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第二十四幕「Human or not, Enemy or not」


 以前、白城綾人と高崎総一の戦いの舞台となった場所。一週間前にようやく復旧が終わったばかりの執務室で、鹿島智久は驚きに腰を浮かせた。
 彼は戦場全体の大まかな指揮をとっている立場上、現場で交わされる全ての通信はオープン・プライベートチャンネルの区別なく、この部屋で聞くことができる。彼が今聞いていたのは、もちろん『ビスク』と高崎総一の会話だ。
 沢村睦月は身動きが取れず、孤立した《恐怖》が『ビスク』と対峙している。この一見危機的な状況下で鹿島が総一に何の指示も飛ばさなかったのには、もちろん理由があった。
 まず、なぜかは分からないが『ビスク』は高崎総一とのコミュニケーションを求めていたこと。
 殺そうと思えば一瞬で終わるほどの実力差なのだ。目の前に現れたというだけで驚くべき事態。下手にこちらから茶々を入れるよりは、なるようにした方が逆に安全だと考えた。
 『ビスク』は気分屋で、《顔無し》の行動法則には当てはまらないということは今までの情報から確かなことだ。ならば、邪魔をしてまで彼の気分を害することは《白騎士》の安否の知れぬ今、最もしてはならないことだろう。
 次の理由は、まさしくその会話の内容である。
 こうして『ビスク』が総一の目の前に現れ、鹿島も白城綾人と同じ結論に至った。すなわち、『高崎総一は《顔無し》にとって特別な存在である』ということだ。
 その理由、さらにそれを通して《顔無し》側の内情を少しでも聞くことができれば、人類と《顔無し》との戦いにおいて大きな一歩になるかもしれない。
 そう思って耳を傾けていた鹿島に、突きつけられた現実はあまりにも過酷だった。

『タカサキソウイチ。『人間』を捨てて、ボクたちのところに来ないか? ボクは君が好きだ。キミが『当たり』じゃなかったとしても、『ボクたち』はキミを歓迎する』

「『当たり』……だと?」
 《顔無し》が個人に好意を示したこと、さらにそれを仲間へと引き入れようとしたこと。驚くことは多々あったが、そのセリフの中で鹿島が最も注視したのは、何でもないことのようなその一節だった。
 鹿島の知る限り、《顔無し》が示す『当たり』とやらに心当たりは一つしかない。しかし――
「バカなっ! 有り得ない!」
 戦慄し、恐怖した。《アクター》は『当たり』ではない。その大前提があるからこそ、今の『彼女』の安全は確立されているというのに。当の《顔無し》側があたりを付けていたものが《アクター》だとすれば、その全てが裏目に出てしまう。
「彼が……」
 モニターの中には、閲覧中だった高崎総一のデータがあった。
 異常に高すぎる適合確率。『変換』した際の性格の変化。確かに、他の《アクター》たちとの違いは認めざるを得ない。
 その可能性は遥か昔に否定されたものだと理解してはいても、鹿島はその恐怖を完全に自分の中で消し去ることができなかった。
「彼が、『女王の移し身(クイーンズ・アバター)』だと!?」
 行き場の無い憤りが、広い執務室に響き渡る。
(ダメだ……これは。この事実は……)
 鹿島は、机の上のキーボードを叩くと、現在の通信状況について表示させた。幸いなことに、総一と『ビスク』の会話を聞いていたのは鹿島だけのようだ。
 そうなると気になるのは、そばにいるはずの沢村睦月の安否である。鹿島は間違っても部下の死を望むような男ではないが、この時ばかりは彼が気を失わされていることを願った。
(隠蔽しなくては。『彼女』のために)
 会話の録音中を示すスイッチを切り、今までの会話を録音したファイルを削除しながら、鹿島は再び会話の始まったイヤホンに意識を集中した。

   ●

「俺を、歓迎? いったい何の話だ?」
 一方その頃、突然の勧誘に総一は驚きの色を隠せずにいた。
「何をって……キミとトモダチになりたいって話さ。おかしいかな?」
 大して、『ビスク』は何を疑問に思うのかと言わんばかりに小首を傾げ、先を続ける。
「大丈夫だよ。キミが必要とするような食べ物は用意するし、なんだったら母様にお願いして、本当に『ボクたち』の仲間にしてもらえばいい」
「そういうことじゃない!」
 総一は、自分の感情の動きに戸惑っていた。
 そんな誘いは馬鹿げている。そう思っているはずなのに、口から出るのは詳細を求めるような質問ばかり。
 おかしい。先ほどまでは、目の前の青年に何をされても、何を言われても動揺することなどなかったというのに。今はこんなにも心が揺れている。
 断る理由など、これ以上ないほどはっきりしているというのに。
「だって、俺はにん――」
 耐えきれないという風に出た言葉を遮るように、『ビスク』は言った。
「キミは、本当に人間かい?」
「な……」
 瞬間、総一は反射的に否定できなかった自分に驚愕した。
「自分の手を見てみなよ。ボクの顔が見えるだろう? この状況でどっちが人間なのかって聞かれたら、普通の『人間』はどっちを選ぶと思う?」
 言い訳を探す。この雰囲気をを退けられるだけの理屈を。だが――見つからない。
「キミは、きっとボクと同じモノの力で『変わって』いる。ボクも、やろうと思えばその力で人間と全く同じものになれる。キミとボクは何も変わらない。違うかい?」
 否定しようと考えれば考えるほど、その言葉が正しいことのように感じてしまう。
 自分の罅割れた右腕に目を落として、総一は自分の心臓が一際強く蠢く音を聞いた。
 紛れもなく自分の右腕。さっきまで、その事に何の疑問も持たずに『力』を振るっていた腕。ボロボロになった外骨格からは、赤黒い肉が所々から覗いている。
 心臓の動きは嫌というほど感じるくせに一滴の血も滴らせないそれは、明らかに人のものとは違う。そのことに自分は今まで全く違和感を持たなかった。
 そうだ、気付いていたはずだ。非日常を望むということは、今までの日常を捨てるということと同義だと。ならばそれは、『人間』を捨てることとも同じではないのか。
 自分の日常、それを忘れてしまったわけではない。正樹たち学校の友人や、家族の顔。それらは今この時にもはっきりと思い出せる。そこに感じる友情や愛情に陰りが生じたわけでもない。
 だが今、その重さが自分の中であまりにも軽い。
 この動悸は、日常を形作る彼らに対する罪悪感のせいでも、人間から遠ざかる自分への戸惑いのせいでもない。
 むしろその逆。『人間』を逸脱する。それはこれ以上ないほどの非日常だ。かつての同族――数多の《キャスト》と戦う日々はは、総一にとって全く飽きないものになるに違いない。
 その魅力に対する興奮が、彼の身を震わせている。
(だが――)
 瞬間、頭をよぎったのは一人の少年だった。
 自分が正しいと思う感情に殉じると言った彼。他人を死地に送ることに対して、あんなにも激情を露わにした彼。自分を見下し弱いと言った彼。
 雪野透花がこの非日常に総一を連れ込んだ案内人なら、彼は『力』の素晴らしさをこれでもかと伝えてくれた最高のプレゼンターだ。
 あの、彼と戦った日。あの日、自分の何を失っても『力』が欲しいと願った。
 何のために? 決まっている。なら、それに近づくために選ぶ道は? それももちろん決まっている。
 顔をあげ、目の前の青年の顔を見据え、総一はきっぱりと言葉を綴った。
「そうだな、確かに俺を見て人は、『人間』だと認めないかもしれない。俺自身にだって、どっちなのかはっきりと証明できるだけの自信はないさ」
 それを聞いて、『ビスク』は我が意を得たりと、にんまりとした笑顔を浮かべる。
「そうだろう。なら、ボクと共に行こう! きっと、キミの悪いようにはしない。約束するよ!」
 だが、《恐怖》は首を横に振った。辺りに響き始める甲高い音。
「そう……そういう選択肢もアリだと思う。けどな、俺が人間かどうかなんてことと全く関係なく、一つだけハッキリしてることがある」
 そこで、『ビスク』も何かに気づいたように顔を歪めさせる。眉に皺をよせ。信じられないものを見るように溜息を吐いた。
「キミは――」
「俺は――」
 叫びで『ビスク』のセリフを遮り、《恐怖》は左腕を振り上げる。
「俺はッ……お前の敵だッ!」
 堂々と目の前で作り上げていた『黒瞳』を、横薙ぎに叩きつけた。――しかし、
「そうか……残念だよ」
 鈴の音のような声は、変わらず目の前から聞こえる。
「……ッ!」
 その光景を見て、総一は思わず絶句した。
 『クレイマン』、『マリオネット』、『東京大堤防』を形作る合成材料の壁。そのどれもを難なく、あっけなく触れただけで抉っていたはずの『黒』。それが今、『ビスク』によって“防がれて”いたのだ。
 レーザーのように一定時間――手の中に集められた『黒』がなくなるまで――放出され続ける『黒瞳』は、『ビスク』周囲を包む透明な何かに遮られるように、彼を避けて何もない空間へと受け流されていく。
 敵ごと薙ぎ払うつもりで振るった左腕も、その何かを押し切ることができずに『ビスク』の一メートルほど横で止まったままだ。どれだけ力を入れようと、それ以上彼に近づくことがどうしてもできない。
「残念だよ、本当に」
 『黒瞳』が撃ち終わるのを待ってそう言うと、『ビスク』は手を下ろし、ふわりと垂直に二メートルほど浮き上がった。
「今日は、これで引かせてもらうよ。力任せでキミを捕まえて嫌われるのは嫌だしね」
 本当に残念そうな声色で、『ビスク』は呟く。
「なんだ、まだ諦めてないのか?」
 内心では撤退するという発言にほっとしながらも、総一は減らず口を叩いた。
 先ほど、『マリオネット』が手を抜いたことに自分が憤ったことを忘れたわけではない。だというのに戦いを続けようとできない自分を、情けないとも思う。
 しかし、あの人形と目の前の青年にどれだけの差があるのか。それは目の前に立ったものにしか分からないだろう。『マリオネット』との戦いではそこそこに見えた『勝ち目』が、全く見えないのだ。それでもかかっていくというなら、それは戦いではなくただの自殺だ。
「まぁ、一度断られたから、はいそうですかってわけにもいかないんだ。ボクとしても、『ボクたち』としてもね」
 そう気軽に肩をすくめる青年は、《白騎士》以上の脅威なのだ。それは臆病などではなく、命を守るための当然の行動と呼べるだろう。
「そうそう、キミが気にしてた『白いの』、まだ生きてるみたいだから届けさせるよ。ここで待ってるといい。……それと――」
 そして『ビスク』は、最後にこう言い残して去って行った。
「ボクの名前はヨエル。最後に名乗るのも変な感じだけどね。今後ともよろしく、タカサキソウイチ」
 宙を滑るように遠ざかっていく背中を見送りながら、総一は考える。
 たとえば、たとえばの話。この非日常で最初に出会った『圧倒的な力』が、白城綾人ではなく彼であったなら、今さっき差し出された手を握り返していただろうか。
 沈黙を保っていた通信機が、焦ったような鹿島智久の声を吐き出すまで、延々と回り続ける思案の渦から抜け出すことはできなかった。
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