しだとも言える。
「勢いだけじゃなくて、ちゃんと伝えることが決まってるのか? そうなら俺も止めないけど、今何も考えずにただ行くっていうのなら、考え直した方がいいと思う」
 桜子と気まずくなることが分かっていたとしても、弥生の誘いを受けることを選んだ正樹だからこそ、今その選択を中途半端にさせることは互いのこれからに良くないと、総一は告げる。
「そんな……っつったってよぉ」
 正樹は桜子の走って行った方を見据えながら、しかし再び走り出すことはしなかった。
 それは桜子に言うべきことが決まっていないことの証明でもある。
「だったら。今は緑川一人にさせた方が―――」
 そう言いかえた時、総一の腕を誰かが抑えた。
 制止をかけたのは、誰あろうその場で一人口を噤んでいた弥生である。
 弥生は総一の腕を少し力を入れて握ると、そちらには目を向けずに正樹と目を合わせて、言った。
「北里君が、行ってきて。多分、それが一番桜ちゃんがしてほしいことだと思うから」
 真剣な顔で、有無を言わせぬ響きを込めて。
 正樹はちらりと一瞬だけ総一の方を見たが、弥生に向かって「ありがとな!」と言い残すとすぐに桜子の走って行った方へ駆けていった。
 総一はそれを再び止めようとはしなかった。
 一つ、ため息を吐き出してまだ自分の腕を掴んでいる少女に目を落とすと、自分を見上げている満足気な彼女と目が合った。
「高崎君が最初に言ってたんだからね。二人のことに口出すべきじゃない、って」
「……ああ、確かにそうだったな」
 出すぎた真似をしたとは思わない。さっき、あの状況で勢いで走りだした正樹を送り出すことが、良い結果に繋がるとはやはり思えないから。
 だが彼が、自分の好きな女の子から言われたことを優先することは決まっているのだ。だったら、それ以上の口出しは無駄にしかならない。
 弥生は総一の腕を放すと、桜子と正樹の走って行った方をじっと見ていた。彼の気持ちに気付いているのかいないのか、口元には微笑を浮かべて。
 他人の恋愛事にはとても勘が鋭いが、自分のことになると途端に鈍感になる人間がいるが、彼女はその筋かもしれないと総一は思った。
 腰を下した総一の口から、自然にその疑問が漏れる。
「君塚は、好きな人とかいるの?」
「え?」
「今回のこと、えらい積極的だったから。自分は恋でもしてるのかな、と思って」
 考えてみればあまりにもいきなりな質問で、少しは戸惑うかと思ったその問いにも弥生は少しも取り乱すことなく、いつものように顎の下に指を当てて「んー」と考え始めた。
 一見して子供っぽく見えるその仕草は、年不相応な内面を隠すカモフラージュのようにも見える。
「いる……かな……?」
 曖昧に答えた横顔は、しかし照れたように赤らんでいるのが見え見えで、そのアンバランスさはまるで年の離れた大人の女性みたいに見えて。
 きっと、この少女の性格と同じように一筋縄ではいかない恋愛なのだろう。そう思って総一はそれ以上聞くこともなく、正樹たちが帰ってくるのを待つことにした。

 正樹と桜子はその後十分ほどで戻ってきて、総一たちは自然に誰からともなく帰路についた。。何事も無かったかのように続けて遊ぶ雰囲気などではなくなってしまったから。
「じゃあ、また明日な」
「おう、じゃあな」
「桜ちゃん、またね」
「うん、また明日」
 代々木駅で電車を下りる二人と短いあいさつを交わし、車内に残された総一はほぅと息を吐きだす。
 弥生はくすりと笑って、総一の顔を覗き込んだ。
「どうしたの、疲れたみたいな顔して」
「いや別に、ほっとしただけだ」
「そうだね……桜ちゃんたち、もう大丈夫そうだったもんね」
 窓の外は夕暮れで、低い陽の差し込む電車の中は休日の最後を自宅で過ごそうとする人々ばかりで、どこかゆったりとした雰囲気に包まれている。
 心地よい振動に揺られながら、総一は軽く肩をすくめて、「そうだな」と返した。
 駅で別れた正樹と桜子は、並んで家への道を歩き出した。
 総一たちの目の届くところでは言えなかったことも、きっと二人でなら言い合えたはずだ。そこで何を話していたかは総一に知る術はなかったが、戻ってきてからの二人はぽつぽつと会話もしていたし、なにより並んで帰って行ったのだ。
 それが、他人事だとしても嬉しくて、照れ隠しに総一は似合わない憎まれ口を叩く。
「それよりもテストだよ。君塚のせいで今日一日丸々使っちゃったからな、赤点なんか取ったらどうしてくれるんだよ」
「えー、この後帰ってから勉強すればいいんじゃないの?」
「そんなこと、する訳ないだろ」
 とりあえず風呂と飯。それが終わったらすぐに眠ってやる。
 今日一日中、体力的にではなく精神的に疲れっぱなしだった総一は、そう心に決めるのだった。

   ●

 太平洋のほぼ中心。
 六年前にあった大津波の影響によって、ほぼ建物が水没してしまったハワイから西に二千キロメートルほど離れた場所に、それはあった。
 尋常でない大きさのそれは銀色の岩盤だ。宇宙から見れば肉眼でも確認できるほど巨大な。言ってしまえば、金属でできた一つの島だ。
 真実を語って、誰が信じるのだろうか。だがしかし、それは事実起こったことだと言わざるを得ない。何よりも確かな物証が、ここにあるのだから。
 そう、その島こそが全ての原因、この物語の元凶である―――

『太平洋隕石』である。

 岩盤を叩くカツカツという音が近づいてきても、その女性は目線を向けることさえしなかった。
 女性に近づいて行った青年も、それを気にすることなく一方的に後ろから告げる。
「ボク、彼に会ってくるよ」
 その慣れ親しまない分子の振動による情報伝達方法は、無表情だった女性の眉を不愉快そうにひそめさせた。
『それ、お止めなさい。下劣な品種の模倣は私たちの誇りに傷を付けます』
 言語を用いずに、相手の意志が自らの中に『発生』する。彼らにとっては当たり前の感覚に、しかし青年は首を振る。
「それはおかしいな。それじゃあ、ボクたちの姿に矛盾することになるよ」
 手を大仰に振り、人間そのものである自己の姿を誇示するように青年はくるりと回った。自身の膝ほどまで届く長すぎる髪の毛が、体の後を追ってぶわりと広がる。
 それは彼の眼と同じ、磨いたナイフの煌きのような銀色だった。
 辺り一面の景色はどこまでも海。それを飽きることなく眺めている女性はただ一言。呆れたように『勝手にしなさい』と言った。
「……」
 青年は踵を返すと、何も言わずに去って行く。その顔に、幼児のような無邪気な笑みを浮かべて。
 カツンという足音が、一歩、二歩、三歩。
 何も聞こえなくなったところで、女性は後ろに振り返った。
 見渡す限り銀色の岩盤。どこまでも平らなそこに、人影は一つも無い。
「本当に、あなたたちは言うことなんて聞きやしないんだから……」
 声は風の音にかき消されて、聞くものは誰もいない。
 どこまでも続く青い景色に、銀色の髪が揺れていた。
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