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第十四幕「正義の理由」


 しばらく歩いた後、隣の綾人が自分から話を切り出す気が無いことを感じた総一は、自分から口を開いた。
「それにしても、バイトが同じ……とはね」
「あの言い訳で何か問題でもあったか?」
 綾人は、まるで総一がそれにNOと答えることを把握しているかのように、当然のことだと言わんばかりに聞き返してきた。総一にはそれが少し癪だったが、問題ない以上そのまま返すしかない。
「いや、そんなことはないけどな。ただ、俺はまだアンタらの『組織』に入るなんてことを、一言足りとも言ってないはずだったと思ってね」
 綾人が足を止める。それにならって、総一は振り返って彼を見た。
 彼の意志の強さを体現しているような瞳は、真っ直ぐで真摯な意思を秘めて、奥深く輝いている。真一文字に結ばれた口元、寄せられた眉根。その表情一つだけで、彼はこの場で下らない冗談を言わせなくさせていた。
「じゃあ聞こうか、高崎総一。お前は、この前自分が連れていかれた胡散臭いこと極まりない『組織』に、『入らない』という選択肢を取った場合について考えたことがあったのか?」
「……それは―――」
 無い、と断言することが、総一にはできなかった。
 『力』を使える場を一刻でも早くと求め続けていた総一にとって、その選択肢は絶対に選べない、いや、選びたくないものであったからだ。
 それほどまでに、自分の新しいもう一つの姿――《キャスト》の力は彼にとって魅力的だったのだ。
「俺には分かる。お前は今、戦いたくて仕方ないんだ。理不尽なほど大きな、世界に対して無遠慮なほど暴力的な『力』を合法的に振るいたくて仕方ない。だから、お前は『組織』に入らないわけにはいかない」
「なっ……!」
 あまりにも的確に自分の内面を指摘され、総一はうろたえて一歩後ずさる。それを追うように綾人も一歩前に出た。
「どうして……そんなことが分かるっていうんだ! 考えたさ、俺だってアンタらの『組織』に入らない可能性だってな! でも、他から聞いた話から、アンタたちは前もって民間人が安全になるように計画していたらしいと思った。事実、俺のクラスメイトたちに大した怪我人はいなかった……。それなら問題ないと思った。それがどこかおかしいってのか!?」
「ああ、おかしいさ」
 総一の叫びを、綾人は一蹴する。
 夕焼けの逆光で陰る綾人の顔の中で、全てを射抜くような眼だけが輝いていた。
「お前の言う計画性とやらは、クラスメイトを助けた自衛隊員たちの事だろう? 確かにあの場は事前に人払いをしていたし、君たち以外の公園にいた人物は全て『組織』の関係者だ」
「それなら――!」
 臨海公園での一件の最中。避難した生徒たちが逃げた先の駐車場で、総一が逃げて来ないことに気付いたのは正樹と桜子の一軒の話から察するに、皆が揃ってからそう時間が経ってからのことではないだろう。
 その上で、弥生はこんなことを言っていた。
『まぁ、そのすぐ後に事情説明とかをしに自衛隊だって言う人が来てね、高崎君が無事に別の場所で保護されたっていうのも聞いて―――』
 すぐ後。逃げ出した教師の誰かか、それとも公園にいた誰かが警察に電話をかけたと考えても、自衛隊まで派遣されるのはどう考えても異例だし、行動も早すぎる。
 『組織』の施設での鹿島の話でも、全てが計画的に行われていたのは明白だ。
 しかし、綾人はそれは『組織』の信用に足る情報にはならないと言い放つ。
「お前も気付いてないわけではないだろう? 彼らが助ける『民間人』の中に高崎――まだ何も知らなかったお前自身が入っていなかったこと。そして、さらに言えば怪我人が出なかったことなど所詮は結果論だ。不自然に見えない程度に散りばめられら隊員たちでは、全員をカバーすることなどとてもできなかっただろう」
 真っ当な正論だ。
 自分のことだけなら、総一にも言い返すことができなくはなかったかもしれない。しかし、クラスメイトたちにも数や程度が少なくとも怪我をした者がいるのだ。
 それに目を瞑って、自分の都合のいい考え方に偏って考えていたのは紛れもない。総一がそう『組織』のことを信じたかったからだ。
『自分が信じていいくらい、いい組織だったのだ』と。
「なんなんだ……。なんなんだよ、お前は。あの鹿島って男は俺のことを勧誘したいみたいな話をしていただろう。そういうつもりだったんじゃないのか? 本当はまだ何かあるのか? それとも、お前の考え方だけが違っていて、俺を『組織』に入れたくないと?」
「そういうことじゃない。お前はまだ、何も分かっていないからだ。『組織』のこと、人類の敵である《顔無し》のこと。そして、変わってしまった自分のことでさえ」
 淡々とした綾人の言葉は要領を得ず、総一はそれが意味するところがほとんど理解できなかった。
 分かっていない。それはそうだ、総一はまだそのどれに対しても詳しい説明を受けていないのだから。こんな問答を繰り返すことに意味を感じることなどできない。むしろ、それらを少しでも教えるのがこの場での筋ではないのか?
「……結局、何が言いたいんだ? そんなことを言うためにうちの学校に転入してきたのか?」
 苛立ちを隠しもせずに総一は言った。
「知らないからこそ、お前はまだ引き返せる可能性がある。だから、今のうちに聞いておきたい。……覚悟があるのかを」
 冷静で、落ち着いた綾人の言葉。しかし、そこに込められた感情が一際強さを増したように感じられた。その発言がただの注意や忠告ではなく、もっと重いものなのだと暗に理解する。
「何の覚悟だ。命を懸けて戦う、なんてのなら、とっくにできてるつもりだが」
「違う。さっきも言ったが、『組織』ではお前の命は守る対象から外される」
「だから、命の問題なら今言ったことと―――」
「同じじゃないんだ!」
 張り上げられた声。
 先ほどまで総一に対して突き詰めるような勢いのあった瞳は、いつの間にか深い後悔の色に染まっている。
「俺たちが戦う敵は《顔無し》だ。それを倒すこと、その存在を秘匿することは『組織』において何よりも優先される。それと天秤にかけるものが戦うものの命であってもだ。つまり……人間は、味方とは限らない……」
 ギリッという歯ぎしりの音が聞こえそうなほど、綾人の顔は強張っていた。その表情が向けられているのは総一ではなく、もっと別の、彼にとってとてつもなく大きな何かであろうことが分かる。
 顔を俯けていた綾人が顔を上げた。逆光に照らされた端正な顔は、本人の言葉通りの覚悟で固められている。
「人に……仲間に、命を蔑ろにされる覚悟はあるか?」
 その表情に、嘘で答えることなどできない。いや、そうさせないだけの力がこめられていた。
 だから―――
「俺には……無理だ」
 高崎総一は、自分の思う通りのことを言った。


 それを聞いて、綾人はふぅと肩の力を抜いた。安堵したように言う。
「それがいい。そもそも俺は、あんな了承も無い形で『変換』させることにだって反対だったんだ。しばらくは監視が付くだろうが、今まで通り普通の生活を―――」
「え、おい! ちょっと待て!」
 綾人が、総一は『組織』に入るのを諦めた、という前提で話しているのに気付いた総一はあわてて制止をかける。
「なんだ?」
「なんでそんな変な方向で話を進めてるんだ。『組織』には入れてもらうさ、そりゃあ」
 当然だと、心外だとばかりに言い放つ。
「なんだって? しかし、今自分で無理だと言ったばかりじゃないか。だったら……」
「ああ、無理だ。自分の命なんてそう易々捨てられるわけじゃないし、それが自分の意思の及ばぬところで決め付けられるなんて真っ平ごめんだ。仲間に見捨てられたりとか、蔑ろにされるなんてことも。まだよく事情も分かってないのに、簡単に割り切れるもんじゃない」
 命を懸けて戦うということと、他人に蔑ろにされること。それは綾人の言っていたように全く違う。自分で納得して、自分が望んだ状況の上でこそ命を懸けることができるのだ。その行為は決して命を安く見るということではない。
 そんな覚悟は、簡単にはできない。
 しかし……それがなんだというのだ。
「でもな、お前が言ったんだ。その通りだよ。俺は今、戦いたくてしょうがない。この『力』を使いたくて仕方ない」
 そう言いながら、総一は苦笑した。そんな自分を嘲笑するように。
 そうだ、認めてしまえば大したことはない。
「その覚悟は、なくちゃいけないのか? 『組織』なんて、そこに入りたい俺が言うのもなんだが今の俺から見たって十分に胡散臭い。別にそこに忠誠を誓ったりするわけでもない。だったら、実際そうされた時に考えればいい」
 綾人は無意識にこぶしを握り締めた。爪が食い込んだ痛みで気付く。
 自分は苛立っている。
 脳裏に蘇る光景。二度と元に戻らないもの。どうしようもなかったこと。無力と絶望。
 あの結果しか無かった、どう頑張っても何も変わらなかった、後悔すらできない圧倒的な現実。
「それじゃあ遅いんだ。もしも現実になった時、お前はどうする? 命を捨てて何かをすることを強いられるかもしれない。逃げたら誰かが死ぬという状況に、無理やり追いやられるかもしれない」
 いつの間にか、二人の立場は逆転していた。
 綾人は苛立ちをぶつけるように言葉を吐き出し、総一は段々と落ち着きを取り戻し始める。
「そんな状況で、覚悟も無しに自分の仕事を全うできるのか? 『組織』のために、自分の命を投げ打って」
 無茶なことを言っているな、と綾人は思う。
 今、自分が口にしていることは説得などですらない。ただ、昔の自分に似た『無知な新人』に八つ当たりしているだけだ。
「さぁな、そんなことはなってみないと分からない。実際にそんなことになったらショックだろうし、反発だってするかもしれない。でも、今、そういうことがあると知ったおかげで、諦められるようにもなった……かもしれない」
 そこで綾人はやっと気付いた。夕陽を真正面から受け止める総一の眼の、ぎらぎらとした輝きに。
 綾人が理性や意志を秘めているとするなら、総一のそれに秘められたのは野生と欲望だ。
 まるで彼の《キャスト》と相対しているかのような、黒い威圧感に一瞬気圧される。
「諦める……だと?」
「そうだ。仕方がない、自分にはどうしようもない、その仕事とやらを果たして死ぬしか自分には価値が無い。そう考えることができるかもしれない」
 口元を隠すように当てられた手の隙間から、ちらりと見えた口端が心底嬉しそうに吊り上っていたように見えた。背筋に走る悪寒。
 今すぐに『変換』して、目の前の相手を切り捨てたい衝動に襲われた。
 先ほどとは違う理由でこぶしを握る。手にじっとりとかいた汗が気持ち悪い。
「でも、戦うことは諦められない。自分でも何故だか分からないが、そこだけはどうしても譲れない。もしこの答えで『組織』に入れなかったとしても、俺はどんな手段を使ってでも戦う方法を見つけてやる……!」
 結局そういうことなのか、と綾人は思う。
 今までの問答もウソを言っていたわけではないだろう。自分の命を天秤から突き落とされた時の、偽りざる高崎総一の本音。しかし、本当の答え――彼の中での優先順位は最初から決まっていたのだ。
 日常を他人事にして、心から待ち望んだこと。それと命を天秤にかけて、どちらに傾くかなんてことは分からない。
 でも、どうしたって諦めきれないのだ。『力』を使うという非日常を。
「お前もすでに、《アクター》だってことか……」
 忘れていたわけではない。自分『たち』が人間ではなくなっていること。
 それでも、何も知らないなら、ほとんど戦いを経験していない今なら、まだ戻れるのではないかという淡い期待がどこかにあった。
 すでに手遅れのはずの自分が持ったその期待は、一体誰のためのものだったのか―――。
「《アクター》?」
 何度か聞き覚えのある単語に総一は首を傾げる。確か、あの鹿島という男が口にしていたはずだ。
「俺やお前のように『変われる』奴のことを『組織』ではそう呼んでいる。お前もこれからそう呼ばれることになるんだ。覚えておくといい」
 数拍の間。
 総一は、今自分が言われた言葉の意味を把握できなかった。
 綾人がどこか悔しそうに自分を見ている理由も、その手がこちらに無遠慮に差し出された理由も。
「これからって……それじゃあ……?」
「ああ……。高崎総一、お前を『組織』へ連れて行こう。新しい仲間として」
 差し出された手は待ち望んだもののはずなのに、総一はそれを握るのを一瞬だけ躊躇した。今になって何かを恐れたわけでも、引け目を感じたわけでもない。
 ただ―――
「……最後に……」
「ん?」
「最後に、少し質問していいか?」
「あ、ああ……」
 手を突き出したままの綾人は居心地悪そうに頷く。
「さっきの覚悟、お前はできていると思っていいんだよな?」
 考えてみればあまりにも今更な問いに、綾人ははっきりとした声で答えた。
「……ああ、そう思ってくれて構わない」
「じゃあ、そんな覚悟をしてでも、お前が『組織』に居続ける理由は何だ。……一体、何が理由でお前は戦っているんだ?」
 今、聞いておかなければと思った。
 綾人に敗れたあの時から、ずっと考えていた。こんな、大きすぎる力を抱えて未知の怪物と戦い続ける。それはどんな気持ちなのだろう。なぜ、そんなことを続けていられるのだろう。
 自分のように、『力』を使えること自体が楽しいのだろうか。それとも、何か別の理由があるのか。それが知りたかった。
 綾人はじっと総一の眼を見つめた。その間手は微動だにせず、総一はまるで時間が止まったような錯覚に襲われる。
 その口がようやく開いて出てきた言葉は、総一の予想だにしない答えだった。
「理由なんて、考えたこともなかったな」
「は?」
 目の前の、さっきまで自分に命を捨てる覚悟を説いていた少年は、余りにも堂々と言い放つ。
「正しいことをするのに、わざわざ理由がいるのか?」
 そんなものは必要ないとでも言うかのように。
 おかしいだろう、それは。大層な覚悟は要るのに、行動自体には理由が無いなんて。
 いや、と総一は思い直す。
 そうではない。きっと、彼にとっては『正しい』というだけで命を捨てて行動するに値するのだ。自分が、『力』を使って戦うことを何事にも代え難かったように。
 試しに、総一は聞いてみた。
「その『正しいこと』っていうのは、誰の基準で決めてるんだ?」
「そんなの、自分に決まってるだろう。自分で決めた基準に則っているからこそ、納得して、覚悟もできる。理由にはならないかもしれないが、俺は常にそういうつもりで戦っている」
 気が張っていた時には気付かなかったが、彼のセリフはいちいち芝居がかっていて、総一は思わず吹き出しそうになる。
 その微妙な表情の変化に気付いたのか、眉根を寄せて手を引こうとした綾人の右手を、一瞬早く総一は握った。
 笑みを顔に浮かべて、強く、しっかりと。
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