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第二十九幕「もう一つの隕石」


 七年前の二〇一四年。『太平洋隕石』が落ちてくるちょうど一年前に、その『原点』はやってきた。
 だが、当時はその隕石の重要性に気付くものなどいなかった。さらにそれより前に発見された『太平洋隕石』によって、世界は混乱の只中にあったからだ。
 そうだな……まずは、『太平洋隕石』の話からしておこう。
 もしも都市部に落下した場合、甚大な被害が出ることは確実だろう大きさを持ったその大隕石は、二〇一〇年にその姿を初めて確認された。
 しかし、発見当初はそこまで脅威として認識されていたわけではない。まだ墜落場所の特定などされる以前に、米軍の人工衛星から発射されるミサイルによって破壊されるはずだったからだ。
 完全破壊にまでは至らなくても、いくつかの破片に分かれてさえしまえば隕石の進路は変わる。万が一地球に衝突する可能性が残っているとしても、大気圏で燃え尽きてしまうレベルの大きさになっているだろうと、そういう意図での作戦だった。
 だが、その作戦は失敗に終わってしまった。我々は今でこそアレが《顔無し》の温床だと知っているが、当時は物凄い騒ぎになったものだ。不発でもなく、誤射で外れたわけでもなく、しっかりと着弾したにも関わらず隕石は全く進路を変えることがなかったのだから。
 自国の力を見せ付けようと思ったのか、地球を救うという行為を知らしめようとしたのかは知らないが、米軍が大規模にその作戦のことを公表していたため、その失敗による市民の落胆も一際のものだった。
 何の改善策も見つからないままミサイル攻撃を繰り返すわけにもいかず、墜落してくるまでの時間もない。そんな状況で人類の取った苦肉の策が『大堤防』というわけだ。
 墜落予測地点が、太平洋の真ん中だったことも幸いした。もし大規模な都市部の中央だったなら、無謀だったとしてもミサイル攻撃を繰り返していただろう。
 そして、世界規模での『大堤防』の建設、津波による被害の予測と、市民の疎開の誘導。そんな最も忙しいときに見つかったのが、『原点』。もう一つの隕石だった。
 誰も気にしている余裕がなかったのだ。『太平洋隕石』に比べてあまりにも小さく、被害が起こるはずもない小隕石のことなど。
 それは、大気圏を抜けはしたものの、やや日本に近い太平洋に落下し、特に津波の被害なども起こさず海の藻屑と消えた――はずだった。

 そうはならなかったと気付いたのは、もう手遅れになってからの話だ。

 二〇一五年の夏、『東京大堤防』も落成間近といった時期に、奇妙な通信を海上自衛隊の通信員が傍受した。
 いや、傍受という言い方は正しくないのかもしれない。なにしろ、全帯域で大音量で、「聞いてくれ」と言わんばかりに流されていたのだから。
 誰に向けてのもので、誰が発信しているのか分からない。しかも後から、その放送は全世界で同時に流されていたことが発覚した。だが、奇妙なのはそれだけではなかった。
 あらゆる言語で、同じ内容を、約一時間ひたすらに繰り返していたのだ。それは、ぱっと聞いただけではノイズのように聞こえただろう。内容を把握できたのも、発見した通信士が気まぐれに音声解析を行ったおかげだ。
 その内容とは、たった一文。「あの隕石は人類の敵だ」と、それだけだった。
 結果から言えば、その放送は手の込んだ悪戯だと切って捨てられた。
 もちろん、その異常性に疑問を持つものがいなかったわけではない。世界規模で同時に電波を流すなど悪戯にしては手がかかりすぎていると。そして、ミサイルで止めることのできなかった『太平洋隕石』に対する不審から、不安の声も多数上がった。
 だからと言って、具体的な証拠が何もない意味不明な通信をまともに取り扱うほど、国家機関とは暇ではない。
 それ以上、自衛隊がその通信について取り上げることはなかった。
 と、ここまでは一般にも流れている情報だ。なにしろ、その放送を聴いていた人間は、ただのノイズだと思っていた者も含めれば世界中で大勢いる。今、都市伝説に少しでもかじった人間なら誰でも知っている「『太平洋隕石』は宇宙人の乗ってきたUFO」という話は、ここから来ているものだ。
  事態が動くのは、それから数日後。
 世界の高官たちが一挙に集められた国際連合の席で、米国の国防省長官は苦々しい声で告げた。

「あの、世界にバラまかれた通信は……真実だ。我が軍のミサイルは隕石の硬度ゆえに破壊できなかったのではない。ましてや、不発や故障でもない。あれは、あの隕石に……迎撃されたのだ……」

 今まで、軍の機密だからと公表されなかったミサイル着弾の瞬間の映像がその場で公開され、そこでやっと国の高官たちは気づいた。それは、世界第一国が行うような悪い冗談などではなかったのだと。
 そこには、無数の金属製の『槍』を宇宙で撒き散らし、迫るミサイルをことごとく迎撃する姿。そして、隕石そのものから盾のような形状を本体の前に作り出し、爆風から身を守る姿が記録されていたのだ。
 本当に防がなければならないのは、津波ではなく未知の外敵。猶予はたった一年。
 そんな状況で、堤防としてのコンセプトとは全く異なる、本当に『大堤防』プロジェクトが世界規模で始まったのだ。

   ●

 そこまで語り終えると、鹿島は話し続けた喉を冷めたコーヒーで潤し、再び総一に目を向ける。
 目の前の一人用ソファに腰掛ける総一も、丸テーブルの上に置かれたカップに初めて手を付けた。喉が鳴る音がいやに大きく聞こえる。自分が緊張していたのを、否が応にも自覚した。
 それもそのはずだ。なにしろ、今聞いている話こそ総一たちが安穏と平凡に暮らしていた裏で確かに行われてきた、とっておきの非日常なのだ。
 総一でも聞いたことくらいはあった、「『太平洋隕石』は宇宙人の乗ってきたUFO』などという噂以外は全て初めて聞く話ばかり。これで興奮しないわけがない。
「ここまでの話で、何か質問はあるか?」
 まるで教師のような口ぶりで鹿島は言った。
 総一は考えをまとめる間を取るためにもう一口コーヒーを口に含んでから、どれから問おうと迷った末に一つの疑問を口にする。
「なぜ、そんな事態を市民に隠したんですか?」
「無用の混乱を避けるためだ」
 まるでその問いを予想していたように、鹿島はさらりと返答した。
「当時はまだ敵の戦力も分からず、それが本当に敵なのかどうかすら分かっていなかった。前線基地である『大堤防』ですら、こちらから攻勢に出ることを意識しない作りなのはもし相手が敵意を持っていなかった場合、誤解を招かない意味もあった」
「しかし、そうではなかった……と」
「そうだ」
 鹿島はゆっくりと頷いた。

   ●

 『太平洋隕石』が墜落してすぐ、大規模な調査隊が編成された。表向きは隕石の材質などを調査するためという名目でのものだったが、実際には隕石を破壊することすら視野に入れた戦力を投入した、国連軍による軍事作戦だった。
 調査隊が『太平洋隕石』の墜落現場に到着したとき、《顔無し》は当然のことのように列をなして待ち構えていたのだ。海を埋め尽くすほどの『クレイマン』が、人類が初めて相対した異星人ということになる。
 だが、当然友好的な雰囲気などになるはずもない。
 仕掛けたのは人類からだった。未知の生物を見た動揺もあったのだろう。不審な通信が本当だったことへの恐怖もあったかもしれない。とにかく、人類は未知の異星人を『なかったこと』として処分することに決めた。
 戦闘が始まってしまえば、後はあっという間だった。
 結論からいえば……実際の戦力差はともかく、人類の大敗だったと言わざるを得ない。
 実際に戦ったお前なら分かると思うが、『クレイマン』は再生能力を除けばそれほど恐れるに足る存在ではない。『ビスク』や『マリオネット』のように俊敏さが無いからだ。十分に人類の現行兵器で対処できる相手だ。
 だが、それは《顔無し》について知っていればの話だ。頭部の中央にある『格石』を壊さなければ再生するなどと、初の接触で分かるはずもないのだから。
 弾数が定められている人類側は、消耗戦になっていくにつれどんどん追い込まれ、しまいには敗走という手段をとらなければならなかった。損害も、決して軽いもので済んだわけではない。
 その後、人類は早急な解決をあきらめ、長期的な戦いに備えて準備と調査を行うことにした。
 最終手段として、核実験と称して殲滅するという案もあった。だが、あの再生能力を目の当たりにしては、それで全滅できるという確証は持てない。
 とにかく、やつらを完全破壊する手が見つからない限り、人類に打てる手はなかったのだ。
 調査といっても、何も考えずに『太平洋隕石』にまで出向くのでは前回の二の舞になる。監視衛星からの映像を頼りにした、得るものの薄い作業しかできない日々が続いた。
 不思議なことに、《顔無し》は隕石墜落から一年の間は積極的な侵攻を行わなかった。運悪く『太平洋隕石』の近くを通りかかった、国連が規制した航路を守らなかった船が一隻沈められた以外、全く行動を起こさなかったのだ。
 しかしそれは、こちらにも情報が入ってこないということも意味する。遅々として進まぬ状況の中で、軍備だけが整えられていった。
 状況が変わったのは、隕石墜落から一年と少し経ったころ。数十体の『クレイマン』が、米軍に向けて侵攻を開始したのだ。
 それは、現在に続く定期的な侵攻の最初の一手だった。
 米軍はなんとかこれを退けるが、《顔無し》はもう待つことは止めたとばかりに進撃を続けたのだ。
 二週間後に日本、その二週間後にまた米軍、さらに二週間後にはオーストラリア。二週間のスパンを空けて、約五十体の『クレイマン』が定期的に陸を目指してやって来る日々が始まった。
 なんとか退けられてはいるものの、このまま波状攻撃を続けられれば人類の息切れは目に見えていた。『クレイマン』の弱点も分からず、情報の糸口もなく、ただ痛手を負う戦いだけが重なっていく。
 そんな中で発案されたのが、『クレイマン』の鹵獲だった。
 簡単な話、ただ戦うだけで情報が得られないなら、捕まえて解剖しようというのだ。
 もちろん、反対する人間は山ほどいた。なにしろ、相手は全長八メートルにもなろうかという巨人だ。普通に戦うだけでも被害を受けるというのに、鹵獲となればその労力は二倍、三倍にもなる。
 だが、戦いは実際に行き詰まっていた。何か画期的なものが生まれなければ、最悪の終わりが見えてしまうほどに。
 結局、その作戦は次の侵攻の際に実施されることになった。どの国に向けて《顔無し》が攻め込もうとも作戦行動が取れるように、入念な準備がなされた。
 隕石墜落から一年半。その作戦こそ、お前たち《アクター》が生まれることになった……なってしまった最初の一歩だったのだ。

   ●

 その時、唐突にその場を甲高い電子音が切り裂いた。
 気を張り詰めていて話を聞いていた総一は一瞬眉をひそめるが、鹿島は特にその音に驚いた様子もなく、腕時計を一瞥すると小さくため息を吐く。
「もうこんな時間か、少しゆっくり話しすぎてしまったな」
 デスクに向かい、備え付けられた受話器を取ると、おもむろに「時間通りだな、入ってこい」と相手に告げた。
 総一が入ってきたときと同じ、重苦しい駆動音と共に背後の扉が開く。そこには、スーツに身を包んだ一人の男が立っていた。
 年齢は、三十代中頃だろうか。痩せ気味の体型はひょろ長い印象を与え、頬も少しこけているように見えた。細いフレームのメガネをかけ、こんな自衛隊の施設にいるよりも、中小企業の中間管理職でもやっていそうな風体だ。
 男と目が合い、総一は慌てて立ち上がり頭を下げる。顔を上げると、男は気にしていない風で目礼を返した。
「こちらへ来てくれ、彼に紹介する」
 そう鹿島に声をかけられ、男は総一の横を通り過ぎて鹿島のデスクの前に立った。説明を求めるように目の前の二人を交互に見る総一に、鹿島はさらりと告げる。
「彼の名前は弍見啓輔(ふたみけいすけ)。お前と同じ《アクター》で、今日からお前の戦術指南をしてもらうことになった」
「戦術……指南?」
 戸惑う総一に、メガネでスーツの中年――弍見は、落ち着いた調子で口を開く。
「簡単に言うと、戦い方の先生をするということです。これからよろしく、高崎総一君」
「は、はぁ……よろしくお願いします」
 とても戦うことに長けているようには見えないその風貌に、総一は不安を隠しきれないのだった。


次回予告

 新たに表れた《アクター》弐見啓輔。彼と鹿島が知る《キャスト》と《アクター》の始まり。
 ヨエルが漏らした『母様』、そして『女王の写し身』の意味とは。
 一人前の《アクター》となるため、総一は新たな一歩を踏み出す。

 次回、Face to Fake――「幕開けを知るために」


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