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第十八幕「白銀の剣精(2)」


 ドン、という腹の底に響くほどの大音が海に轟く。
 その音と共に打ち上げられた百本以上の銀色の『槍』を、《白騎士》は悠然と余裕を持って見上げていた。
「向こうとの距離は?」
 問いかけられる言葉とは裏腹に、高速で走り続けるモーターボートの甲板上には《白騎士》以外には何の姿も見当たらない。
 この、《キャスト》をサポートするためだけに配備されているモーターボートの出で立ちは、どこか質実剛健としていた。
 ボートの前方に片寄って配置された操縦席、その後方に大きくスペースをとられた甲板は、《キャスト》が海上で戦うためには必要不可欠な『足場』だ。自衛用の機関銃が最後方に慎ましく備えてある他には、武装すら搭載されていない。
 同じ型のモーターボートが《白騎士》を乗せているものの他に九艇。濃いグレーに塗装された計十艇のモーターボートは、さながら《白騎士》の駆る駿馬だ。
 《白騎士》の兜に取り付けられた通信機に、この舟に乗っている自衛隊員の声が届く。
『敵先頭との距離は約400です。回避はこちらで行いますか?』
 僅かに逡巡した後、しかし《白騎士》は首を横に振った。
「ここから『跳び』ます。こちらが突入した後は、要請があるまでは後退していてください」
『しかし、それでは足場は……?』
 心配を含んだ声に、答える《白騎士》は僅かに苦笑交じりで言う。
「不幸中の幸いか、今日は向こうの数が多い。しばらくは足場に困ることはないでしょう。『ビスク』に動きのあった時にだけ連絡をお願いします」
『了解しました……。グッドラック』
 通信が途切れると同時に、《白騎士》は甲板の最後尾へと下がる。あまり時間は無い。先ほど打ち上げられた『槍』が雨霰とこの場に降り注ぐまで、あと数分もないだろう。
 しかし、綾人の心には焦りなどという感情は微塵もない。
 なぜなら、ここはすでに戦場。ならば、この身はすでに一振りの剣。
 一迅の剣風のように、鋭く速く《白騎士》は駆け、そして跳んだ。
 ただ助走をつけてジャンプしただけだとはとても思えないほど遠くへ。風を切る紙飛行機のように高く。
 遥か後方に置き去りにした味方の安否の気遣いすら頭から捨て去って、見降ろすのは視界を埋めつくさんばかりの銀色の敵、敵、敵。
 『クレイマン』にどれほどの意思があるのかは定かではないが、突如として物凄い速度で接近してきたそれを果たして認識できただろうか。いや、できていたとしても、とても狙いを付けて撃ち落とせるような速度ではなかった。
 『クレイマン』は陸へ向かって海上を進む際、下半身を舟のような形状へ変形させている。しかしそれでも、海面から上に出ている高さは六メートル以上もある。『銀色の巨人』の名は、海の上でも全くその意味を違えない。
 そんな自分の身長の二倍以上もあるかという巨体を、その『クレイマン』の下半身――舟における甲板の部分に着地すると同時に、《白騎士》は真っ二つに斬り裂いた。濡れた金属のような上半身が、無残にもべろりと左右に垂れ落ちる。
 立ち上がった《白騎士》は、頭部の『核石』を破壊され、目の前で銀色の粉になって頭の先から崩れていくそれに何の興味も持たず、改めて周囲を見渡した。
 4〜5メートル程の均等な距離をとって整然と並んでいる『クレイマン』たちが、ようやく襲撃者の脅威に気付いたのか、上半身を捻じ曲げて《白騎士》の方を振り向く。
 とにかく数が多い。ひしめき合うその光景に、綾人は静かに思考を展開させる。
(『破鋼』では分が悪いか……。まずは数を減らさないと……)
 そんな棒立ちの敵をそのままにしておくわけもなく、周りの十体ほどの『クレイマン』が一斉に腕を振り上げ《白騎士》に向けると、大砲のような音を立てて『槍』を発射した。
 しかし……そんな行動すら、彼にとっては遅すぎる。
 別々の方向に跳ね上がった両腕が、迫る『槍』を難なく斬り払う。
 いつの間にか、目の前の『クレイマン』を斬り裂いたはずの大剣は影も形もなく消え失せ、代わりに両の手に握られていたのは長さ一メートル半ほどの双剣だ。
 無骨で幅広だった先ほどまでのそれと比べ、鋭く薄い二振りの剣はどこかスマートな様相を呈している。
 先の方に行くほど緩やかに反っている刀身は、エジプトやアラビアで使われていたシャムシールという剣に近かった。
 斬るという事に特化した薄刃の双剣。それこそが『壱の剛剣・破鋼(はがね)』に次ぐ《白騎士》の愛剣、『弐の曲剣・双波(ふたば)』である。
 軽やかにその場から《白騎士》が跳ぶ。すでにほとんど銀色の粉の集まりと化していた足場の『クレイマン』が、その反動で敢え無く沈んでゆく。
 次の『クレイマン』に降り立った軸足を中心に回転。足場にされたそれが《白騎士》に殴りかかろうとしていた片腕を、右の剣で中ほどから断ち斬る。その勢いを殺さぬまま跳躍すると、凹凸の無い顔面を左の剣で横薙ぎに斬り捨てた。
 着地すると同時に、再び矢継ぎ早に飛んでくる『槍』を体の動きだけで躱し、踊るようなステップで次の敵へと跳び移る。
 その流れるような動きは全く無駄がなく、正確に、迅速に敵を斬り伏せていく。その姿には動揺や焦り、恐怖など微塵も感じられない。
 ただ機械的に、いかに効率よく敵を倒すのかだけを考える人形のように。しかし人形にはない意志と闘志を。全身を包む鎧から滲ませて。
 《白騎士》の剣の錆となった『クレイマン』が十六を数えた時、綾人は今までの攻撃には無かった悪寒を感じ、半ば無意識に振り返りざま剣を薙いだ。
 ギャリン、という甲高い音と共に、《白騎士》に迫っていた何かが弾け飛ぶ。
 それは今まで『クレイマン』が放っていた『槍』とは、速度も力も比較にならないほど強力な飛び道具だった。
 弾いたそれを目で追えば、それは高速の回転をかけられた円錐型の『弾丸』だった。『双波』に弾かれてなお回転を落とさないそれが、もし命中していたならば、《白騎士》の鎧を易々と貫通し腕や脚を千切り飛ばしていただろう。
 首を巡らして『弾丸』を放った相手を見やる。それは《白騎士》と同じように、『クレイマン』の下半身を足場として立っていた。
 豹や虎など、猫科の動物を思わせる四肢はしなやかに伸び、《顔無し》の特徴として例外でない金属質な体でありながらも生物的な印象を強めている。
 目も鼻も耳も無い顔面に、裂け目のように端から端まで開いた口が笑みにも似た曲線を描いた。
「『マリオネット』……ようやく現れたか」
 一人呟く綾人が見据えたその姿は、一つでは無い。
 《白騎士》と向かい合うように並んだ銀色の獣が、総勢六体。
 即座に、《白騎士》は駆け出した。
 足蹴にしてゆく『クレイマン』には目もくれず、より強い敵を殲滅せよと突貫する。
 戦いはまだ、中盤戦にすら達していなかった。

   ●

 《白騎士》が奮闘を繰り広げている海域から一キロメートルほど離れて、それ――いや、『彼』は立っていた。
 あまりにも長すぎる膝ほどまでもある長髪は、全く乱れを知らずなめらかで、日光と海の照り返しを受けて美しく煌く輝きはまるで貴金属のそれである。
 ひたすら端正な顔はもはや人間のものではなく、髪と同じ銀色の瞳は水銀を落としたガラス玉のように、どこか作り物めいていた。
 どこから見ても人間で、しかし違和感を禁ずることのできないその青年こそ、透花の言っていた《ビスク》というモノの正体である。
 彼はその行為がなんら不自然なことではないと言わんばかりに、ごく自然に海面の上をうろうろと歩きながら、腕を組み眉根を寄せる。神秘的なまでの美貌が思案に歪んでいる。
「うーん、このままだと『ボクたち』がやられちゃうのも時間の問題かな……。マズいなー、最初から出てこないなんて想定外だったよ」
 ちょっと先走り過ぎたかな、と彼は思う。
 彼が以前、彼の棲みかであるところの『太平洋隕石』の上で女性に語ったように、彼の今日の目的は新しい敵――個体名は確か、タカサキソウイチとか言ったか――の品定めである。だからこそ、普段は全て一人で『自分たち』をやっつけてしまう『白いヤツ』が他の者の手を借りなければならないように、今日は大勢で押しかけたのだ。
 だというのに、『白いヤツ』はいつもと何も変わらぬと多勢に無勢をものともせず、今なお余裕をもって立ち回っている。このまま放置しておけば、いつもより時間はかかるにせよ全滅は免れないだろう。
「アイツに興味無いわけじゃないんだけど、今日は違うんだよなー。強いヤツと戦いたがるのはおっさんのポジションだし……。いや、ボクが『白いの』とやってたら、ソウイチも助っ人で出てくるかな……?」
 顎に手をやりさらに考え込む彼の表情は、しかしどこか楽しそうに見える。
「いや、それじゃあ結局『白いの』とも戦わなきゃいけないな。それだとちょっと違うんだよなー。んんー、さて……」
 彼は一つ大きく伸びをすると、悪戯好きの子供がするような無邪気で悪辣な笑みを浮かべた。
「仕方ない。少しだけちょっかい出してみるかな」
 一際強い海風が彼の頬を掠める。だが、鋼糸のように煌く髪は彼の動きに合わせて穏やかにたゆたうだけだった。
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