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第十七幕「白銀の剣精(1)」


 『東京大堤防』の上に一人。少年が立っていた。
 昼過ぎとはいえ秋の冷たい海風が、びゅうびゅうと音を立てて少年の学生服――まだ新しい霞ヶ丘高校の濃い紺のブレザーをはためかせ、薄い茶の髪をかき乱し、きめの細かいほほを打つ。
 しかし、少年の視線は少しも揺らぐことはない。
 はるか水平線の上。そこに点々と散らばる銀色は太陽の光を反射して、海に写った空に浮かぶ星のように煌いている。
 それは紛れもない彼の敵。着々と侵攻してきている《顔無し》の群れに他ならない。
 監視衛星からの報告によれば、今回の敵の総数は『クレイマン』が96、『マリオネット』が11。そして『ビスク』が隊列より少し後方にて一体、高みの見物でもするかのように控えているという。
 敵は多い。いつもの倍近い数だ。自然と、少年の胸が火傷を負ったように熱を帯び始める。
 その熱を、制服ごと胸を掴むようにして鎮まらせた。
 大丈夫だ。数が多かろうが、敵にどんな強大なものが混じっていようが、自分がやることはいつもと何も変わらない。
 少年は息を大きく、なるべく時間をかけて吸う。一瞬だけ肺の中に留めたあと、唇を尖らせるようにして鋭く吐き出した。
 自分の中の余計なもの――迷いも、悩みも全て抜け出て、研ぎ澄まされていく感覚。
 そうして残ったものは、ただ自分の――人類の敵を斬り伏せるための『剣』だ。何の変哲もない一振りの剣。自分の役割――するべきことはそれだけでいい。それが《アクター》としての自分の在り方だと、白城綾人は自覚していた。
 目を瞑って、彼は右手を真っ直ぐに振り上げる。
 その手が下がり、顔の前を掠めた瞬間。綾人の手には一振りの長剣がいつの間にか握られていた。白銀の人面のような装飾を施された剣は、まるで体の一部のように手に馴染み、その重ささえ感じさせない。
 なぜならそれこそが彼の、『仮面』そのものだからである。
 体と垂直に長剣――いや、『仮面』を携えて、綾人は口を開く。
 さあ、唱えよう。
 自分を変革させる呪文を。

「…………『変換(コンバート)』!」

 自分の周囲が、世界から切り離されていく感覚。
 切り離された世界が、自分と同一化していく感覚。
 それはとても甘美だ。自分の成したい姿に世界が変わっていく。
 春の朝日のような真白い光に包まれながら、綾人は思った。
 高崎総一に問われた、自分が戦う理由。強いて言うならそれは、この瞬間を味わうためなのかもしれないと。
 光の中から飛び出た鎧の欠片が、綾人を中心として上空で旋回する。白銀の地金に金の装飾を施したそれらは、彼を見守る精霊か、巨大な天使の輪をイメージさせる。
 綾人を包み込む白い光をさらに凝縮するように、鎧は次々と彼のもとに再び集まり、人の形を成していく。
 幻想的な光景が終われば、そこには一人の流麗な騎士が立っていた。
 それ自体が一つの美術品のように美しい意匠を施され、太陽の光をさらに増して反射させるような鎧には一分の隙間も見当たらない。
 どこから取り出したのか、いつの間にか手に持っていた長剣は三メートル近くもある自分の身長よりもさらに大きい。幅広で無骨で装飾も無い、持ち主の鎧とはどこか趣の違う両手剣。
 本来ならば重すぎて実用性など皆無であろうそれを、綾人――《白騎士(ホワイト・ナイト)》は片手で軽々と振り上げると、躊躇なく『大堤防』の上から飛び降りた。
 全身を隈なく金属で覆われているとはとても思えない軽やかな動作で、所々の足場を間にはさみながら、《白騎士》は危なげなく海面近くにあるコンクリートでできた開けた場所に着地する。
 そこはドックから延びた《キャスト》用の足場だ。
 『大堤防』から長方形が付き出たような屋内型の巨大なドック。そこからさらに、今《白騎士》が立っている足場が船着き場のように飛び出している。
 普段、陸側から『東京大堤防』を眺めている人々の誰が、ただの堤防のはずの建造物にこんなものが作られていると想像するだろう。
 中を覗けば、そこには何十艇という小型の艦艇やモーターボートが自分の出番を待ち侘びるようにずらりと並んでいた。
 淡いブルーの作業服を着た整備員たちが忙しそうに動き回り、何人かは深緑の制服を着た自衛隊員と何事か言葉を交わしている。
 作業をしていた整備員の一人が《白騎士》に目を留めると、傍に寄ってきて小型の機械を手渡した。大きめのボタンのような小型のスピーカーだ。綾人は軽く礼を言って受け取ると、それを兜の耳のある辺りにぺたりと貼り付けた。
 当然だが、《キャスト》になってしまうと基本的に人間用の機材など使いようがない。収納するスペースなどあるはずもないし、人の形をしていない《キャスト》だっていないわけではない。
 《キャスト》がどのように音を聞いているのかは分からないが――それ以前に、どうやって発声しているのかも分からないのだが――自衛隊で骨伝導の技術を応用して開発した、このような専用の通信機は、出撃した際の意思伝達のために必要不可欠なのだ。
 視線を感じて《白騎士》が視線を下へ向けると、通信機を持ってきた若い――と言っても学生である綾人に比べればかなり年上であるだろうが――整備員は、緊張しているのか強張った顔をして目の前の白銀の鎧を見上げている。
「何か?」
 綾人が問うと、整備員はその声に慌てた調子で体の前で手を振り、
「あ、す、すみません。自分、先週からこちらへ来たもので《キャスト》というものを見るのも初めてで……。し、失礼しました。この後の戦闘、頑張ってきてください。それでは!」
 そう早口にまくし立てて、一つ敬礼をすると呼びとめる間もなく足早に去っていってしまった。
 自分から問いかけておきながら、綾人には半ばその反応に察しはついていた。初めて《キャスト》を見るという人間は、皆同じような瞳で自分を見上げるのだから。
 あの目に込められた感情は、畏怖だ。
 いくら目の前に立っているのが味方だと分かっていても、三メートル近い異形はそんな理解を簡単に凌駕する程の威圧感、そして恐怖を相手に与える。
 はたして彼らの目からすれば、自分たちと《顔無し》にどれほどの違いがあるのかさえ怪しい。
 自分の中に浮かび上がりかけた余分な感情を振り払おうと、頭を軽く振った《白騎士》の視界の端に、見覚えのある人物がちらりとかすめた。
 反射的に手に力がこもる。目は勝手にその人物を追う。篭手がぎしりと、金属が鈍く擦れ合うような音を立てる。
 高崎総一が、雪野透花に連れられてドックと奥に通じる扉から出てきたところだった。
 総一は扉を抜けると珍しそうに辺りを見回し……《白騎士》に気付くと凍りついたように動きを止めた。そして次の瞬間、何を思ったのかニヤリと音がしそうなほど口元を歪めて、嗤ったのだ。
 まるで、親の仇敵でも見つけたかのような嬉しそうな顔で。
 初めて彼の《キャスト》を目にした時に浮かんだ思考が、脳内で再び警鐘を掻き鳴らしている。
 高崎総一は異常だ、と。

 《アクター》になれる人間、なれない人間は、適合確率という数値によって選別される。
 脳波測定、肉体的特徴、血液検査などを総合的に判断し、『組織』の技術部が定めた基準によって『仮面』――ひいてはその中の『核石』と適合できる確率を算出するのだ。
 しかし何よりも重要な、しかも各計測では計り知れない素養がある。精神力とイメージ力だ。
 『変換』を経て《キャスト》として安定するためには、自分の中の確固たる『意志』や自身の具現となるような『象徴』、もしくは異常なまでに特出した『感情』のように、強い心のエネルギーがしっかりとしたイメージとして、本人の中に在ることが何より重要になるのだ。
 そして、そのイメージとは必ずしもプラスの方向に向いているとは限らない。
 いや、むしろ怒りや憎しみという負の感情の方が、限度を超えた強い感情としては表れやすいくらいだ。某国での《アクター》の選別などは、軍人の次に適性を測られるのは犯罪者なのだという。
 《アクター》とは良くも悪くも、そういう何かのタガが外れてしまった者にしかなることのできない異端者だ。綾人が今までに出会ったことのある《アクター》も、良く言えば風変わりな、悪く言えば奇妙な人柄の人物ばかりだった。
 しかし、その人物たちと比べてもなお、高崎総一は異常だと綾人は考える。
 まず思い返せば、その適合確率の高さからしてみても異常だった。
 綾人は四年ほど前に《アクター》となったが、その時には大学病院で脳波や血液などの検査をし、それでやっと確率は八十パーセントを超すというところだった。その数値は《アクター》全体から見て決して低くはない。
 切迫された人員不足に促される形で、学校や一般企業での身体計測などのデータからも《アクター》適正者を探すようになって約半年。
 膨大な量になる学生のデータを一つ一つ照合し、やっと見込みがあると判断された初の人材であった高崎総一は、詳しい検査などするまでもなくその適合確率は八十パーセント台の後半だったという。詳しく脳波などを見れば、九十の大台に乗ったかもしれない。
 これは明らかに異常という他にない。技術部の面々も、最初は測定ミスだと考えて何度も再検査を繰り返したほどだ。
 しかし綾人が総一を警戒するのは、そんな数値上のことだけではもちろんない。

 小型艇などが出撃するゲートからほど近い位置にいる《白騎士》と、最奥の扉の前にいる総一は、いわばこの空間の対極に立っていると言っていい。
 だというのに、総一の顔に映るその笑みは狂気と歓喜に満ちているのがはっきりと見て取れる。
 総一と最初に接触する任務の前に見せられた資料。実際に彼らの社会科見学を監視している最中。そしてこの一週間、彼と一緒に学生生活を送ってきて尚、総一が日常の場でそんな笑みを見せた記録、記憶などどこにも無かった。
 その二面性。それこそが綾人の不安を生みだす最大の要因に他ならない。
 二重人格だった、などというオチならまだ理解できる。片方の人格がもう片方の人格と依存し合い、互いの強い想念によって《キャスト》を発生させる。《双子座(ジェミニ)》という《アクター》を綾人は知っていた。
 しかし、アレはそんなものではない。あのような気質を見せ始めたのも《アクター》になってからなら、あのような気質を見せるのも《アクター》や《顔無し》のような非日常と触れている時だけだ。
 それは、《アクター》としての順序からいえば全くの逆なのだ。
 異常な気質を持つ者が《アクター》になったのではなく、《アクター》になってから異常な気質に目覚める。まるで、ただの一般人が《アクター》となったことで無理やりに『それらしく』仕立て上げられたようではないか。
(まさか……)
 さらに思考を重ねようとした綾人を遮るように、ドック内にけたたましくブザーの音が響き渡る。
 作業員たちも全員足を止めると、ドック内のスピーカーから聞き知った声が聞こえてきた。
『総員、現時刻にて全ての作業を放棄。第二種戦闘配備にて待機せよ。繰り返す。総員――』
 戦闘の全体指揮を執る、鹿島智久の声だ。総一を見ると、鹿島の声に反応したのか《白騎士》から視線を外して天井を見上げている。
 《白騎士》はそれ以上総一に一瞥もくれることなく、踵を返した。
 そうだ、自分がするべきことははっきりしている。それは決して、総一のことについて思案を巡らせることではない。
 今自分に必要なのは、研ぎ澄まされ磨き上げられた剣のような、冷たさと鋭さ。それだけだ。
 海に目を向ける。《キャスト》になり強化された視力によって、敵だけを視界に映し出す。
 出撃を告げる警報が、高らかに鳴り響いた。
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