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第二十二幕「eyes」


 恐怖は蝕む。
 自身を、他者を。肉体を、精神を。
 虚無を創り、世界を奪う。
 その『力』が今、総一にははっきりと感じ取れていた。
 耳元に取り付けられたスピーカーから聞こえる敵との接近を告げる声も、海を駆けるモーターボートの振動、横を吹き抜ける海風の抵抗すら脳までは届かない。
 全ての神経を両の掌へ集中する。
 《白騎士》と戦った時のように無造作に振るうのではない。優しく、力強く、抱擁し、強要する。
 『黒』が、恐怖が凝縮されてゆくイメージ。
 体の前で合わせられた両手の間には、僅か五センチメートル程度の大きさしかない黒い球体。三メートル近い体長の《恐怖》の手の中で、それは酷く心もとない。
 しかし、総一は確信していた。これは限界まで押し固められた『力』の結晶。自らの初陣、その第一射とするに相応しい威力を秘めていると。
 敵の大群を肉眼で確認。何故か今は活動を停止しているらしく、こちらに対応する動きは見られない。好都合だが、無視されているようで気分が良くもない。
 ――なら、そうできなくさせてやればいい。
 身体の深奥で誰かが叫ぶ。餌を待ちわびた猛獣のように獰猛に。無礼な輩に風穴を空けてやれ、と。

「抉り奪れ……『黒瞳』ッ!」

 球体が弾け、黒い閃光が空を焼く。
 それは吸い込まれるように、一番手前にいた『クレイマン』の頭部を貫通した。
 ボジュ、という、熱した鉄板に水滴を弾いたような音とともに、『クレイマン』の頭部――いや、肩より上が丸ごと跡形もなく消失する。
 さらに、『黒』の蹂躙はたった一体だけで終わるものではない。一体目の頭部を突き抜けた『黒瞳』は、その後ろに控える大群の頭を、肩を、胸を、腕を、どこまでも削り取っていく。
 頭部以外に命中した『クレイマン』はそのダメージをものともせずに、速やかに修復を開始するだろう。しかし、そんなことは総一にも分かっている。
 両手を開き、爪の指先を敵の集団に突きつける。その指一本一本の先には、先ほどの一撃に大きさこそ劣るものの『黒』の球体が銃弾のように発射を待ちわびていた。
「いっ……けえェ!」
 両腕を大きく振りぬく。
 射手の咆哮に応じて飛び出した『黒』は、自らの修復のために動きを止めていた『クレイマン』の頭部をきれいに抉り取っていった。
 モーターボートの甲板の上で、総一は余韻を噛みしめる。
 自分が手にした『力』を、初めて自分の思う通りに思った相手にぶつけられた。
 それが特別なことではない。敵はまだまだいる。戦いも今日だけではない。
 彼が選んだ非日常の日常が、これからも絶え間なく進んでゆく。
 その事実の、なんと甘美なことか。
 しかし、それに水を差すような冷静な声が耳元のスピーカーから響く。鹿島智久だ。
『よし、そのまま大きく敵の周囲を旋回しつつ攻撃を続けろ。今のうちにできるだけ数を減らすんだ』
 それ自体に異論はなかった。だが、了解の返事をする前に総一は押し殺したような声で問う。
「白城は……今は?」
 それに鹿島が答えるまでには、一瞬だけの間があった。
『『ビスク』が接近してきてからは、こちらでも把握し切れていない。だがおそらく、『ビスク』との戦闘中だと思われる。それ以外と戦っているのなら、連絡すら取れないという事態は有り得ない』
「……」
 総一は、自分が牙を噛みしめる音を聞いた。
『お前の心配するようなことではない。《白騎士》は、お前より実力も経験も遥かに上だ。自分がどうにかできると思うな。今は、自分の仕事だけを見ていればいい』
 総一の思考を読んだかのような智久の言葉。
 鹿島は決して、綾人を見殺しにすると言っているわけではない。むしろ、彼の強さを信頼すらしているのだろう。全く連絡のつかない《白騎士》を、『撃破された』のではなく『交戦中』だといった判断は、その証だと言っていい。
 綾人をあえて《白騎士》と呼んだ指揮官としての徹底ぶりが、それは身内贔屓などではないと教えている。
「……わかりました」
 だから、総一はそう答えるしかなかった。
 次の瞬間、遠くに見える『クレイマン』の群れの中から、三つの銀の塊が総一たちの方向に向かって飛び出した。真っ直ぐに海上すれすれを飛んでくるのは、体長四メートルほどの巨鳥。
 スピーカーから矢継ぎ早に沢村睦月の報告が響く。
『大型鳥類を模したと思われる『マリオネット』三体、こちらに高速接近中!』
 そのセリフを言い終えるより先に、《恐怖》は右腕を振るっていた。
 三つの銀の疾風を迎撃するべく走る、三つの黒い閃光。しかし、命中するかと思われた直前で、『マリオネット』は大鷲のような翼を羽ばたかせ急激な方向転換でそれをかわした。
『速い!』
 驚愕する睦月の声。しかし、《恐怖》の頭蓋の下から覗く口元が浮かべていたのは、紛れもない歓喜の笑みだ。
 《白騎士》が無傷で斬り伏せたという『マリオネット』の数は六体。今、目の前にいるのは姿こそ違えど数はその半分だ。
 まるで、綾人の元へと行く資格を問う、試練のようではないか。

 ――その時の彼の心境を、はたして誰が正しく理解し得ただろうか。

 頭蓋の奥。彼の能力のような闇に秘められた瞳が、溢れ出るほどの殺意に揺らめいた。

   ●

 待ち望んだ相手の登場に、『ビスク』の青年は心底嬉しそうに顔をほころばせる。
 その顔が本当に邪気のないものだったから、綾人は一瞬痛みを忘れて面喰ってしまったほどだ。
 『ビスク』という《顔無し》について、分かっていることはあまりにも少ない。
 形状的に全く戦闘に適さない人型を模している理由。その圧倒的とも言える戦闘能力に対して、人前に現れる回数が不自然なまでに少ない理由。そして、今回のように本来の《顔無し》としての目的から外れるような、興味本位のような思考回路。
(奴の目には……いや、奴の目にも、高崎は特別に見えているのか?)
 そう、『ビスク』の銀色の瞳には、先ほど《白騎士》に向けたような殺意は見られない。どちらかといえば、好意的な好奇心にも似た何か。
(『人間』ではなく、個人に興味があるというのか? 群体である《顔無し》が?)
 《顔無し》は群体である。地球上の動物のように、複数の個体が群れをなして生活をしているということでももちろんある。しかし、《顔無し》の場合は若干ニュアンスが異なる。
 彼らは、その存在の核となる『核石』によって、統一された意志の下に行動しているのだ。
 『クレイマン』も、『マリオネット』も、人間のように自分の意志を持って行動しているように見える『ビスク』ですら、その縛りには逆らえないはずだ。
(……ッ!)
 その事実を悟った時、綾人は戦慄した。
 この『ビスク』が高崎総一に興味を示している、ということは、大げさに言えば《顔無し》全体が一人の人間を注視しているということにもなる。
 『ビスク』という不可解な存在によるただのきまぐれ。そう割り切ることが綾人にはできなかった。
 《顔無し》が総一を確認する機会があったのは、臨海公園での一件だけのはずだ。たった一体の『クレイマン』を倒しただけの総一を、この『ビスク』は『今回の目的』だと言った。そこまで総一が注目される要因など、綾人には全く思い当たらない。
 だが、奴らはそうではないのだ。
 《顔無し》は知っている。自分のように漠然とした勘や不安ではなく、はっきりと。高崎総一が持つ要因を。あらかじめ標的として、特別に認識するほど。
 瞬間、《白騎士》の全身を捉えていた拘束が、不意にかき消えた。
 何の予兆もなしに宙に放り出された《白騎士》は、傷ついた四肢をなんとか動かして『クレイマン』の上に着地する。衝撃による痛みを無視して見上げると、『ビスク』はこちらを見てすらいなかった。
「じゃあボクは行くけど、キミを暇にさせとくのも悪いよね……」
 その声に応じて、《白騎士》の周りに三体の『マリオネット』が姿を現す。
 皮肉なことに、その姿はまるで《白騎士》を劣化させたかのような人型をしていた。
 全身こそなめらかな曲線によって描かれているものの、所々に隆起した角ばった部分は鎧を連想させ、右腕の肘から先は突撃槍(ランス)、左腕は盾の形状をしている。
 四肢を『槍』に貫通されたままの《白騎士》にとって、絶望的とも言える状況だった。
「それじゃ、サヨナラ。生きてたら、またね」
 一瞥もなく、長髪をなびかせて去っていく『ビスク』の背中を、綾人はいくつもの感情のこもった視線で睨みつける。
 自負が汚され、屈辱を押し付けられた。『力』を抉られ、絶望だけが残された。
 しかし、傷つき罅割れ、元の美しさの見る影もない鎧の中で、秘められた瞳だけがその輝きを失わない。

 ――その時の彼の心境を、はたして誰が正しく理解し得ただろうか。

 別の光を灯し始める瞳を兜の下に隠して、《白騎士》は剣の柄を握りなおした。
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