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第十六幕「ようこそ、君が望んだ世界へ(2)」


 透花の第一声は、意外にも謝罪の言葉だった。
「すみません、こんな時期にお呼び立てしてしまって」
 それが中間試験のことを指していると気付くのに数拍もかかってしまった総一は、片手を振って否定する。
「いや、こっちもそっちのことが気になって勉強に集中できなかったから、むしろありがたかったよ」
「本当は試験期間が終わるのを待ってから、ちゃんとした説明の場を設けようという話になっていたのですが、そういうわけにもいかなくなりまして」
 透花の顔には、いつもながらに表情らしいものはほとんど浮かんでいない。実際、言葉の上では謝っている今も、悪びれたような畏まった響きは微塵も含まれていなかった。
「と、言うと……敵襲か何かなのか?」
 しかし、その眉が以前よりも僅かに緊張に顰められているように総一には見えた。
「それだけなら、こちらだけでなんとかなったんですが……」
 下校中の生徒たちに混じって、駅の改札を通る。
 ホームの上で、総一を見ずに視線を前に向けたまま、透花は続けた。
「《顔無し》に複数の種類がある……という話を覚えていますか?」
「ああ」
 《顔無し(ノーフェイス)》――一度総一自身が戦った、『銀色の巨人』。
 八メートル近い、液体金属でできたような揺らめく巨躯。破壊しても、周囲の物質を吸収して再生する特殊な能力。そして何より、木を薙ぎ倒し、地を抉る怪力。
 目の前で拳を振り上げられた時の恐怖を思い出し、背筋が無意識に震えるように痙攣した。
「確か、『クレイマン』とか『マリオネット』とか言うんだったか」
「ええ、そうです」
 電車に乗り込みながら、透花は言う。
 電車の中は、総一たちと同じく試験帰りの学生や、外回りの最中だろうサラリーマンなどで混み合っていた。ドアの前の手すりがあるスペースに背を預けて、透花は総一を見上げる。
 サラリとやわらかく流れる切り揃えられた前髪。冷たい切れ長の瞳は長い睫がヴェールのように被さっている。怖いくらいに整然とした顔立ち。
 総一はさっきとは違う理由で、胸が鳴るのを感じた。
「『クレイマン』というのは、高崎さんが先日戦ったものです。巨体で鈍重。頭も良くなく行動も単純なため、単体ではほとんど脅威にはなりません」
 そのセリフに、総一は思わず割り込んで言った。
「脅威にならない……?」
 確かに、最初から《キャスト》の力を上手く扱えていたなら、《顔無し》の弱点というべき『核石』が頭部にあることを知っていたなら、倒すのはそう難しくなかったのかもしれない。
 だが、たとえそうだとしても、あの死ぬ気で戦った時のことを酷く簡単に扱われたような気がして、総一は心中穏やかでは無かった。
 そんな彼の様子を意に介するわけもなく、透花はさらりと断言する。
「ええ、率直に言ってしまえば、『クレイマン』だけなら《アクター》がいなくても現代兵器だけでなんとかなります。というか、本当はそちらの方が都合がいいくらいです。爆風や大きな音が出ますので、海上での戦闘は派手なことがあまりできませんし、お金もかかるので現実にはなかなかそういうわけにもいかないんですが」
 最後に妙に現実的なコメントを付け足され、総一は反論する気が削がれてしまった。
 まさか、こんな非現実的な怪物の話をしている最中にまで、お金がどうのという言葉を聞くことになるとは。
 まぁ、考えてみれば自衛隊が関わっているというのにそちらが何もしていないというのはおかしいのだ。そこが説明されたのだから、特に文句などがあるはずもないのだが……。
 透花はそこで話を一区切りし、黙って電車を降りた。総一も後に続く。
 山手線内回りに乗り換える、その道順には覚えがあった。
 先週も、全く同じ順路で正樹たちと遊びに来ていたこと。その時とは全く違う自分の心境、全く違うシチュエーション。そのギャップに、総一は含み笑いを漏らす。
 それを隠すように、総一は吊り革を掴むと話の続きを促した。
「じゃあ、『マリオネット』っていうのは?」
「『マリオネット』は、『クレイマン』の上位個体です。ややサイズは小さくなり全長は5メートル前後、その代わりに動きはかなり俊敏になります。『クレイマン』10体に対して1体ほどの割合でやってくるので、小隊長のような役割だと考えられています」
 その説明にはいくつか疑問に思うところはあったのだが、一番気にかかったのは『10体に対して1体』という部分だ。
 さっきも彼女は、『単体では』と言った。自分が初めて相対した時に1体だけだったために想像もしていなかったが、もしかすると『奴ら』はかなりの団体様でお越しになるのかもしれない。
 総一は、口元に隠すように手を当てる。
「『マリオネット』の大きな特徴として、個性があります」
「個性?」
「『クレイマン』1体しか目にしていない高崎さんには実感の湧かない話でしょうが、『クレイマン』は全てあのゆるやかな人型をしています。大きさには多少差があるとはいえ、それは変わりません」
 その名の由来の通り、粘土で子供が作ったような簡素な人型を、総一は思い出した。
「『マリオネット』には一体一体に個別差があり、より人体に近く武器のようなものまで扱うもの、動物を模したもの、果ては人間の作った機械のようなものまで様々です。全身銀色の、金属質な身体は変わりませんが」
 そこで、透花は何かに気付いたように総一を見上げた。
 その冷たく無感動な瞳をほんの少しだけ細めて、彼女は言う。
「……楽しそうですね」
「え?」
 総一の手は、口元に手を当てたままだ。
「戦えるのが、嬉しいですか?」
「……」
 彼女にしては珍しく感情の込められた言葉に、総一は息を呑んだ。その手に一瞬力が入り、そしてゆっくりと顔から離れる。まるで、看破されている相手に隠すのは無意味だとでもいうかのように。
「ああ」
 その、堂々と晒された口元は、妙に満ち溢れた自信に歪んでいた。
 まるで悪びれた風もなく、肩をすくめて言い放つ。
「嬉しいよ。それに何か問題が?」
 言われた透花の表情はどこまでも硬く、漂う雰囲気と自分に向けた視線からは嫌悪の念まで見て取れた。
 しかし、総一から言わせればそれは心外。もっと言えば、軽い失望すら胸の中に浮かんでいる。
 そもそも、総一に『仮面』を渡して戦えと言ったのは彼女なのだ。
 そして今、こうして連れて行かれている理由は、まず間違いなく戦うためだろう。
 怖気づいているというのならともかく、意欲的なことを責められる謂れなどあるはずがない。ましてや、自分を非日常に連れ込んだ彼女がそれを言うなどもっての外だ。そんな資格は、彼女にありはしない。
 冷たい視線に少しも気圧されることなく、総一はじっと強く透花を見つめ続ける。
「……別に、何もないです」
 結局、透花はそう言って総一から視線を逸らした。
 それから品川の駅で降りる旨を告げるまで、彼女は終始無言でいた。
 駅の出口を過ぎたところで、総一は辺りを見渡す。先週に来たばかりの駅前は、目新しいものなどあるはずもない、が。
 いい加減聞いてもいい頃合いだろうと、前を歩く透花の背中に問いかける。
「なぁ、俺たちはどこへ向かってるんだ?」
 透花は総一をちらと振り返ると、しかし足を止めずに答えた。
「『組織』の施設へ行くためには、必要な順路があります。貴方も行ったことがある場所ですよ」
 どこのことを指しているのか、察するのは容易だった。
『ジオグランシティ』
 先週、君塚弥生の父親のコネクションで得たチケットを使って遊び倒した、開発中の室内テーマパーク。
 未だ工事中のカバーに覆われた建物の中に入れば、電子基板のような模様が全体に隈なく描かれたドームが広がっている。
 関係者やその家族だけとはいえちらほらと人影が見えた前回とは違い、中は全くの無人だった。
 前回はチケットと引き換えに受け取ったブレスレット型のICパスで入場したが、今は受付も無人である。どうしたものかと透花に視線をやると、彼女は自分の定期入れから一枚のカードを取り出して総一に手渡した。
 Suicaのような少し厚みのあるカードの裏は白一面で、表には黒地の中央に『GUEST』と印刷されている。なんとも簡素な装丁のものだ。
「本当なら正規の通行証を用意するはずだったのですが、それも間に合いませんでした。とりあえずはこれを使ってください」
 アトラクション性の欠片もない地味なカードをゲートに掲げ、地下へと降りていく大型エレベーターに乗り込むところで、総一ははたと気が付いた。
「そういえば、なんで知ってるんだ?」
「はい?」
「俺が、ここに来たことがあるってことをだよ」
 そう言うと、透花はしばしの間黙って総一の顔を見ていた。いつも無表情な彼女は判別が難しいが、それは表情が無いというよりは呆れてものが言えない時の顔のような気がする。
「高崎さん。貴方は今まで、自分に全く監視が付いてないと思っていたんですか?」
「……あ」
「私や綾人君が霞ヶ丘高校に編入するより前にも、貴方の行動はもちろん監視させていただいていました。それは私たちや《顔無し》の存在を秘匿するために必要な措置でしたから、謝りません」
 ガコン、という低い音がしてエレベーターの扉が開く。
 無人の遊園地の中に少女が一人降り立って振り返ると、腰まで届く真っ直ぐ過ぎる黒髪がふわりと体に遅れて広がった。アトラクションから浴びせられる紫がかった光が、彼女の横顔をより幻想的に映し出している。
 まるでこの世のものでは無いかのような、端正に整い過ぎた顔立ち。
 きっと、それがあまりにも現実離れしていたから、呆けたように総一は独り言みたいに聞いていた。
「君は……《アクター》なのか?」
 一瞬、透花の眼が大きく見開かれた。今までに見せた欠片のような感情とは違い、怒りとも驚きとも言いがたい、なんと呼んでいいのか分からない形の無い感情の表れ。
 目を閉じて、自身の胸を掴むようにして感情を押し殺し、再び出た声はやはりどこかおかしかった。
「……さぁ、どうでしょう」
 それは、隠しているとか言いたくないとか、そういう言葉の響きでは無い。
 本当に分からない、という。自分のことなのだからそんなことは有り得ないと思いつつも、総一にそれ以上問いただすことを躊躇わせる深刻な響きを伴った何か。
 それが何なのか総一が察するより先に、その話は終わりだと言わんばかりに透花は踵を返す。
「ここから、さらに下に降りてもらいます」
「……」
 総一は、黙ってその後ろに付いて行った。
 『STAFF ONLY』と書かれた扉を抜けて、表の煌びやかな装飾とは一転した白無地の壁紙の廊下を歩く。
 間もなくたどり着いたのは、またしてもエレベーターだった。しかし、ここまで下りた大型のものではなく、普通にマンションなどで見るような十数人程度が乗れるサイズのものだ。中に入って扉が閉まると、軽い浮遊感と共に動きだす。ボタンは無い、ただ上下階を行き来するためだけのものなのだろう。
 どこまで深く潜るのかと不安に駆られる総一の思考とは裏腹に、それほどの時を待たずして――マンションで言うならば五階分程度だろうか――エレベーターは停止した。
 そこは、駅だった。
 そうとしか言えない。地下鉄の駅そのままに、トンネルの中をどこまでも伸びる線路と、見たことも無い列車が総一を待ち受けていた。
 明るい青を基調に銀の線が走るその列車は、山手線などで見るものより若干短く四両ほどしか無い。地下鉄には珍しく、その先頭車両は新幹線のような流線型をしている。
 総一はそれを見て、若干うんざりした調子で呟いた。
「また移動か……」
 すでに、学校を出てから一時間近くが過ぎている。このままでは、施設とやらに着くより前に疲れてしまいそうだ。
「これで最後ですよ」
 そう言って乗り込む透花の背中を見ながら、ため息を吐いた。口でどうこう言おうと、引き返すなどという選択肢は元から無いのだから。
 総一が乗り込むとほぼ同時に扉が閉まり、勝手に電車は動き始めた。
 速度が上がり切るまでの少しの間、総一は電車の前方を眺める。段々と、自分がどこへ向かっているのか分かりかけてきた気がした。
「そういえば、話が脱線しまくってたけど、結局俺が行くのはその『マリオネット』が手強いからってことなのか?」
 先に座った透花から、近くも遠くもない距離を開けて腰を下ろす。
 こんなに綺麗なのに他に人が誰もいない電車の中は、どこか居心地が悪くて落ち着かない。
「いいえ、それだけじゃありません」
 透花は少し前の床をじっと見つめている。
「今回やってくる編隊には、『マリオネット』よりもさらに上の『ビスク』というタイプが含まれています。正直、それには綾人君でも勝てるかどうか分かりません。純戦闘型の《キャスト》であっても勝率は五分にも届かないでしょう。一対一なら……高く見積もっても三割……」
 淡々と、感情を込めないままに透花は言った。
「……なんだって?」
 そのセリフは、今までどこか安穏としていた総一を戦慄させた。
 あの、自分をあっさりと圧倒して退けた白城綾人――彼の《白騎士》であったとしても、負ける確率の方が高いという。そんなでたらめなものと、いきなり相対しなければならないのか。
 急激に増した危険の匂いに、総一は喉を鳴らして唾を飲み込む。
「その、純戦闘型の《キャスト》ってのは、白城の他に何人いるんだ?」
 頭のどこかで、答えに予想は付いていた。
 こんな、戦闘経験はほとんど無いに等しい、《キャスト》というものの説明すらまだ受けていない。ズブの素人と言っていい総一の手すら借りなければならないほど状況。
 満足に人が足りているとは、とても思えない。
 しかして、透花は絶望を口にする。ただ、事実を朗読するように淡々と。
「綾人君の他に、戦える《キャスト》は貴方一人です。高崎総一さん」
 見上げる瞳は、死人を見下すように冷たかった。
 茫然としたまま、どれほどの時間が経っただろうか。
 徐々にスピードを落とす電車に合わせて透花は立ち上がる。
 電車が止まって扉を開く音がしても、総一は立ち上がれなかった。先に出てしまった透花を首だけを動かして目で追えば、すでに先の扉の中に立って、総一をの方を向いた彼女と目が合う。
 彼女は何も言わなかった。強制も脅迫も、何もなかった。
 ただ、総一のことを待っているだけ。『仮面』を差し出したあの時のように、ただじっと見つめているだけだ。
 総一は自分の手を見下ろす。震えていた。当たり前だ。どう考えてもここで立ち上がるのは自殺行為以外の何でもない。怖い。行くべきではない。そうしたなら、自分は死ぬかもしれない。
 なのに、総一は立ち上がった。
 それがどうした。
 そう思ったじゃないか。綾人と話したあの時に。
 透花の前に立つ。彼女は変わらない。総一が死んだとしても、眉一つ動かさないかもしれない。だって今も、何の感慨も見せずに総一を迎えたから。
 そういえば、あの時もそれでもいいと思ったんだ。初めて非日常を手に取った、あの時も。
 彼女は半身をずらして、総一に道を開けた。

「それでは高崎さん。……ようこそ、『東京大堤防』へ」

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