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第二十一幕「青を貫く黒」


「く……ッ!」
 飛びかかってきた『マリオネット』の頭を狙って横薙ぎに振るったはずの『双波』は、しかし鋭い爪のある前足を一本、斬り落とすだけに留まった。
 俊敏な動きとは全く無縁の『クレイマン』とは異なり、ネコ科の肉食獣を模した『マリオネット』との戦いは、優位でこそあれ一方的というには程遠い。
 しかも、相手は六匹の『マリオネット』だけではないのだ。周囲を360度取り囲んでいる無数の『クレイマン』からの砲撃にも、常に気を張り巡らせなければならない。
 こんな状況では、防戦一方になってしまうのも無理からぬことと言えるだろう。
 残った三肢で後ろに跳び退る『マリオネット』に追撃をかけようと踏みだした《白騎士》に、周りの『クレイマン』から撃ち出される『槍』が殺到した。
 なんとか剣を使わずに体捌きだけでかわして前へ進み出た《白騎士》を迎えたのは、それぞれ別方向から跳びかかってくる三体の『マリオネット』だった。
(まずい……たった六体に、手間取り過ぎている……)
 この、波状攻撃。これが今まで戦いが間延びしてしまった原因だ。
 一撃で決めることはできなくても、手傷を負わせることなら今までにできなかったわけではない。もし、今までにこうしたタイミングで追撃を残さず成功させられていたなら、戦況は大きく違っていただろう。
 しかしそれを許さなかったのが、この前衛と後衛のスイッチ、そして周囲からの援護攻撃だ。
 『マリオネット』は常に前衛と後衛に三体ずつ。前衛のいずれかが傷つくや否や、後方から『弾丸』を放っていた三体が『白騎士』の足止めに躍り出る。
 後方に退いた『マリオネット』はと目を向ければ、《顔無し》特有の再生能力によって失った前脚を修復しているところだった。銀色の粉へと変わって吸い上げられていく海水が、完全に欠損を埋めるまでにはそう時間はかからないだろう。
 二体による左右からの挟撃を『双波』で受け凌ぐ。だが残された三体目に対するには、大きく開かれた両腕の内は無防備という他にない。
 つるりとした銀の曲面の頭部に、割れ目のように横に走る亀裂が大きく口を開く。
 咀嚼のためでなく、純粋に敵を引き裂くための牙がずらりと姿を現した。
 《白騎士》の《キャスト》としての能力の要は、あくまで『剣』だ。その牙に咬みつかれでもしたら、いくら全身を鎧に包まれていたとしても腕の一本は確実に持って行かれるだろう。
 『核石』を主軸として構成されている、という意味では同じ《キャスト》と《顔無し》だが、《キャスト》には《顔無し》のような無尽蔵の再生能力など持ち合わせていない。欠損は敗北へと直結するだろう。
「舐……めるなぁ!」
 気合一閃。
 『マリオネット』の爪を受け止めていた左右に開いた『双波』を、力任せに中央に向かって振り抜く。ギャリッという鈍い音が耳に届いた時には、中央で口を開いていた『マリオネット』の頭部は×の字に斬り落とされていた。
「ふっ!」
 吐息を一つ。宙に投げ出された左右の爪が自分に届く前に、小さく後ろにステップを踏む。同時に振りかぶられた剣はすでに『双波』ではない。
 躊躇うことなく振られる三メートル近い大剣――『破鋼』は、敵がそれを知覚するよりも速く『マリオネット』を体中ほどまで、二体まとめて両断する。
 余韻に浸る間もなく、大きく前方へ跳躍。
 前衛を失った動揺など《顔無し》には期待できないことは分かっている。事実、奴らはその口を大きく開き、今にも『弾丸』を《白騎士》に向かって撃ち出そうとしていた。
 《白騎士》と『マリオネット』との距離は百メートルほどもある。いくら俊足の《白騎士》とはいえ、三メートルばかりしかない『破鋼』では敵が撃つ『弾丸』に先んぜられる訳が無い。
 そう――――『破鋼』では、だ。
 その『剣』を振りかぶる。
 助走などほぼ無い状態で跳んだにも関わらず、その跳躍は標的との距離を一瞬で半分にまで縮めた。――残り、五十。
(まだだ……)
 『マリオネット』の大口から、円錐型の『弾丸』が切っ先を覗かせる。あれを空中で迎撃するのは至難の業だろう。しかし、まだだ。――残り三十五。
(もう、あと少し!)
 瞬間が永遠に引き延ばされるような緊迫した時間。それは一つの賭けだった。自分の跳躍の速さが、敵の撃ち出してくる速度に勝っているかどうかという賭け。
 そして今、それに綾人は勝った。
「行け! 『真月』!!」
 目算での距離が三十メートルを切った刹那、《白騎士》は振りかぶっていた『剣』を大きく左へ投擲する。
 果たして、それは剣と呼ぶに相応しい代物であったのか。
 直後二メートル半ほどもある円形の刃の中心に、装飾のようにも見える取っ手が据え付けられている。その外観は剣というよりも、投擲武器である円月輪(チャクラム)に近しい。
 《白騎士》が放ったそれは、本当ならば見当違いの方向へどこまでも飛んで行ってしまうはずだった。しかし、それはあくまで『剣』なのだ。《白騎士》の力の本質、強さの象徴である、四本目の剣が唸りを上げる。
 『四の円剣・真月』。その刃部分から伸ばされた鋼糸を強く引き絞る。その鋼糸こそが『真月』の柄だ。
 一定の距離に固定された円形の刃が、円を描くコンパスのように正確に『弾丸』を放つ直前の頭部を三つまとめて切り裂いた。
 着地したその場所に、《白騎士》に跳びかかることのできる『マリオネット』は一体たりとも残っていない。
 跳躍中に『クレイマン』に狙い撃ちされればその場で終わりだったにも関わらず、綾人には自分が捉えられないという絶対の自負があった。
 だが、それらの行動を自分の思い通りに進めて尚、綾人は内心の焦りから抜け出すことができずにいる。
「まだ、半分……」
 口に出して噛みしめる。
 今、苦労して打ち倒した六体という数は、『マリオネット』の総数の半分にしかならない。全体を見れば、僅か数パーセントだ。
 時間がかかりすぎている。肝心の『ビスク』がまだ後に控えているというのに、今のペースは明らかに遅い。
 もっと早く。もっと強く。
 白城綾人には自負があったはずだった。東京を守るあの『大堤防』の中で、エースとして戦っているという、自分が一番上手く戦えているという自負が。
 だというのに、この体たらくは何だ。
 多少数で押されただけで防衛線を後退させ、腕まで奪われかけた。ここまで手間取った以上、鹿島が黙って手をこまねいているわけがない。すでに次の手を講じているだろう。
 次の手――つまり、高崎総一だ。
 まだろくに戦うこともできないだろう新人を手助けによこされなくてはならない事実は、しかし綾人にとって屈辱では無かった。
 ただ、悔しかった。強さの足りない事実が。このような事態を許容しなければならない自分が、ただ悔しかった。
 その時、不意に背後――それもすぐ近くから、パチパチという乾いた音が響いた。
 紛れもなく人間の手による、拍手の音。
 《白騎士》は迷うことなく、背後に向かって振り向きざま『破鋼』を凄まじい勢いで振り抜いた。海水を巻き上げるほどの突風を伴った一撃は、しかし何物も斬ることはできていない。
「いやぁ、凄いね」
 芝居がかったような、楽しげに作ったような口調は頭上から届いた。
「……『ビスク』」
 見上げれば、そこにいたのは絶世の美青年。金属質な光沢を放つ銀の長髪、ガラス玉に水銀をたらしたような同色の瞳、整い過ぎた中性的な顔立ち。
「さすが、今一番『ボクたち』を殺してる人間だけのことはあるよね。正直驚いた。おっさんが気にするわけだよ」
 クスクスと含み笑いを漏らしながら、勝手に納得したように頷く。《白騎士》は、それを黙ってじっと見上げていた。
「でもね、今日は残念ながら、君が目的で来たんじゃないんだ。だから、できたらじっとしててくれないかなーって」
 肩をすくめ、口元に笑みまで浮かべる『ビスク』の言葉を、綾人は全く意に介してすらいない。
 考えていたのは、ただ一つだけ。
「なんだよ、無視? そういうことなら、こっちも実力でってことになっちゃうんだけどなー」
 『ビスク』の腕が動く。《白騎士》に手のひらを向けようと上がりかけた瞬間、すでにその場に《白騎士》はいなかった。
 そう、白城綾人が考えていたのはただ一つのこと。
 どのように動けば一瞬でも早く、『ビスク』を斬りつけに行けるのか――。
 『ビスク』の青年が目を見開いた時、すでに《白騎士》は背後に回り大きく跳び上がっていた。狙いは頭頂からの両断。人の形をした『ビスク』であっても、所詮は《顔無し》。『核石』を破壊してしまえば終わりのはず。
 振り上げられた『破鋼』は、何の淀みもなく『ビスク』の後頭部へと――
「――でも、それはボクには届かない」
 おかしな話だった。
 明らかにその言葉を発声するのにかかる時間よりも、《白騎士》の手により剣が振り下ろされる時間の方が短かったはずなのだ。そんなセリフが、綾人の耳に届くわけがない。
 理由は考えるもなかった。
 簡単だ。振り上げられていた『破鋼』は、何かのシンボルのように頭上に掲げられたまま全く動いていないのだから。いや、それだけではない。跳躍の頂点から自由落下するはずの《白騎士》の身体すら、空中に静止してしまっている。
「なん……だ?」
 力を込めても、ギシリと鎧が軋むだけで全く身体が動かない。まるで見えない糸でがんじがらめにでもされてしまったかのように、手足の自由が奪われてしまっていた。
 見える形で《白騎士》を拘束するものは何もない。だというのに、全身を束縛する抵抗感は鋼鉄の鎖のようだ。
「だから言ったじゃない、実力で……ってさ」
 悠々と振り返った『ビスク』の顔は、心底愉快そうに歪んでいる。憎たらしいのは、その整った青年の顔で表現される笑みを少しでも美しいと感じてしまったこと。
「まぁ、安心してよ。今日の目的は君じゃない。ちょっと動けなくさせてもらって――」
 ガン、という音と共に、全身に伝わる振動。そして、遅れてやってくる強烈な痛み。
「ぐッ……ああっ!」
 動かない首を無理やりに動かしてなんとか視界を回せば、四本の手足全てに――下の『クレイマン』が撃ちだしたものだろう――『槍』が中程まで突き刺さっていた。これでまさしく、宙に磔にされた聖者のようだ。
「……おとなしくしていてもらおうって話だよ。ぶっちゃけるとね、君を気にしている『ボクたち』もいるんだ。勝手にやっちゃうと怒られちゃうんだよねー。だからまぁ、手間かけさせないでよ。ね?」
 覗き込むような視線は、言葉とは裏腹に冷たい殺意に満ちていた。足をもいで動けなくなった蟲を見下ろす子供の瞳。自分の意にそぐわなければ、今の前言などいくらでも覆すつもりだろう。
(くそ……どうする?)
 全身を苛む痛みを無視し、綾人は思考を巡らせる。
 状況は、考えるまでもなく絶望的だ。
 どのような手段で束縛されているのか分からない以上、自分の手による解放は不可能に近い。この状態でとれる行動など、『剣』を変えることくらいだ。手首を振ることさえ敵わない今、それだけでどうなるものでもない。
 しかも、この拘束から抜け出せたところで《白騎士》の四肢には無視できない負傷がある。こんな状態で戦ったとして、『ビスク』どころか『マリオネット』を相手にするにも苦戦してしまうだろう。
(いや、方法は一つだけある)
 この場で唯一、全てをひっくり返すことのできる可能性がある。綾人の頭に浮かんだそれは、しかし大きなリスクを伴う文字通り諸刃の剣。
(……だが、使うのか? 『八本目』を?)
 躊躇するように、綾人は少しも動けずにいる。
 『ビスク』はそれを了承と受け取ったのか、にんまりと口の端を吊り上げて言った。
「よかったー、聞きわけのいい人で。それじゃ、ボクが帰ってくるまで、いい子にしててよね?」
 鈴の音のように可憐な、腸に滲む泥のように残酷な声だった。
(やるなら今しかない……。今しかっ!)
 剣を握る手に力がこもる。だが、それだけだ。躊躇は怯えとなって身体の動きを止めてしまう。
 だから、その声が聞こえた時――
「あれー、しまったな。向こうの方が先に来ちゃったか」
 救われたとすら感じたのだ。

 海と空。二つの青に挟まれた境界線を、黒い閃光が貫く。
 遥か海上の彼方。そこに、《恐怖》が立っていた。
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