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第十九幕「紫黒の狂獣(1)」


 次々と襲い掛かる銀色の獣に猛然と立ち向かっていく騎士の姿を、高崎総一は夢見るように見つめている。
 ここは、《白騎士》たちが出撃した後のドックだ。船着き場になっている方からは少し離れた待機室。そこの壁に埋め込まれた大型のディスプレイには、モーターボートに搭載された超遠距離用カメラからのリアルタイムの映像がそこそこ鮮明に映し出されていた。
 時刻はいつの間にか三時を回っていて、十一月も近い秋真っ只中の太陽は、そろそろ下り坂にさしかかろうとしている。
 戦闘が開始されてからおよそ二十分強。手の空いている整備員や自衛隊員に混じって、総一は戦況を映し出しているディスプレイを囲んでいた。
 そのディスプレイの右上には、上空から見た簡単な勢力図のようなものが記号で表示されている。
 横に長く広がり、真っ直ぐに『東京大堤防』に向かって進軍してきていた『顔無し』は赤い丸の大群。そこへ中央から斬り込んでいった《白騎士》は黄色の三角。見守るように後方で待機しているモーターボートたちは青い舟形だ。
 先ほどまで調子よく赤い点を消失させていた《白騎士》の戦いぶりは、ドックから戦況を見守る者たちにとって、さぞや小気味よかったに違いない。
 しかし今、その勢いに陰りが見え始めていた。
「もう少ししたら、貴方の出番かもしれませんね。高崎さん」
 隣に立つ雪野透花の声も聞こえているのかいないのか、総一はじっとディスプレイ――その中で戦い続ける《白騎士》から目線を逸らさない。
 《白騎士》が劣勢になったのかと問えば、誰もがそうではないと答えるだろう。六体の『マリオネット』と交戦している《白騎士》は、その数の差に対して全く臆することなく立ち振舞っている。
 だが、それはあくまで《白騎士》だけとっての話だ。
 横に長く広がった《顔無し》の隊列は一時こそ《白騎士》によってその足を止めたものの、完全に静止したのは戦場となっている中央だけ。左右からじんわりと進行してきている赤い点の群れは、いつの間にか《白騎士》が食い止めている地点よりも『大堤防』側へ迫ってきそうな勢いだ。
 これ以上事態が大きく動かないのなら、後方に控えるモーターボートが進退の選択を迫られるのも時間の問題だろう。
「……高崎さん?」
 怪訝そうに再びかけられる言葉にも、総一は答えない。
 その呆けたような、半分眠っているかのような表情に、透花は見覚えがあった。
 そう、あれは一か月前の臨海公園。《顔無し》を前にして呆然と立ち尽くしていた、この高崎総一という少年と初めて出会った時も、彼はこんな目で《顔無し》を見上げていた。
 あまりにも生気の無い、目の焦点も定まっていない、まるで死人のような容貌で。
「大丈夫ですか? どこか具合でも――」
 さすがにこんな状態では、出撃も何もない。とにかくどこかへ移動させた方がいいのではと透花が考えたその時、出撃前と同じくドック内のスピーカーからブザーの音が轟く。
 全員の意識が耳に向いた後、鹿島智久の声が響き渡った。
『《顔無し》の接近に対し、こちらから追撃をかける。A4、B11、B13、C3は、《アクター》・高崎総一と共に第一種戦闘配備にて待機』
 復唱を終えて通信が切れる。ディスプレイの前にたむろっていた整備員や自衛隊員たちがいそいそと持ち場に戻ると、その場には透花と総一だけが残された。
 透花が総一を伺い見ると、彼はディスプレイから目を離し、さっき放送があった時と同様に天井の辺りを見上げていた。まるで、その向こうの鹿島を見るかのように。
 透花は、その様子を見てめったに感じることのない不安に襲われた。
 今の彼は、学校などで見せる普段の様子とも、以前に鹿島の執務室で見せたような高揚した様子とも違う。何がそうさせるのか透花には見当もつかなかったが、感情を感じさせず夢遊病者のように佇む姿は、これから戦いに赴くようにはとても見えない。
 このまま行かせても犬死にさせるだけなのではないか。透花の胸にそんな考えが浮かぶ。
 しかし、その考えを行動として形に移すより先に、口を開いたのは当の総一であった。
「俺は、どうすればいい?」
 逡巡は一瞬。透花は待機室の扉の向こうを指差すと、持ち前の抑揚のない声で総一に説明した。
「……向こうに並んでいるモーターボートは分かりますね? A4と書かれたものがその中にあるはずですので、それの操縦者から詳しい話を聞いてください。そちらの方に、これからの指示が入るはずです」
 透花の言葉を聞くでも無く聞き流すと、総一はそれ以上透花には何も言わずにモーターボートの並ぶ方へ向けて歩を進めた。
「…………」
 彼を止めることは、今しかできないはずだ。
 物理的に彼を止めて何か呼びかけるでも、鹿島に一言連絡を入れるでも、対処する方法はいくつでも思いついたはずなのに、透花はそれをしなかった。
 雪野透花は、自分が人よりも感情に乏しい人間だということを自覚している。
 それにはそれなりに理由もあるし、特に必要だと思わないから直そうともしない。だが、それが人に対して好印象を与えにくいということは理解していた。
 しかし、そんな彼女から見ても今の総一は人として不確実で危うく感じられる。その事に触れることすら、躊躇ってしまうほどに。
 思っていたよりもしっかりとした足取りで去っていく総一の背中を見つめながら、一人残された待機室で、透花は恐怖にも似た不安を拭い去ることができなかった。

   ●

 映画の中でしか見ないような、軍隊の基地そのものといったドックの中を進むと、A4と書かれたモーターボートはすぐに見つかった。
 右側から大きくぐるりと回りこみ、前方の操縦席の方へ向かう。自分をこれから戦地へと送り出すそれを眺めながら、ゆっくりと。
 先ほどまで見ていた映像にも映っていたが、やはりこのモーターボートは特殊だ。
 縦幅10メートルほどあるボートの後ろ側を半分以上使った甲板は、異様にがっしりと、鎧のように組まれている。《顔無し》のような異形のはびこる戦場へ行くというのに、武装は最後尾に取り付けられた大型の機関銃だけ。防御力は高そうだが、戦力としてはこころもとないと言わざるを得ない。
「やあ」
 かけられた声に視界を回すと、操縦席から甲板へ続く扉から男が顔を覗かせていた。
 慣れた調子で甲板から総一のいる足場まで飛び移ると、男は総一へ歩み寄り、にっこりと微笑みかける。
「君が高崎総一君だよね? 僕はこれから君のFP(フットパートナー)を務めることになった沢村睦月。よろしく頼むよ」
 そう名乗って片手を差し出した男――沢村睦月は、二十代中頃ほどの青年だった。背は総一よりも少し高いくらい。サラサラの黒いストレートヘアで、黒く厚いフレームのメガネをかけている。
 初対面の人間にも気さくに接する態度は北里正樹を連想させたが、睦月は彼よりもいかほどか控え目な印象を総一に与えた。
「フットパートナー……?」
 差し出された手をほぼ儀礼的に握り返しながら、総一が問う。
「ハハ、言い方はカッコつけてるけどね。行ってみれば、君担当の『踏み台』ってところかな」
 苦笑しながら、睦月は総一から目線を逸らし、モーターボートの方へ振り向いた。
「君たちの《キャスト》は確かに強いけど、海で戦うのに適してるかって言えばそうじゃない。空を飛べるやつはいないってわけじゃないらしいけど、数はもの凄く少ないし、早く泳げるのなんてもっと少ない。そんな君たちをこいつでサポートするのが、僕たちってワケさ」
 手の甲でボートの外壁を叩くと、ゴンゴンと低い音が鳴る。
「さっき、ディスプレイで見てましたけど、白城にはそういう付いて回るようなのはいなかったみたいですけど?」
 総一が聞くと、睦月はいささかばつが悪そうに頭を掻いた。
「ああ……彼はね、なんていうか、特別。船に乗ってたんじゃ戦えないくらいバリバリの近距離戦型っていうこともあるし、彼自身が、僕たちの助けなんて必要としてないくらいに強いってのもある」
 遠く、今も戦い続けているはずの《白騎士》を見据えるかのように、海の向こうを見つめながら睦月は言った。
「彼みたいな人間は、きっと誰の助けも必要としないで生きているんだろうな……。自分のすべきことを間違えず、救えるものは取りこぼさない。それが当たり前。人が努力してもどうにもならないようなことだって、さらりとやってのける」
 その眉が段々と険しく寄っていく。つい先程まで朗らかに笑っていた彼には、あまりに似つかわしくない表情だ。
 しかもその口から出た言葉は、一見、ただの妬みから出たものにも聞こえる。
 しかし総一が得た印象は、表面的に見えるそれとは全く別のものだった。
 力を持つ者に対する羨望と憧憬、嫉妬もあるだろう。だがなにより感じたのは、それを持ち得ない自分へのあからさまな失望だ。歯噛みする程に空しく歪む睦月の表情は、何か大きな悲しみを湛えているようにも見えた。
 どうしたものか総一が対応しかねていると、睦月は我に返ったのか取り繕うように笑った顔を見せる。
「ご、ごめんね変なこと言って。まぁとにかく、君みたいな遠距離攻撃するタイプの《キャスト》には必須ってこと。腕は信用してくれていいから、改めてよろしく」
 いそいそと話をまとめて操縦席に乗り込もうとしている睦月に、総一は慌てて声をかけた。
「あの、俺はどこにどう乗っていればいいんですか?」
「あ、ああ、ごめんごめん。君は『変換』した状態で後ろの甲板に乗ってもらうことになる。結構揺れるけど、そのまま戦ってもらうことになるんだし頑張って慣れてね」
 あ、それから――と、今度は睦月が思い出したように動きを止め、総一に聞いた。
「君の《キャスト》の名前、何ていうの?」
「名前……ですか?」
 不思議そうに問い返す総一。
「そっか、まだ詳しい説明を受けてないんだっけね。《キャスト》の名前っていうのは、その《アクター》が付けることになってるんだ。当たり前だけど、物はなんでも名前があった方がその物をイメージしやすくなる。そのイメージってのが、《キャスト》には凄い大切らしいんだ。自分の姿や力を、その時自分の欲しい形できちんと取り出すために、大抵の《アクター》は技の名前とかも自分で考えたりしてるそうだよ」
 睦月は苦笑して、「結構恥ずかしいものだとは思うけどね」と付け足す。
 名前――そんなことを、総一は今まで考えたことも無かった。
 ただ、力を使いたくて。ただ、奴に並び立ちたくて。この戦いの場に来ることだけを考えていたから。
「まぁ、ただの呼称だから、そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないかな。甲板にはそこのはしごから上がれるから。じゃあ、また後で」
 操縦室に消えた睦月を見送ってから、総一もはしごに手をかける。
 不思議だった。ここはずっと、あんなにも待ち焦がれた場所のはずなのに、心は妙に穏やかだ。
 ドックの中から聞こえる、機械の動作音や人の叫んで指示をする声。そんなものよりも、目の前の海がさざめく音の方がいやに大きい気がする。
 甲板の上に立つと、顔を隠すように目の前に手を当て、横薙ぎに振るう。
 現れる動物の頭蓋を模した『仮面』。自分が示す力の象徴。
 波の音だけが頭の中で反響する。何かを思い起こさせる音。忘れていた何か。眠っていた何か。どこまでも広がる海に乱反射する光がまぶしくて、総一は『仮面』に空いた目の穴の前に手をかざした。

「……『変換』」

 闇の殻に飲み込まれる。
 眠らせていた何か。仕舞っていたはずの何か。忘れていたかった何かが潜む、昏い闇の卵の中へ――――
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