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第三十二幕「自亡少女(1)」


「さぁ、さっさと白状した方が楽になるぞ!」
 目の前で机を思いっきり叩いた――この間なんとなく友情を深めたつもりになっていたはずの――友人を見上げながら、高崎総一は心の中だけで嘆息した。
(なんで……俺がこんな目に……)
 放課後の教室。総一たち以外の生徒が帰ったどこかがらんとした空間は、時折遠くから聞こえてくる運動部の掛け声も相まって、総一のやるせない気分を余計に盛り下げてくれている。
 総一たち、とはすなわち――自分の席に強制的に座らされている総一。それをさせた張本人であり、なぜか心底憤慨したという顔で仁王立ちしている北里正樹。彼の後ろの死角で、総一に向かって手を合わせた謝るような仕草を見せている君塚弥生。そして、そのさらに後ろでは部活がないばかりに正樹に捕まってしまった桜子と綾人が、あまり興味なさげに机の上に腰掛けていた。
 ちなみに、綾人は転校してきてすぐに剣道部への入部を決めていたらしく、部活の繋がりで最近は桜子と話すことが多くなったようだ。
「とにかく、話すまでは帰れないと思えよ! 例の下級生との関係を!」


 時を巻き戻すこと十五分。
 総一はホームルームが終わると同時に真っ先に立ち上がり、まっすぐに教室後ろの扉へと向かった。
 昨日弍見から言い渡された課題を達成するため、するべきこと、やれることは山ほどある。対して結果を出さなければいけない期限は三日後。余裕は非常に少ない。総一の気が急くのも無理からぬことだろう。
 弍見が結果を急ぐ理由に、総一には心当たりがあった。
 一番初めに《顔無し》と遭遇した臨海公園の一件から、前回の戦いまでの期間は二週間強。透花や鹿島から聞いた話では、《顔無し》は定期的な期間を置いてやってくるとのこと。そして、試験を挟んだ今は前回の戦いから一週間は経っている。
 つまり、次の戦いがわずか一週間後には迫っているということだ。
(その時には、またあの『ビスク』が現れるかもしれない)
 白城綾人の《白騎士》が敵わなかった相手に、自分の付け焼刃でどうこうできるとは思っていない。しかし、今自分が『組織』の正式な戦力として数えられていること、目に見える目標が確立したことで、総一のモチベーションは今までで最高と言っていいほどに高まっていた。
 しかし――
「たーかさーきくーん」
 そのテンションの上昇を押し留めるかのように、教室から片足を出した総一の肩を、ガッとわし掴む手があった。
「そーんなに急いで、どこにいくのー?」
 間延びした声とは裏腹に、肩の手に込められた力は強い。その手の心当たりなんて、総一には一人しか思い当たらなかった。
「な、何の用だよ。正樹?」
 振り向きながら言った先にあった顔は、これ異常ないほどにできの悪い作り笑顔だった。
「高崎クン」
「……ハイ」
 なんだその呼び方はと思ったが、そこだけ笑っていない目が怖くて言い出すことができない。
「この間、試験ができてないもの同士で結束を固めたはずのボクらが、こうも簡単に破局を迎えるだなんて……全く残念なことこの上ないよ」
 突込みどころが多すぎて、どこから突っ込んでいいものかと総一は一瞬迷ってしまった。頭を抱えたくなったとも言う。とにかく、180センチ以上もある男がボク口調で話すのは素直に気持ち悪かったし、日本語が明らかにあちこちおかしいような気もする。
「何の話だか、全然分からないんだが……」
 素直にそう返したはずなのに、その瞬間すっと正樹の目が細められた。こういうとき、正樹の小芝居じみた演技臭さは妙に芸が細かかっていたりする。帰宅部なんかじゃなくて演劇でも始めてみたら、もしかして才能が開花するのではないかと、総一は半ば本気で思った。
「先々週の金曜日、試験直前のことです」
「はぁ」
「そんな一番慌しくしなければならない中、黒髪ロングのかわいい女子と一緒に意気揚々と帰宅する少年が一人いました。さて、それは誰でしょう!?」
 マイクでも持っている風に、軽く握った手を総一の口元に押し付けてくる正樹。一方、総一はそこまでされてやっと、今自分がされていることに合点がいった。嫌な汗が背中を伝い、引きつったような笑みが勝手に顔に浮かぶ。
「それは、もしかしなくても、俺のこと?」
「大正解ー!」
 先々週の金曜日といえば、前回戦闘があった日。つまり、総一が教室にやってきた雪野透花に連れられて『東京大堤防』まで行った日のことである。
(そういえば、あの時は君塚と一緒だったような……)
 自然と目で探すと、苦笑を浮かべた君塚弥生と目が合った。その瞬間に縦にした手を前に出し、ペコペコと頭を何度も軽く下げる弥生。どうやら、情報の出所は彼女らしい。
「は、はは……」
 苦笑いとともに目線を戻すと、作り笑顔が妙に怖い正樹。
「はい、じゃあ正解者の高崎君は事情聴取のためにこっちに来ようねー」
 最初から一度も放されなかった肩を引っ張られながら、総一はどう言い訳をしようかだけを考えていた。


(んー、どう答えたものやら)
 そんな経緯で自分の席まで引っ張り戻されてから早十五分。いろいろと考えあぐねてみても、うまい言い逃れはなかなか思いつかない。
 始めは綾人の時と同様に、「バイトの同僚」ということで済ませようかと思ったのだが、それでは教室まで呼びにくる理由がない。バイト先まで一緒に行く仲というのも親密すぎるし、連絡事項があるだけなら一緒に学校を出る必要がないのだ。
 そもそも、正樹たちにはバイトの内容を中途半端にしか明かしていない。『組織』のことなど言えるわけもないし、これ以上自分のバイトに対して疑惑が増すようなことを言うのは避けるべきだ。
「答えられないってことは……。や、やっぱり彼女なのか? そうなのか?」
「いや、それはない」
 正樹の問いをキッパリと切り捨てて、総一は口元を隠すようにして自分の顔を撫ぜた。
 問題なのは、それよりももっと初歩的なことだ。透花は、果たしてこの霞ヶ丘高校の生徒なのだろうか。正樹は下級生といっていたが、総一は透花の年齢すら知らないのだ。総一を呼び出すためだけに制服を着て現れたという可能性も、十分にあり得ることだろう。
(まいったな)
 動揺が増して面白い顔になっていく正樹とは裏腹、総一は自分の思考の根本的な欠損に気付いてしまった。
 考えれば考えるほど深みにはまってしまうのは、総一が透花のことについて何一つ知らないからに他ならない。今までにプライベートな話をする機会などなかったし、正直に言えば『雪野透花』という個人に対して、総一はそこまで興味がなかったのだ。いくら考えようが、答えが出るわけがない。
(ん……? いや、待てよ)
 ふと何かに気づいた総一は、まだ何か言おうとしている正樹から目を逸らし、その後ろで所在なさげにしている人物の方へ視線を移した。
 そう、自分は何も知らないから何も言えない。透花の立場が分からないからうまい言い訳も出てこない、何を言ったら後々困るかの判断ができない。ならば、彼女を知っている人間にその判断をさせればいいのだ。
 彼へ呼びかける前に、総一は一度言葉を飲み込んだ。彼−−白城綾人に助けを求めるような行為をすることに、若干の抵抗を感じたからだ。しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。『組織』と総一の関係について、疑われて困るのは綾人も同じなのだと、自分に言い聞かせてから総一は口を開いた。
「おい、白城」
「ん?」
 当の本人は、なぜ自分に話を振られたのか分からないような顔をしていた。それは演技で、総一が困っているのを面白がっているなのではという疑惑が頭を掠めたが、彼はそんな人物ではないと思い直す。
「お前のほうから説明してくれよ。俺よりも事情に詳しいはずだろ?」
 曖昧な言葉で丸投げしたのは、一つの賭けだった。確かに綾人は総一より『組織』に詳しいはずだが、透花についてまで詳しいかどうかなど分からない。二人が個人的に話すのを見たわけでもないし、仕事上だけの付き合いしかないという可能性も十分にある。
 しかし、勝算はあった。初めての戦いに赴く電車の中で、透花は綾人のことを『綾人くん』と読んだのだ。あの無表情で冷たい印象の少女からすれば、これはかなり親しげな仲だと思ってもいいのではないだろうか。
 話を振られた綾人に、その場にいる全員の視線が集まる。言い逃れや、このまま場を引っ張ることは許されない空気。綾人は一つため息を吐くと、観念したように言葉を吐き出した。
「その子はな、俺の親戚だ」
「……!?」
 綾人の口から出た思わぬ単語に、総一は驚きの声を漏らしてしまいそうになった。
「親戚?」
 口を噤んでいた総一の疑問を、代わりに口にしたのは正樹だ。
「そうだ。最初に俺が転校してきたとき、自己紹介で言っただろ? 『親戚の都合』で転校してきたって」
「あー、そういえばなんか言ってたような気がする?」
 正直あまり覚えていないのだろう。正樹は首を傾げている。総一自身も、それほどはっきりと覚えていたわけではなかった。
「従兄弟とかじゃなくて、もっと遠い親戚なんだけどな。ちょっと変わった病気を患ってて、今まで学校に来れなかったんだよ。で、病状が安定して学校に来れるようになったから、親戚の中で歳が近い俺が一緒の学校に付いて来たってわけなんだ」
 まるで小説か漫画みたいな話だったが、綾人が真顔で説明すると不思議な説得力がある。そこにいた誰もが――総一がもし疑う側にいたとしても――その理由を聞いて、綾人の言葉をウソだと一蹴することはできなかった。
「あ、だからこんな中途半端な時期に転校してきたの?」
 納得した、とばかりに手を叩いて言ったのは弥生だ。
「ああ、そういうことだ。あんまり友達付き合いとかにも慣れてないやつだからな。この間は部活でちょっと抜けられなかったときに、高崎に少し面倒を頼んだんだよ」
(なるほど、そう繋げたか)
 すらすらと語られる綾人の説明は、最初から用意されていたかのように完璧だった。いや、実際に用意されていたのだろう。自己紹介から伏線を張っていたことから考えれば、親戚や病気という話も『組織』が作った設定であるという可能性だってある。
「君塚さんは見たかもしれないけど、腰まである黒髪で、色の白い女の子だ。もし見かけたら、少し気にかけてやって欲しい」
「おう、任せとけ!」
 綾人に向かってガッツポーズを決める正樹は、すっかり総一に対する怒りも収まった様子だった。綾人の方を向いている正樹の後ろで、総一はこっそりと安堵の息を吐く。
「……その子もしかして、表情あんまり変わらない感じの一年生?」
 ふと、桜子が思いついたように疑問を口にする。
「なんだよ、お前見たことあるのか?」
「うん。言われてみれば体育館の前に、そんな子が来てたの見たことあった。えらく綺麗な子だったから、部員の男子が騒いでたのよ」
 桜子は弓道部で、その活動場所である弓道場は体育館の裏手にある。
「なんだよーその子の顔見たことないの俺だけかー?」
「ああ、今日は定期検診の日で俺が送っていくことになってるから、ここで待っていればそのうち来ると思うぞ。北里、一回挨拶でもするか?」
「マジで!」
 興味津々と言った様子で振り向いた正樹の顔が、一瞬の後に少しだけ曇った。
「あのさ、言えないなら別にいいことなんだけど……」
「なんだ?」
「今、定期健診って言ったけどさ。変わった病気って、何なんだ?」
 それは、綾人以外の全員が気になってはいたが、気軽には言い出せずにいた問いだった。
 学校に通えないほどの病気というのは、普通の高校生をしている総一たちにとって、想像も出来ないほどに重いというイメージがある。
 しかも、これから定期健診を受けるということは、その病気はおそらく完治してはいないという予測も立つ。
 友人に面倒を頼むほどなら大したことは無いのかもしれないが、だからといって『気にしない』で済ませられるはずもないのだ。
 綾人もその問いは想定の範囲内だったのだろう。軽く頷くと、綾人はさらりと流れるように言葉を紡いだ。
 それは、その場にいた誰でもにわかには信じがたい。あまりにポピュラーで、しかし現実に目にかかったことは無い病。
「ああ、彼女はな……記憶喪失なんだ。ここ三年間より前の記憶が無い」

   ●

 同じころ、鹿島智久の執務室には弍見啓輔の姿があった。
 戦闘担当ではない弍見は、普段は『組織』の事務として働いている。組織の古株であり、《双子座》の能力で二人分の仕事が出来るため、実はどこの部署でも欲しがられている貴重な人材なのだ。
 今日鹿島の執務室に来たのは、前回の出撃にかかった費用の承認をもらうためだった。
 黙って書類に目を通していた鹿島は、目線や手の動きはそのままで、不意に口を開いた。
「すみません、弍見さん。厄介ごとを押し付けてしまって」
「……貴方が敬語でそんなことを言うなんて、珍しいですね」
 鹿島は弍見の言葉に、一度目を閉じて俯いた。自分の口から出た言葉を後悔していたのかもしれない。しかし、鹿島は再び顔を上げて言う。
「俺にだって、昔みたいに話したいときくらいありますよ」
 次に口から出た言葉は、はっきりそうと分かる弱音だった。
「そうですね、それは私もそう思います。でも、貴方はそれができない立場にいる。自分が望んでそうなった。違いますか?」
 鹿島は、この『東京大堤防』で行われる全戦闘の指揮や管理を、ほぼ全て一人で引き受けていた。もちろん、戦闘の時だけ指図すればいいという話ではない。今目を通している予算や設備の問題への対応、総一に対して行われたような《アクター》の選出と管理も、その職務には含まれる。指示をすれば動く部下は大勢いるとはいえ、その肩にかかった重荷は並大抵のものではない。
 鹿島が今の立場についてから、鹿島は敬語を使うことを極力控えていた。
 鹿島はまだ二十九歳だ。人を顎で使う立場に座る人間としては明らかに若すぎる。だが、それで舐められるわけにはいかないのだ。自分のしたいことをするために、自分のするべきだと思ったことをするために、誰からも真に認められる指揮官とならなければならない。そのためには、下手に出るということは絶対にしてはならないことだった。
「私に高崎君を見させたのは、私の《双子座》の能力が必要だと判断したから……でしょう?」
「……はい」
「彼は一見して普通の少年ですが、《アクター》として見れば明らかに異常だ。あれほど高い適合確率だったというのに、自分の《キャスト》の起源に心当たりさえ無い様子でした。かといって、雪野君とも違いイメージはしっかりと彼の頭に根付いている」
 適合確率とは、人間が『仮面』に取り付けられた『核石』と適合し、《アクター》と成り得るかどうかの確立である。《キャスト》としてのカタチと成り得る強いイメージ、象徴、拠り所、依存の対象。適合確率が高いなら――《アクター》になる適正が高かったというのなら、そういったものは必ず持っているはずなのだ。
「彼には思い出す猶予を与えましたが、今の状態から三日でというのは余程のことが無い限り無理でしょう。しかし、悠長に構えている時間も無い。だから、その余程のことを私たちで引き起こす……」
 鹿島は丁寧に固められたオールバックの頭をぐしゃりと掻き乱し、普段から寄せられている眉根の溝をより深くした。
「まったく……本当に敵わないですね、弍見さんには」
 そのとき弍見には僅かに、鹿島の口元が歪んだように見えた。それがどういう形か、どういう意図であったのかは分からない。
「弍見さんの方が俺よりも、本当にこの席に座るべき人間だったのかもしれない」
「そんなことになったら、私は真っ先に雪野君を前線に送り出しますよ」
 さらりと言い返した弍見を、鹿島はぎょっとした強い目つきで見つめた。
「私はね、鹿島君。本質的に自分のことしか考えられない人間なんですよ。それは、私の《キャスト》が証明している。だから、少しでも自分の危険になるだろうものは遠ざけたい。自分の立場が悪くなるだろうものは、早めに撤去してしまいたいんです」
 銀色の細いフレームの眼鏡を、弍見は中指で押し上げる。
「だが、貴方はそうじゃない。一般市民のため、部下のため、雪野君のため、そして『彼』のため。いつだって他人のために頭を働かせ、自らも行動し、決断をしている」
 『彼』という言葉が出た瞬間、鹿島は僅かに口を開きかけた。しかし、弍見はそれを無視して言葉を紡ぎ続ける。
「私はね、鹿島君。たとえ貴方に本当に「死ね」と言われたとしても、貴方を恨みませんし後悔もしません。貴方がそういう人間であることを、私は知っているから。おそらくは、『彼』もそう思っていたでしょう」
 弍見はただ淡々と、感情をほとんど交えずに語り続けた。叱咤でも励ましでもなく、鹿島の弱音になど付き合っていられないと、事実だけを述べるように。
「だから貴方は、そのままでいいんです。他人のために必死で駆けずり回り、悩んで悩み抜いて出した考えをさらに疑い、ギリギリで導き出した最良の答えを、容赦なく残酷に周りへ叩き付けなさい。それが、貴方の仕事です」
 鹿島は開け放しになっていた口を閉じ、溜まっていた唾を音を立てて飲み込んだ。
 そしてもう一度口を開こうとした瞬間、鹿島の机の受話器から短い電子音が断続的に鳴り響いた。
 静まり返った部屋の中で盛大に自己主張する受話器を、鹿島は弍見に目配せした後静かに持ち上げる。
「……ああ………何? 分かった。通してくれ」
 受話器を置いた鹿島の顔は、もう普段の固い指揮官のものになっていた。
「悪いが弍見。席を外してくれ。書類は後で届けさせる」
「急な来客ですか?」
「ああ」
 そう言った鹿島は、ため息を一つ吐き出した。これも、普段の鹿島を考えれば珍しいことだ。
「今日はどうやら、古い知り合いと言葉を交わすための日になっているらしい」
 ガコン、という重い金属の動く音と共に、執務室の大きな扉が開かれる。その向こうに立っていたのは鹿島と同年代くらいの、きっちりとしたスーツに身を包んだ女性だった。自信に満ちた薄い微笑を常に浮かべ、肩ほどで切り揃えられた黒髪はどこぞのキャリアウーマンのようである。
 弍見は軽い挨拶だけを交わして入れ違いで執務室を出た。再び扉が閉じられると、その女性は開口一番、
「こんにちは、智久君。久々だけど元気にしてた? それから――」
 隠しようの無い憎しみを吐き出すように、こう言った。

「『彼』を殺したあの女……雪野透花も、まだ生きてる?」



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