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第二十六幕「繋ぎ止めるもの、罅割れていくもの(1)」


 少年は、やり切った男の顔で呟いた。
「終わった……何もかも……」
 わざとらしい言葉とともに顔を上げ、天井を見つめている彼の名前は北里正樹という。
 つり上がり気味な目を細め、どこか達観したような顔つきはかなり芝居がかっている。ツンツンと立てた短髪をした快活そうな雰囲気の少年である。
 今日は十月二十八日、木曜日。中期中間試験の四日目にして最終日だ。
 そんな日に彼がそんな表情をして、そんなふざけたことを呟いた理由など一つしかないだろう。
 周囲の人間もそれが分かっているのか、遠巻きに半笑いで眺めつつも彼に話しかけようとする人間はいない。下手な芝居に釣られて話しかけたが最後、ひたすら愚痴を聞かされるだろうことが分かっているのだ。
 隣では彼の幼馴染と想い人が彼のことなど見えないかのように自己採点を始めていて、なんともシュールな空気が漂っていた。
 放課後の教室は試験という一大イベントをやり遂げたという安堵からか、和やかな雰囲気に包まれている。しばらくの間その空気に耐えていた正樹だったがすぐに空しくなったのか演技臭い表情を止め、体裁を整えるように椅子の上で「よいしょ」と姿勢を直した。
 と、そこで彼はようやく違和感に気付く。
 ざわめく教室の中で、自分の目の前の背中が酷く小さく見えるのは気のせいだろうか。いつもならノリツッコミまではいかないまでも、正樹の下手な演技に反応くらいはしてくれる友人が、ピクリとも動いてくれないのである。
「おーい、総一?」
 寂しげな声を背中に投げかける正樹。しかし、前の席の友人は机の上の問題用紙に顔を向けたまま呆然としているようだ。
 正樹は立ち上がると、おそるおそる総一の前に回り込んで、彼の目の前でパンと手を叩いた。そこでようやく総一と顔を上げる。その顔は、どこかやつれているように見えなくもない。
「おいおい、大丈夫かよ?」
 それを見て心配そうな声をかけた正樹に、総一はがっくりと頭を落として呟いた。
「全然大丈夫じゃない……」
「え?」
 総一はそのままパタンと机の上に倒れ込んでしまう。そのままの姿勢で小さく言った言葉は、さっきどこかで誰かが言った言葉そのままだった。
「終わった……何もかも……」
「……マジで?」
 試験最終日にそんなセリフを吐く理由など、当然一つしかないのである。
 だが、正樹はそれに納得がいかないのか怪訝そうな声で問いかけた。
「なんだよ、俺が言うのもアレだけどさ、そんなに今回難しかったか? お前なら赤点取ったりするようなほどじゃなかっただろ?」
 主のいない総一の前の席に、背もたれを抱え込むようにして腰を下ろす正樹。総一はそれを聞くと、ばつの悪そうな顔で視線を窓の外へ向けてしまった。
 彼らの席は窓際で、校庭の様子がよく見える。試験が終わってうかれているのか、ボールをどこからか持ち出して制服のままサッカーを始める下級生らしき数人の姿が見下ろせた。
「いや、ちょっと……バイトが忙しくてさ」
「バイトォ? 例の、白城と一緒にやってるってやつか?」
 正樹が上げた怪訝そうな声に、総一はなおさら気まずそうに答える。
「そうそう、それそれ。試験中なのに急に入ってくれって言われちゃってな。全然勉強できなかったんだよ」
 北里正樹には知る由もないことだが、実は今週の総一は学校に来るのも困難なほどに疲労していたのだ。
 《キャスト》が《アクター》の精神的な象徴であることと関係しているのか、《キャスト》として戦っていた時のダメージや疲労などは、精神的なそれに還元されて発生する。
 《白騎士》に右腕と左脚を斬り落とされた日の夜、総一が立って歩くのも困難なほど疲弊していたのはそのためだ。
 今回の戦闘で総一はそれほど外傷を負ったわけではないが、《キャスト》として活動していた時間、戦闘で使った能力の量は以前と段違いに多い。その疲労も前回に勝るとも劣らないもので、総一は月曜の夜、帰宅した後に寝起きの数倍にも及ぶ精神的だるさに苛まれてとても勉強どころではなかった。そしてそれから三日間。長く残る筋肉痛のように、常にそのだるさに晒されて生活をしていたのだ。
 当然、勉強に身など入る訳もなく、結果も言わずもがな、というわけである。
「ま、まぁそんなに落ち込むなよ。俺が言う事じゃないけど、人間そんなこともあるって!」
 なんで同じくらい試験ダメだった自分が一方的に慰めなくてはならないのか……と思いつつも、正樹は総一の肩をポンと叩きながらできるだけ明るい声色でそう言い聞かせた。
「そんなことより、せっかく明日試験休みなんだからよ、どこか遊びに行こうぜ! この前遠出しちまったからあんま金ねーけど、ゲーセンとかカラオケでもよ!」
 その呼びかけは総一を通り越して、隣の桜子と弥生にも向けられていた。二人は自己採点を中断して正樹たちの方へ振り向くが、しかしその顔は晴れやかなものではない。
「あー……、あたし明日からさっそく弓道部の方で練習があってさ」
 顔の前に「ごめん」と手を上げ、苦笑いを浮かべる桜子。弥生もそれに便乗するように、
「私も明日お父さんが久しぶりに帰ってくるから、テスト勉強で溜めこんでた家事やらないと……ごめんねー」と気まずそうに続ける。
 総一としても、試験勉強とだるさで苦しめられた今週の疲れを癒すため、せめて明日一日くらいは体を休めることに使いたかった。
 その後に続く土日、そこで休めばいいと思うかもしれないが、総一は土曜に『大堤防』に来るよう鹿島から指示を受けているのだ。詳しい要件は聞いていないが、だからこそ何があるか分からない。また『変換』して戦うことになる可能性がある以上、ある程度の余裕は持っておかなければ体がもたないだろう。
「なんだよー、みんな付き合い悪いなー」
 椅子をガタガタと前後に揺らす正樹をごねるかと思って見やった総一は、次の瞬間、思わず面喰ってしまった。
 悪態を付いたのも、不機嫌そうな表情も一瞬だけ。後ろに下がった椅子が反動で戻ってきたときには、すでに正樹の顔に不満など欠片も存在していなかった。
「じゃあ、この後昼飯付き合えよ。そのくらいならいいだろ?」
 ピッと突きつけられた指には、思わず頷いてしまわずにはいられないような力があるように、総一は感じた。
「あ、ああ。それくらいなら」
 正樹はさっきまで、自分も試験のことで落ち込んでいたことなど忘れてしまったかのように、「よしっ」と言って満面の笑みを浮かべたのだった。

   ●

 霞ヶ丘高校の中間試験は、一週間の月曜から木曜までの四日間を使って行われる。金曜日は教師が採点を行うための試験休みだ。
 土日も含めてのせっかくの三連休。さっきの正樹ではないが久しぶりに遊びに行く算段でも立てているのか、学校の最寄駅近くのファーストフード店は総一と同じ制服の学生たちで賑わっていた。
 先に席を取っておくよう言われた総一は、四人席の斜め向かいにチラリと視線を向ける。
 そこには、何故か白城綾人が無表情で、しかしどこか居心地悪そうに座っていた。帰りがけ、偶然下駄箱で遭遇した綾人を、総一を誘った時の調子で強引に正樹が連れてきたのである。
 綾人が視線に気づいたのか、総一の方へ顔を向ける。それに合わせて総一はパッと目を逸らした。気まずい沈黙が、賑やかな店内の中で酷く浮いて見える。
 総一としても綾人としても、この間自分が誓ったことがことだっただけに顔を合わせづらいことこの上ないのだ。同じクラスなのだからどうしたって顔は見ることになるのだが、こうして目の前にいるとなると度合いが全く違う。
「おまたせーぃ」
 期間限定の月見バーガー三セットを、語尾を上げた妙な調子の声とともに運んできた正樹。その笑顔とは対照的に二人の表情は硬いままだ。
 かろうじて総一は苦笑いのようなものを浮かべてトレイを受け取ったが、綾人は普段の生真面目だが柔らかい、育ちの良さが感じられる物腰からは信じられないほど無愛想にしている。
「んー?」
 その違和感を今更ながらに察したのか、正樹が二人の顔を交互に見やる。
「どうしたんだよ、そんなぎくしゃくして。お前らって仲悪いの?」
「いや……。いや、そんなこともあるのか」
 反射的に否定しようとした総一は、軽く首を横に振ってそう吐きだした。考えてみれば当たり前だ。殺すと決めた相手と、仲がいいも悪いもあるわけがない。
「え、なんだよお前ら。バイトが同じだって、この前一緒に帰ってたじゃねぇか」
「まぁ、行く場所が同じだったからな。というか、俺たちの仲が良いように北里の目からは見えたのか?」
 続けて否定的なセリフで答えた綾人に正樹は眉をしかめる。
「えー……お前ら二人が仲悪いんじゃあ俺が気まずいじゃん。そういうことはここ来る前に言ってくれよなー」
 不満たらたらと言った風にこぼす正樹の声は、どこか芝居がかっていた。そんな様子をよそに、綾人は無言で自分の月見バーガーを手に取ると包み紙をはずして口に運ぼうとする。
 その時だった。
「……ッ!」
 不意に、横合いから素早く伸びてきた手が綾人の右腕を掴む。ぎょっとして横に振りむく綾人。反射的に手を開いてしまったのか、トレイの上に自由落下する月見バーガー。
 そのやりとりを茫然と見ていた総一の腕もすかさず捕まえると、二つの右手をテーブルの上で付き合わせるように引いて、正樹は軽い調子で言った。
「せっかく試験が終わったのに、気まずい食事なんてまっぴらごめんだっつーの。仕方ないから、この場だけでも俺に免じて仲良くしてくれ。なっ?」
 あっけに取られる二人の間で、北里正樹は「よかったよかった、これで一件落着」と、満足そうに笑っている。
「…………」
 手を引かれて、目の前で顔を突き合わせることになった相手を同時に二人は見た。
 驚きと、戸惑いと、ほんの少しの苛立ちの混じった、砕いて言えば間抜けな顔がそこにある。
「……ぷっ。あっはははははははは!」
 噴き出したのは、全くの同時だった。
 何がおかしかったのか笑いは止まらず、事の発端の正樹が収めるまで二人は笑い続けた。
 総一は、今までの自分を顧みる。
 ヨエルに『人間か?』と問われ、答えられなかった自分。透花に『戦えるのが嬉しいか』と問われ、即座に肯定した自分。非日常ばかりに執着し、日常を蔑ろにした自分。
 だがそれでも、まだ日常は確かにそこにあって……笑顔を交わしあえる友達も、まだここにいる。
 ならば、『自分は人間ではない』という結論を選ぶ必要だってないのだ。せめて、このあたたかな日常にいる間だけでも胸を張って『自分は人間だ』と言いたい。総一は、心からそう思った。だから――

 目の前に差し出されていた綾人の手を、総一は力強く握った。

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