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第三十一幕「Gemini」


 弍見に連れられて総一がやってきたのは、巨大な体育館のような場所だった。非常灯のようなオレンジの小さい明かりに薄暗く照らされた空間は、突き当りが見えないほどに広い。
 数十メートルはあろうかというほど高い天井、縦横の幅もざっと二百メートル以上はあるだろう。総一はほとんど見えない天井を見上げながら、
「こんな場所が『大堤防』の中にあったなんて……」と、誰へいうともなしにつぶやいた。
「君もこの間見たと思いますが、ドックや船舶の整備工場。それから武器弾薬の保管庫や、それを扱う『組織』の人間のための宿舎、それに伴う生活のための設備。そしてこういった訓練のための施設」
 弍見は入り口の傍らにあるパネルを操作し、館内の電気をつけていく。薄暗いオレンジに照らされていた館内が、次々と蛍光灯の白い光に満たされていった。
「さっきの話にもあったでしょうが、この『東京大堤防』は《顔無し》と戦うための前線基地。どちらかと言うと堤防としての色の方が薄いのは、至極当たり前のことなのですよ」
 そう説明を終えた弍見のことを、総一は改めて観察した。
 濃いグレーの背広に身を包んだ、三十代中ほどに見える男性。銀色のフレームのメガネを中指で押し上げるしぐさは、どこぞの会社のサラリーマンを連れてきたようにしか見えない。
 総一はこれまで何人か『組織』の人間と顔を合わせたが、鹿島や綾人はもとより温和そうな沢村睦月でさえ、戦いを身近に置く者が持つ緊張感のようなものが雰囲気として感じられた。しかし、《アクター》だと紹介されたはずの目の前にいる男からは、まるでそんな雰囲気を感じないのだ。
 そしてもう一つ引っかかっていること。それはこの間、初戦へ赴く前の雪野透花との会話だった。
 『ジオ・グランシティ』の地下から乗った列車の中で、彼女は確かに言ったはずなのだ。

「綾人君の他に、戦える《キャスト》は貴方一人です」――と。

「……あの」
 考えて出るのは憶測ばかりで、答えが見えてくるわけではない。総一は、一番手っ取り早い方法で確かめることにした。
「弍見さんは、《アクター》なんですよね?」
「ええ、そうですが?」
 自分の歳の半分ほどだろう総一にも敬語を崩さない、落ち着きはらった態度の男性は、やはり戦いを常にしている人間とはどこか違う雰囲気を感じる。
 総一は意を決して、なるべく自然な風を装って言った。
「弍見さんの《キャスト》……。よければ、今ここで見せてもらえませんか?」
 不自然な要求ではないはずだった。この広い空間は、どう見ても《キャスト》が戦闘訓練を行うためのスペースだろう。縦横だけでなく、これほどの高さをとっているのがその証拠だ。
 しかし、弍見は考えあぐねるように顎に手を当てて、
「あー……うん。そうですねぇ……」と、うなってしまう。
 ダメ押しをするように総一は言った。
「俺は白城の《白騎士》と自分のものしか、《キャスト》というものを見たことがありません。他の人がどう『変わる』のか興味があるんです。お願いします!」
 疑問を確かめるためではあったが、総一の口から出たのは半ば以上本気のセリフだった。この『組織』に関わってしばらく経つが、綾人以外の《アクター》と関われたのはこれが初めてのこと。非日常を求める高崎総一が、こんな機会に好奇心を刺激されないわけがない。
「仕方ありませんね……。説明もあるんで、次回にしようかと思っていたんですが」
 根負けしたようにそう言うと、弍見はゆっくりとメガネを押し上げた。
「まず……私の《キャスト》は君や白城君のように自分の身体が『変わる』タイプと、大分趣が異なります。君たちのように自分の身体が、人に近い形状に『変換』されるタイプを『人型』。私のように自分の身体から離れて、《キャスト》が具現するタイプを『分離型』といいます。他にもいくつかありますが……今はまだいいでしょう」
 説明の最中、じっと弍見のことを見つめていた総一は、一瞬視界が霞んだような気がして目を擦った。弍見の姿がその瞬間だけ、ぶれて見えたような気がしたのだ。
「それから、私の『仮面』は少々特殊でしてね。この『弍見啓介』の肉体そのものが私の『仮面』なんです」
 そう告げる合間にも、どんどん弍見の身体のぶれは酷くなっていく。目の錯覚などでは断じてない。まるで焦点をぼかして見ているかのように、高速で前後左右に動いているかのように、弐見の実像を捉えることができないのだ。

「それではお見せしましょうか……。『変換(コンバート)』!」

 その言葉が聞こえた瞬間、弍見のぶれは最高潮に広がった。弍見が元いた場所を中心に、半径一メートルほどが人型の残像で満たされる。その中心へ向かって吹き付ける強烈な風に、思わず総一は目をきつく瞑ってしまった。
「もう……大丈夫ですよ」
 声がかかって目を開いた総一の目の前にあったのは、『変換』する前と何も変わらない弍見啓介の姿だ。だが、その場にいたのは彼だけではない。弍見の言っていた通り、彼の《キャスト》は確かにそこにいた。
「さて、紹介しましょうか。これが私の《キャスト》、《双子座(ジェミニ)》。……そして」
 驚きに目を見開く総一の前で、弍見は隣に立つ、もう一人の『弍見啓輔』を促す。弍見と全く同じ姿のその男は、総一に向かって軽く会釈をした。その動きは、執務室で見た弍見のものと全く変わらないように見える。
 いや、動作だけではない。二人目の『弍見啓輔』は、弍見と全く同じ顔、声、そして口調で、
「はじめまして、私の名前は弍見祐輔。啓介の、もう一つの人格です」
 そう、はっきりと自己紹介をした。

   ●

 自分で言うのもなんですが、私はいたって『普通』の子供でした。
 友人と呼ばれる人間も適度にいて、それに合わせて、周りに埋もれるように。狙ってやっていたわけではありませんが、無意識に出る杭は打たれると思っていたのかもしれません。
 そうしているうちに、気が付いたことがありました。いえ、それは何も特別なことではありません。中学生くらいの年代で誰もが考え、そして忘れて、大人になって思い出すと羞恥で震える。そういう考え方。
 そう、人は人とは分かり合えないという、ただそれだけのことでした。
 人の心が読める人間などいません。他人に意識があることは証明できないなどと言った人もいましたし、極論を言ってしまえば、自分を真に理解できる人間は自分一人きりのはずです。どれほど友人という言葉で取り繕っても、すれ違いやぶつかり合いは必然として生じてしまう。
 いえ、これに反論がある方もいるでしょう。今話しているのは、こういう考え方を強要するというわけじゃないんですよ。
 ただ、昔の私はそう考えていたというだけの話。そして、その自分で導き出した事実を受け入れ、誰とも真には分かり合えないと諦めてしまうことが、当時の私にはもの凄く嫌だったという話です。
 人間なら誰でも思うことでしょう。人と打ち解けたい、誰かと分かり合いたいと。同じ考え方をして、同じ問いに同じ結論を導き出すような、真に自分を理解してくれる誰か。しかし、そんな『誰か』は自分以外には有り得ない。
 自分がもう一人いたらいいのに、と私が最初に考えたのは、まさにその時でした。同じことを忙しくて手が足りないときに思う人もいるでしょうが、私に必要なのは労働力ではなく、理解者だったわけです。
 そんな考えを持って、ある時。本当にふと気が付いたら、祐輔はまるでずっと前からそこにいたかのように、当たり前に私の中に存在していました。
 乖離性同一障害というのでしたっけね。俗に言う二重人格に当てはまるのでしょうが、一般に言われるそれとは違うような気がしました。彼は私の中に芽生えた別人格などではなく、忠実に再現された私のコピーなのです。私と同じ性格で、同じ感じ方をし、全く同じ経験を蓄積している。別の意識でありながら、私の無条件の味方であってくれる唯一の存在。
 別人格として現れた以上、祐輔にも肉体を専有する権利はあります。実際何度か、私たちは面白半分に入れ替わったりしていました。
 ですが、そんな普通の二重人格がするような行動に、私たちはほとんど意味を見出せませんでした。私がしようと思うこと、私が同じ立場に立っていたらするだろうことを、祐輔は何も言わなくても行ってくれるのですから。
 肉体的な疲労は蓄積されるため、片方が寝ているときにもう片方が勉強する、などといった時間的なズルも使えませんでしたしね。
 ああ、ちなみに入れ替わっていた最中、友人と呼んでいた人間はおろか両親でさえ、『弍見啓介』を動かしている人格が変わっていることに、違和感すら感じた人間はいませんでしたよ。
 祐輔と私は同じ時間に起き、同じ時間に寝て、同じものを肯定し同じものを否定し続けました、祐輔が現れたことで、私はずっと満たされた日々を送ってこられたのです。自分のすぐそばにすべてを理解してくれる人がいるのですから、これ以上の幸せはありません。
 しかし、もう一つだけ欲を言わせてもらうなら、別の意識である彼に別の肉体を持ってもらいたかった。自分へ向かって語りかける風ではなく、面と向かって理解者と言葉を交わしたい。
 そう思っていたからこそ、自分に《アクター》の素質があり、その説明を受けたとき、私は自分の《キャスト》の形がこうなると何の疑いもなく確信しました。彼は私の望んだものであり、拠り所であり、まさしく自分というものを示す『象徴』であったのですから。

   ●

 前置きもなしに始めた身の上話を終えて、弍見は苦笑交じりで総一に向き直る。
「君の危惧していることは分かりますよ。戦闘指南として紹介されたはずの私の《キャスト》が、戦闘に向いていないタイプなのが気に入らないのでしょう?」
 心を読まれたような気分になり、総一はびくりと身体を震わせた。
 気に入らない、とまで思っていたわけではない。しかし教わるのなら、総一の中で『強い《キャスト》』の代名詞である綾人が適任だと思い、無意識にそれを期待していたのかもしれない。
「ですが、先ほども言った通り、私は君に戦い方そのものを教えるわけではないんです」
「どういうことですか?」
「《キャスト》というものは……まぁ、見れば分かりますが個人によって千差万別な代物です。姿形、持っている能力、同じものは一つとしてない。つまり、それぞれに適した戦い方をいちいちマニュアル化することなど不可能なんですよ」
 やれやれとでもいうように、二人の弍見が同時に肩をすくめた。
「じゃ、じゃあ。俺は何を教わればいいんですか?」
 弍見の言っていることは、言われてみれば確かにその通りだ。もしも綾人に『綾人の戦い方』を教わったとして、それを総一が実践できるかと聞かれればそれは無理に決まっている。
 あの戦い方は、敵を一撃で素早く倒せる近距離用の能力、敵の懐に潜りこむための圧倒的なスピード、その両方を兼ね備えた《白騎士》だからこそのものだ。どちらか言えば遠距離用の能力である《恐怖》が真似をしようとするのは、自ら死にに行くようなものだろう。
「簡単なことです。私が教えるのは、『自分を理解する方法』です」
「……はい?」
 弍見の言っている意味が分からず、総一は首をかしげた。
「以前、鹿島さんの執務室で白城君に倒されたことがあったでしょう。あの時君は、彼のスピードの前に手も足も出なかった」
「な、なんでそんなこと……!?」
「君のデータは一通り目を通させてもらってますからね。執務室の一件だけじゃなく、臨海公園での件やこの間の戦いのもです。まぁ、話を戻しましょう。あんな重そうな鎧を着込んでいるのに、あの驚異的なスピード。《白騎士》がそれを実現できているのは、何故だと思いますか?」
 何故、という問いかけに、総一は困ってしまう。あの身長三メートルほどもある鎧姿。その中にどれだけ筋肉質な男が詰め込まれていたとしても、あのスピードを出すのは物理的に不可能に思える。
 今まで《キャスト》とはそういうもの、という考え方で片付けてしまっていたことに、本当は科学的な根拠でもあるというのだろうか。
「……それは、白城の《キャスト》がそういうものだから、じゃあないんですか?」
 今の総一には、そう答えることしかできない。それを聞いて、弍見は残念そうに首を横に振る。
「それでは、せいぜい50点ですね。たしかに、彼の《白騎士》は元々身体能力に長けた《キャスト》です。ですが、ただそれだけというわけではない。簡単に言ってしまえば、戦闘に向く《キャスト》とは、元になったイメージが《アクター》の考える『強さの形』になっているものなんです。自分を深く理解するということは、そのイメージを強固にするということ。自分の中の『強さの形』を揺るぎないものにするということです」
 弍見は隣に立つ自らの《キャスト》――《双子座》に目配せをする。
「《アクター》のイメージが強くなると、《キャスト》にも反映されて身体能力を上げることができるんですよ。……たとえば」
 その言葉に合わせるように、《双子座》――弍見祐輔が腰を少し落とし、陸上のスタンディングスタートのような構えを取る。まさか何かされるのかと、総一が顔に手をやるのとほぼ同時に、祐輔は総一に向かって駆け出した。
「こういうことです!」
 総一と祐輔の間にあった距離は三メートル強。普通に人が駆けてくるのなら、対処できない距離ではない。
 しかし、スーツを着た三十代男性とは思えないほどのスピードで祐輔は総一の間近に迫り、反射的に『仮面』を取り出そうとした総一の手を瞬く間に掴んだ。
「お……っと。大丈夫です、何もしませんよ」
 驚きの表情のまま総一は、ただの人間にしか見えない目の前の男を見上げる。《双子座》のスピードは《白騎士》にこそ遥かに及ばないまでも、目で追うのがやっと――人としての領域を超えた動きであることは間違いない。
 総一は改めて、《キャスト》というものがあらゆる常識の外にあるということを思い知った。
 祐輔は総一の手を離して一歩後ろに下がると、弍見の後を継ぐように語りだす。
「分かりましたか? 戦うということに意識を向けていない『私たち』でさえ、先ほど話したような《キャスト》の起源を理解することで、ここまで性能を向上させることができるんです。戦闘タイプである君に同じことができれば、今とは比較にならない強さを手に入れられるでしょう」
 ここでようやく総一は、先ほど語られた身の上話の意味を理解した。あれこそが、その『自分の理解』のために必要な行程なのだ。
 自分の《キャスト》が、何故そのような形で、どういう自分の感情から、どうして強く想うようになり、形成されることになったのか。それを理解するために。
 そしてそれは、自分でも考えていた《恐怖》に一番足りていないもの、運動能力の向上に繋がっているという。
 総一の手に、自然と力がこもった。自分の『力』を上げる、明確な目標が見えてきたのだ。
「高崎君には、宿題を与えましょう」
 弍見が、ピッと人差し指を立てながら言う。
「三日後……木曜日にもう一度ここに来てください。それまでに、私が話したような自分の《キャスト》に関していそうなエピソードを、自分の中から片っ端から集めるんです。自分が自覚できてさえいれば、別にそれを私に話せとは言いません。それを自覚した状態で、訓練を始めていきましょう」
「はい!」
 はっきりとした声で返事をして、今の弍見のセリフを反芻する。
(……ん?)
 そこで、総一は気が付いた。
(自分の《キャスト》に関する記憶……エピソード……?)
 自分の《キャスト》――《恐怖》の悪魔のような姿を思い浮かべる。あんなもの、《顔無し》を知るまでの自分の記憶に、ほんの少しでもあっただろうか?
 そんなわけがない。見覚えなどないし、思い出などあるはずもない。あるのは薄闇の中での記憶。見知らぬ少女との問答。全て『変換』を経験した後の話だ。
 今まで意識していなかった――いや、深く考えようとしていなかった疑問が、ふつふつと煮えるように自分の中で温度を上げていくのを、総一は自覚する。
「ん、どうかしましたか?」
 来た時と同じように、パネルを操作して明かりを消している弍見が不思議そうに声をかけた。その隣に、《双子座》の姿はもうない。
「いえ……何も」
 施設の中が再びオレンジ色の予備灯だけに照らされ、限りあるはずの奥行きが、どこまでも続いているように感じられる。
 総一はそれを振り返りながら、背中を冷たい汗が流れるのを感じた。
 近づいているのだ。あの薄闇と、正面から向き合わなければいけない時が。


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