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第三十三幕「自亡少女(2)」


「いきなり来てご挨拶だな、水橋監査官」
 突然の来訪者に対して、しかし鹿島の態度はいつも通りだった。『昔馴染み』という言葉とは裏腹に、いや、むしろいつもにも増して気を張っているように見える。
 スーツ姿の女性――水橋薫は、誰に勧められるより先に鹿島の正面に位置する椅子に腰を下ろした。まるでこの部屋が我が物であるかのように、ゆったりと長い脚を組む。
「だって、その通りじゃない。智久君もいつまであんなコを飼っておくつもりか知らないけど、私はこの場所の空気をあのコが吸ってるってだけでも気分が悪いんだから」
 全く悪びれた様子もなく、水橋は言い放った。膝の上に肩肘をついて、大げさにため息を吐く。
「ここは、私たち『三人』の思い出の場所、でしょ?」
「……」
 『三人』を強調する水橋に対して、鹿島は押し黙った。先ほど弍見に、『彼』という人物を引き合いに出されたときと同じように。眉根の皺が、より深く溝を刻む。
 何かを堪えるように、搾り出した言葉は重かった。
「雪野を救ったのが……アイツの遺志だ」
「そんなこと、私は信じてないわ」
 その声も、水橋のキッパリとした言葉に打ち消される。
 今度は鹿島がため息を吐きたくなる番だった。鹿島にとって一つ年下であるこの女性は、親しかった三年前とは何もかもが変わってしまっていたのだから。
 自衛隊で士官候補生だった鹿島の後輩であった彼女は、こんなにギラついた視線で自分を見はしなかったし、ここまで横柄で自信過剰でもなかった。さらにいえば、ここまで大胆に人に対して、剥き出しの感情を向けられる人間でもなかったのだ。
(いや、そんなことを考えること自体が無駄なこと……か)
 落ち着きを取り戻し、諭すように鹿島は言った。
「それに関しての問答は、三年前に済ませたはずだ」
「そうね、話が本題に入る前に脱線しちゃった。悪かったわ」
 水橋は小さく肩をすくめると、あっさりと引き下がった。つい今さっきまで垂れ流しだった敵意など、最初からなかったように落ち着いた口ぶりだ。
「でもね、ここに来るとやっぱり色々と思い出しちゃうのよ。いつもここにいる智久君には分からないと思うけどね」
「……いや、そうでもないさ」
「そうなの?」
 鹿島はその問いに答えず、水橋の顔を正面から見返して強い口調で切り出した。
「それで、今日は何の用でここに来た?」
「そりゃあ、監査官が来るのは監査が必要だと判断したからに決まってるでしょ」
 水橋薫は、自衛隊から定期的にやってくる監査委員会の一人だ。
 『組織』は国連管轄の組織。そのメンバーのほとんどが自衛隊員で構成されているとはいえ、本家の自衛隊とは指揮系統も違えば、情報も全てを開示し、共有しているわけではない。《顔無し》や《キャスト》といった非日常の戦いを市民の目から秘匿するため、『組織』に入った自衛隊員は様々な守秘義務を負う。それは、元同僚である一般の自衛隊員に対しても同等である。
 つまり、日本という国にとって『組織』とは、自らの中にある管理のできない武力組織という見方もできるわけだ。しかも、その懐には現代科学で解明しきれていない、驚異的な兵器とななり得るもの――《キャスト》を抱えている。定期的な監査は必須であり、必然でもあるのだ。
「定期監査の時期はまだ先のはずだが?」
「この間の戦闘記録。読ませてもらったわよ。『ビスク』が現れた貴重な戦闘ですもの、当然隅から隅までね」
 それだけで鹿島は、心の中だけではっとする。総一と『ビスク』――ヨエルとの会話。高崎総一が『女王の写し身』である可能性があると、《顔無し》側に思われているという事実。その記録を鹿島は独断で削除したのだ。
 内心の動揺を表情には全く出さずに、鹿島は答える。
「それで、何か問題でも出たと?」
「そりゃあそうでしょう。一番重要なはずの、『ビスク』と遭遇した《アクター》とのやり取りが、丸々残っていないんだもの」
 《キャスト》が装着する小型通信機――通称『耳』は、それを使ったやり取り、また周囲で行われている会話や発生した音を、その都度録音して本部へと送り、自動的に保存する機能がある。重要な情報を逃さないため、また戦闘の反省点を後で確認しやすくするための機能だ。鹿島がその日削除した記録とは、これのことである。
「ああ、『ビスク』と遭遇してすぐにだが、あの《アクター》――高崎の『耳』からの通信が途絶えたんだ。『ビスク』との戦闘だ。何かの際に壊れてしまったんだろう」
「記録はなくても、本人から聞いたはずでしょう。あの時、フットパートナーだった沢村睦月は気を失っていて、逃げようとしても不可能だった。高崎総一は戦闘での負傷はほとんどなく、今日も元気に登校中。なら、『ビスク』との間に戦闘以外の何かがなかったなんて、無理がありすぎると思わない?」
「本人は何も覚えていないそうだ。気を失っていたフットパートナーのことが心配だったんだろう」
 しれっと言い放つ鹿島に、水橋はキッパリと言い返した。
「そんな言い訳を、誰が信じると思ってるの?」
 自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分の体で感じたこと。それだけしか信じない。そういう意思が水橋薫の体から、オーラのように滲み出ていた。
 鹿島はいまさらながらに思い出す。 三年前から、水橋はそういう人間になっていたのだったということ。
 『彼』と共に常に前を向き、正義という目に見えないものを信じ、人類のためにと本気で思って戦っていた若者は、この部屋のどこにもいない。
 自分もそうだ、と鹿島は納得する。自分も三年前とはまるで変わってしまった。ここにいるのは、過去に縛られて足掻き続ける哀れな道化だけだ。
(だから、俺は貴方が言うような大層な人間じゃあないんですよ。弍見さん……)
 鹿島は背を改めて正し、水橋を鋭く見つめなおす。自分が行ったことは事実でも、それを今認めることはできない。
「何を信じないと言われても、こちらは無いものを出しようがない。時期でもないのに監査をするというのなら、しっかりとした根拠のもとに行ってくれ。こちらも暇ではないんだ」
「そんなに手間は取らせないわ。その日の通信履歴を見せてくれればいいのよ」
「だから、高崎からの通信を受け取ることはできなかったと言っているだろう」
「違う違う。そうじゃないのよ、智久君」
 水橋の、余裕綽々といった態度は崩れない。この部屋に入ったときから張り付かせていた、過剰なほどの自信に満ちた微笑み。
 鹿島はそれを、変わってしまった水橋の性格から来るものだと思っていた。事実、監査官として何度か『東京大堤防』で顔を合わせたときも、彼女にはその兆しが垣間見えていた。自分のしたいことをするために出世の道を辿り、自らの力で勝ち取った結果から得た自信。そうした自信が、その微笑の源なのだと。
 だが、それは自分の思い違いなのではないか。ここにきて、鹿島はようやくそこに思い至った。
 水橋が今日、こうしてわざわざやってきたこと。余裕のある態度。常に崩さない微笑。それらには、もっと列記とした裏づけがあるのではないのか。
 鹿島が知っている水橋薫は、決して無能な女性ではなかった。むしろ、自衛隊の中で数少ない女性仕官として出世が望めるほどに、優秀な部類に入る人間だったはずだ。少なくとも、根拠のない自信だけでヘラヘラ笑ったりするような人間ではないと、自分は誰よりも知っていたはずなのに――。
「私が欲しいのは、《アクター》の通信機から送られてきたデータのことじゃない。そうじゃなくて、今、貴方の机の中に保存されている、あの日に『貴方が』した通信の履歴が見たいのよ」
 鹿島の頬を、冷や汗が一筋流れた。自分の敗北を自覚したのだ。
 完全な失態。ケアレスミスだった。鹿島が消去したのは、『耳』が捕らえた音や会話、それ自体が自動保存を行った通信の記録だ。その中にはもちろん、鹿島自身からした指示などの通信も含まれている。鹿島はそこで、総一とヨエルの会話を全て消したと安心してしまった。
 しかし、『耳』が自動的に『大堤防』へ送って記録するものとは別に、この『東京大堤防』から通信を行った機器それ自体にも、履歴を保存するという機能は存在しているのだ。その中に残っている履歴には、確かに総一とヨエルの会話はない。あくまで鹿島がこの部屋から行った通信の履歴があるだけだ。だが、それはつまり記録に残っていない通信に対して、鹿島が呼びかけている様子だけが残っているということ。鹿島が通信記録を削除したという証明に他ならない。懸念を持ってここまで来ている水橋は、持っている疑惑を確信に変える証拠として十二分だと考えるに違いない。
 そうなってしまえば、鹿島はもう言い逃れることはできない。監査官の正当な権限を以て、消去した内容も洗いざらい話させられることになるだろう。黙秘しようとするなら、今の立場が取り上げられるだけなのだ。
「あはは! 智久君のそんな顔見たの、何年ぶりだろう。今日はそれだけでも来た甲斐があったってものね」
 ひとしきり笑った後、水橋は堂々とポケットからACレコーダーを取り出しつつ、鹿島に向けて告げた。
「それじゃあ、何があったのか教えてくれる?」
 鹿島には、何もかもを正直に白状することしかできなかった。人間という『種』を『個』としてくくって認識していたはずの《顔無し》が、高崎総一という特定の個人に興味を持っていたということ。そして、その高崎総一を『女王の写し身』ではないかと、少なくとも『ビスク』の一体であるヨエルは考えているということ。
 水橋は説明を一通り聞いた後、何かを考えるように押し黙った。
 鹿島にとって生きた心地のしない時間がしばし過ぎた後、水橋は勝ち誇ったもののする笑みのままで口を開く。
「この情報、場合によっては黙っておいてあげてもいいのよ?」
「……なんだと?」
 意外すぎる発言に、鹿島は普段より深く眉をしかめる。
「確かに、これは私にとっておいしすぎる情報ね。でも智久君の口頭で私が聞いたってだけだと、ちょっと確証に欠けるものがあるかもしれない。もしも私がこのレコーダーをここに忘れて、今そのまま帰ってしまえばどうかしら。智久君の肉声も、今机の中にある記録も、全部消去できる時間が手に入るとするなら?」
「そんなことは……」
 レコーダーを手の中で弄ぶ水橋を見ながら、鹿島は水橋の考えを全く読み取れずにいた。
 どう考えても、これは鹿島を誘いに乗らせるための甘言だ。有り得ない『もしも』を聞かせて鹿島を釣ろうとしているのは明白。そんなことは鹿島にも分かっていた。しかし彼女が今日やってきた目的は、今の情報を入手した時点で完了したはずなのだ。ならば、それと引き換えにしてまで何を求めるというのだろうか。
「場合によっては、と言ったな」
「そうね」
「何が目的だ。条件を言え」
 そう、いくら甘言だと分かっているとはいえ、すでに情報を吐き出してしまった鹿島に選択肢はない。
 苦虫を噛み潰すような顔で、鹿島は水橋のひいたレールの通りに会話を進めることしかできない。
「次の戦闘があるでしょ。一週間くらい後に」
「ああ、予定通りに奴らが来ればの話だがな」
「それに、雪野透花を出撃させなさい」
「なっ……」
 動揺する鹿島を横目に、水橋はなんでもないことのように、笑い混じりで言葉を続ける。
「それから、再来週から綾人君の学校で修学旅行があるらしいじゃない。日頃から働き詰めでかわいそうな綾人君に、行ってくるように智久君の口から言ってあげなさいよ。……そうね、積立金が足りないとかなら、私のポケットマネーから出してもいいかな」
「……どういうつもりだ。雪野が、まともに戦えるわけがないことぐらい知っているだろう」
「どういうつもりも何も……言ったでしょ? 私はあの子がここで息をしてるだけで、腹が立つのよ」
 射抜くような視線で鹿島を睨んだ後、それに、と付け足す。
「私たち自衛隊があの子の生活を保障しているのは、ただの小間使いをさせるためなんかじゃない。私は、《アクター》として当たり前のことをしろと言っているだけ。……そうでしょ?」



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