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第三十幕「幕開けを知るために」


「それで、彼はもう連れて行ってしまって構わないのですか?」
 弐見は細い銀フレームのメガネを中指で押し上げると、鹿島に問いかける。その内容に総一は首を傾げた。
 今日は説明を受けに来るだけというつもりで来たのに、突然現れた戦闘指南を名乗る男。彼が総一とこの後に何かをするのは、あらかじめ決まっていたことのような口ぶりだ。
 しかし、鹿島は片手を挙げてそれを制すると、
「いや、こちらの説明がまだ途中だ。すまんが、少し待っていてくれ」と傍らの椅子をあごで指した。
「ええ、構いませんよ。昔話は……長くなってしまうものですからね」
 どう見ても年上の弐見に対する、鹿島の一見横柄に見える態度にも気にした風もなく。弐見はそう言って自分の飲み物を取りにコーヒーメーカーへと向かう。
「さて……それでは、話の続きを始めようか」
 再び組みなおした指の上で、鹿島は小さく呟いた。

   ●

 《顔無し》が定期的に攻めてくるようになったのと同時期。奴ら専門の対策部署が海上自衛隊から独立する形で作られた。
 ……そう、自衛隊の中にできたのではなく、独立だ。この『組織』に名前は無い。国連からの指示を受け、国家間のいざこざや内政的なあれこれを無視して、共通の敵に立ち向かう。そういう意図で作られた『組織』だ。
 『クレイマン』の捕獲に成功し、『組織』に集められた優秀な科学者たちによって解析が進み、『核石』が発見され、それを破壊すれば《顔無し》が活動を停止することが分かった。
 それにより戦術が確立されると、戦闘はそれまでの数倍楽になった。このまま戦いが収束してしまえるのではないか。一気に攻め込めば、もしかして勝ててしまえるのではないか。そんな期待を抱くものも少なくなかった。
 しかし、そんな淡い希望が呆気なく塗り潰される事件が起こる。
 二〇一六年の冬。アメリカ西海岸にある『サンフランシスコ大堤防』でのことだ。その日の報告による敵の数は43。多くも少なくもなく、いつも通りに快勝できるはずだった。
 思えば、《顔無し》との戦いが始まって一年と少し。慣れからくるたるみが出てくる時期だったのかもしれない。
 戦いが始まってしばらくし、定時連絡が来ないと本部の方から通信を入れると、聞こえてきたのはとてつもなく大きな爆発音、誰かの悲鳴や怒号、そして、それを飲み込むほどの若い男の甲高い笑い声。
 そう、この時が『ビスク』、そして『マリオネット』が始めて私たちの前に姿を現した日だった。
 『クレイマン』だけの時とは比較にならない戦力差に、何の準備もできていない『組織』の部隊は呆気なく全滅した。しかしおかしなことに、奴らはその後『大堤防』まで侵攻することなく引き上げていったんだ。
 次の日、その理由が明らかになった。『原点』の隕石が落下した後に起こったのと同じ、全世界全域同時通信。それがまた世界を駆け巡った。
 今度は様々な言語の同時放送ではなく、流暢な英語で。前のような聞き取りづらい電子音じみた声ではなく、二十代くらいの落ち着いた女の声だった。
 そいつが繰り返し放送で言っていたことは、至極単純。
「我々はあなた方が言う異星人です。話し合いを求めています」と、それだけだった。
 信じ難い要求に、それを受けて集まった各国の代表は頭を抱えた。最初に軍事行動をとったのは地球側だったからだ。もしも最初からあの異性人に交渉や和睦をする気があったのだとしたら、我々がしたことは突然現れた来訪者に対しての、最も野蛮な行いだったことになってしまう。
 だが、その気があったのならなぜすぐにそれをしなかったのか。なぜ、一年半近くも経った今なのか。今、積極的に攻めてきているのは向こうのほうだというのに。
 様々な答えの出ない疑問が、《顔無し》への不審をさらに募らせていた。そしてなにより、そんな連中との対談に赴こうと手を挙げるものなど世界中のどこにもいなかったのだ。
 長い協議の結果、当時の『組織』の代表者が周りから押し上げられるような形で対談の場に立つことになった。
 舞台は太平洋の海上。アメリカが用意した空母の上で、その場には一体のみで来るようにと連絡をした。連絡の方法などは分からなかったが、軍専用の帯域にも介入してこれた奴らのことだ、暗号化せずに軍用の電波に流すだけでちゃんと伝わっていた。
 やがて、宙を滑るように飛行しながら一人の女性が現れる。編み上げた髪は絹糸のように細く、金属のように光沢のある銀。眼も同色で、肌は病人よりも白い。そう、お前が見たのと同じ『ビスク』だ。
 その場にいた人間は以前の全滅した戦闘の映像を多少見ていたが、やはりその地球人そのまま――しかも目が眩むような中性的な美貌には驚きを隠せなかった。今までの《顔無し》の印象といえば、つるりとした泥人形――まさに『クレイマン』だったのだから。
 その『ビスク』は名前が無いようだったが、便宜上としてイオナと名乗った。
 イオナは意外にも、物腰が柔らかで言葉遣いも機械のように丁寧だった。まず彼女は、話し合いに応じてくれたこと、そしてそのための場を用意してくれたことへの感謝を述べた。
 面食らう地球の代表者がまず最初に聞いたのは、予定していたものの中で一番端的なもの。すなわり、「君たちは一体何者なのか?」というものだった。
 以前に説明したとおり、《顔無し(ノーフェイス)》とは宇宙から飛来した原子生命体だ。『核石』と呼んでいる本体のような物体を中心に、いくらでも取替えのきく無機物で構成された身体。この説明は、この時に『ビスク』から直接聞いたものというわけだ。
 有機生命体しか見たことの無い地球人類には信じがたいものであることは間違いないが、もう目の前に在るものの説明を聞いて否定するというのは順番が逆になってしまう。彼らは様々な疑問をとりあえず飲み込んだ。最も重要な質問が、まだ残っていたからだ。
「地球へやってきた――そして、人類を攻撃している理由は何なのか?」ということだ。
 イオナにとっても、本題はそれらしかった。彼女は終始無表情でいたが、その時だけ怒りのようなものを覗かせて、こう言ったと記録に残っている。
「『私』は、無くしてしまった自分の一部を探しにやってきたのだ」と。
 要約すると、こうだ。
 《顔無し》とは群体のようなもので、『クレイマン』や『マリオネット』のような雑兵が何体いたとしても、意識としてはたった一つしか存在しない。全ての《顔無し》が一つの大きな意思によって統率されていて、同じ目的のために身体の一部が別行動をしているような状態に過ぎないのだそうだ。つまり、《顔無し》はその全てで一つの大きな生命ということになる。
 その統一意思のことを我々は後に、蟻や蜂にちなんで『女王(クイーン)』と名付けた。その『女王』だけが、全ての《顔無し》に対する絶対命令権を持っているらしい。命令というよりも、生命としての進む方向――《顔無し》全体の方針の決定権に近いかもしれないが、命令の方が分かりやすいだろう。
 だが、『女王』一人が決定権を持っている以上、『女王』が選択を間違う=生命としての危機ということに即繋がってしまいかねない。これは生命体として、非常に危うい。
 そのため、本当に重要なことを決定する時、もしくは『女王』が自分の考えに不安を感じた場合のみ、『女王』と議論をするための仮想人格を用意する。自分とは異なる方向から思考させて考えを導き出させることで、『個』しか存在しないはずの種でも議論による回答を出せるようにしたわけだ。
 そのための仮想人格――『女王の写し身(クイーンズ・アバター)』は、本来議論のためだけに在る人格のみの存在。つまり、『クレイマン』のように身体を持って活動するわけではなく、《顔無し》という種の中にある思考を分散化させるためのプログラム。それには意思や主張は無く、ただ与えられた問題について解答を導き出すだけの存在。そのはずだった。
 『女王の写し身』は、必要だと『女王』が判断した時以外は休眠状態になっている。唯一の統一意思が絶対である種にとって、『写し身(アバター)』などという存在こそが本来はイレギュラー。「まさか」や「もしも」の時を想定しての選択だろう。
 しかしある時、『女王の写し身』がその役割を終えたすぐ後のことだ。突然宇宙を移動していた本体――後の『太平洋隕石』から、一片の欠片が分離して飛び出していったのだという。『女王』の呼びかけにも応じないそれは、まさしく『写し身』の離反だった。
 『女王』は恐れた。『女王の写し身』は、文字通り『女王』のコピーに近い存在だ。《顔無し》という種の中で唯一『女王』と議論する――つまり、『女王』に意見することを許された存在にするためには、それほどの権限を与えるしかなかった。
 事実、『女王の写し身』は分離の際に持ち得なかったはずの身体を手に入れている。『女王』の与り知らぬところでだ。ただ逃げて行っただけと、そう切り捨てることもできる。しかし自分の他に、まさしく『自分』であるとも言うべき《顔無し》への命令権をもった存在がいること。それは『女王』にとって、耐えがたい程の不安だった。
 すぐさま『女王』は『写し身』を追い始め、行き着いたところが地球だというわけだ。

   ●

 総一は頭を抱えたくなるのをなんとか堪え、なんとか理解できた部分をかいつまむように言葉にする。
「えー……つまり、そのクイーンズ? アバター? とかいうのを捕まえるのが奴らの目的だと」
「そういうことだ」
「じゃあ、最初に言っていた『原点』の隕石っていうのが……」
「そうだ。おそらく、全世界同時通信にて人類に忠告してきた、その『原点』こそがまさしく全ての原因。『女王の写し身』だったのだろう」
 対する鹿島の顔は、話の始めから全く変わらない。眉根に皺を寄せた生真面目そうな顔そのままで、とても冗談が混じっているようにも思えない。
 しかし、実際に《顔無し》と何度も相対していなければ、とても信じられない内容だ。なにしろ、総一にとっては全てが今知ったばかりの情報なのだ。自分が今まで、いかに何も知らずに戦ってきたかが分かる。総一が想像していたよりも、この非日常の舞台は途方も無く大きいものだったのだと実感した。
(でも、まだ腑に落ちない部分はある……)
 そう、ここまできてまだ、それはただの前置きに過ぎない。今の説明では、《顔無し》は『女王の写し身』さえ捕まえられればいいはずなのだ。それから数年も経っているはずの今、なぜ戦いが何も変わらず続いているのか。そこがまだ分かっていない。
 総一の目を見て、そこまで考えが及んだのを察したのか、鹿島は再び口を開いた。
「そう、話がそれだけなら戦いもそれで終わりだった。もちろん、そこにいた『組織』の代表者も同じ考えに行き着いた。だからこそ、次のイオナへの質問がある」
「次の質問……?」
「『なぜ、攻撃を仕掛けてきたのか?』だ」

   ●

 それに対するイオナの返答も、内容はともかくあっさりとした調子で紡ぎだされた。イオナは終始表情を変えず、言わば敵の真っ只中にいるというのにも関わらず、常に余裕すら漂わせていたのだ。
「『私』は当初、『貴方』を見くびっていました。失礼な話になりますが、『私』は『貴方』を簡単にねじ伏せられる格下だと想定していたのです。正直、ここまで侵攻に手間取ったのは『私』にとって不本意でもあります。……しかし、『私』は自分の意地を捨てても無くしたものを取り戻したい。そのために、今更ながら協力を仰ぎたいのです」
 余談になるが、イオナは《顔無し》や人類全体のことを指すときに、必ず『私』や『貴方』という単数形を用いたそうだ。そこからも、《顔無し》という種が『女王』を中心とした『全が一、一が全』の生命体であったことが分かる。
 話を戻そう……。身勝手な要望ではあったが、それを断って戦いを継続するような意思は当時の『組織』にはなかった。その直前に、あの『サンフランシスコ大堤防』での戦いを見せ付けられていたからだ。なぜあの戦力を最初から投入しなかったのかという疑問は残ったが、『こちらをどうとでもできる戦力がある』というだけで、こちらへの交渉材料としての価値は十分にある。
「我々も戦わずに済むのならその方がいい。貴方の一部を探す方法を教えてもらえないだろうか。できる限りの協力はしよう」
「そうですか……ありがとうございます。それでは、その方法ですが」
 どんな非常識な方法を提示されようが、どれだけ労力のかかる方法を提示されようが、『組織』の代表者はそれを受け入れるつもりだった。
 優勢だった戦況が一瞬で逆転し、この戦いが終わるかという希望が崩されたその時、皆には一年半という長い戦いの疲れが一気に押し寄せてきていたのだ。とにかく戦いを終わらせたい。その場にいた人間たちのの最優先事項は、そこ以外にはなかった。
 だが――

「『貴方』の一部を、殺させていただければいいのです」

 代表者たちはおそらく、その言葉の意味を分かりかねただろう。
「おそらく『私』の一部は、この星で最も個体数の多い種である『貴方』に擬態していると考えられます。しかし残念ながら『私』には、『私』と『貴方』に擬態している『私』を外から見分けることができません。ですが『私』の一部が破壊されれば、それを知覚することはできるのです」
 当然のように紡ぎだされる、一見理論的にも聞こえるその言葉を、彼らは脳に受け入れることができなかった。それは、種が持つ価値観が異なるゆえに絶対に分かり合えない絶壁のような隔たりだ。
「大丈夫です。おそらく『私』は人の多い場所に潜んでいるはずですから、主だった場所から行っていけば『貴方』の存続に影響が出るようなことにはなりません」
 『個』を主体とする人類には、想像しようも無い提案だった。要するに『人類』さえ存続できるのなら、『人間』のある程度が死んでも、どれが生き残っていても同じだと。そのために、人口密度の高い場所から虐殺させて欲しいと。堂々と交渉しに来たということだ。
 もちろん交渉は決裂した。しかし、《顔無し》側にしてみれば回答などどちらでもよかったのだ。ただ、了解が取れれば手っ取り早かっただけの話。
「そうですか……残念です」
 それだけ冷たく言い放つと、イオナはその場にいた人間を全員残さず殺した。今までの話は、会話を録画したカメラがたまたま生きていたおかげで残っていた情報だ。
 その後、そんな会合など無かったかのように《顔無し》は定期的な侵攻を再開し、現在まで続けている。人類が《キャスト》という対抗策を開発し持ち出しても全力で攻めることはせずに、まるで拮抗したこの現状こそが狙いであるかのように。
 その目的は、まだ分からないままだ。

   ●

「……これで、この話は終わりだ。《キャスト》の開発や実践投入など、まだ話していない出来事はいくつかあるが、大まかに見れば状況はそこから変わっていない」
 つまり、定期的にやってくる《顔無し》を、『ビスク』がやってこないことを祈りつつ待ち構えて倒していく。それが際限ないことと分かっていながら、圧倒的な『ビスク』の存在ゆえにこちらから攻め込むことはできない。
「何か、質問があれば答えられる範囲で答えよう」
 そう問われた総一は、しかしすぐには言葉を発することができなかった。
 鹿島の説明は決して分かりづらいものではなかったが、それでも今は考えをまとめる時間が必要だったのだ。聞きたいことは無いのかと聞かれれば、ほぼ全ての事柄に当てはまってしまう。もう一度初めから話してくれと口をつきそうになったくらいだ。
 だから、総一はとりあえず首を横に振った。
「いえ、今は……。何かあれば、また後日伺いに来ます」
「そうか。では、弍見」
 話が一段楽すると見るや、鹿島は部屋の隅でこちらの話に耳を傾けていた男性――弍見啓輔へと声をかける。
「待たせて済まなかった、この後はよろしく頼む」
 弍見はそれを聞いて立ち上がると、状況の掴みきれない総一の前まで歩いてやってきた。
「君はこれから、『組織』の正式な《アクター》として《キャスト》を使いこなしてもらうための訓練を受けてもらいます。戦術指南などと先ほどは大仰に言われましたが、別に君に筋トレやマラソンをさせようってんじゃありませんので、安心してください」
「は、はい。よろしくお願いします」
「今日は話を聞いて疲れたでしょうから、これから主立って使う場所を案内するだけにしましょう。適当について来てください」
 早々と踵を返す弐見に着いていくため、総一はあわてて立ち上がると鹿島に一礼だけして部屋から出た。
 残された鹿島は一人、ギシリと椅子を軋ませた後にため息を吐き出す。
「ふぅ……」
 総一に語って聞かせた話には最後にほんの少しだけ、意図的に語らなかった続きがあった。それは、弍見が気付いていてもわざわざ言わなかったほどの些細なこと。
「『残念、ここにいる『貴方』は全員『外れ』だった』……か」
 イオナはその場にいた全員をコマ切れにした後、嘆息するようにそうこぼしたのだ。
 これを総一に告げていたら、もしかしたら彼の中で繋がってしまったかもしれない。ヨエルが言っていた、『当たり』という言葉と。
 もしかしたら自分が、『女王の写し身』かもしれないということ。自分がこの戦いの中で、どれほど重要な立ち位置にいるのかということ。
 それを知るするにはまだ早すぎると、鹿島は判断した。
 今の高崎総一には非日常への興味と、不自然なほどに昂ぶった戦意しかない。そしてその戦意は、たとえ命を賭けられるものだとしても覚悟とは違うのだ。
 自ら《恐怖》と名付けた総一の《キャスト》の姿を思い出し、鹿島は一人ごちた。

「お前は、人類にとって『当たり』なのか……それとも『外れ』なのか……。どっちだ?」


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