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第三十四幕「自亡少女(3)」


「こんなところにいたのか」
 雪野透花は、突然かけられた声に振り向いた。
「教室で聞いたら誰も知らないって言うから、校内を探し回ったよ。って言っても、十分くらいの話だけど」
 そう言いながら歩み寄ってきていたのは、高崎総一だ。
 ここは、都立霞ヶ丘高等学校の校庭の隅。春には満開の花で新入生を迎える桜並木も、今の季節は葉をほとんど落としてしまっている。その中でも一際大きい桜の木の下に、透花は座り込んでいた。
 昼休みの中ごろらしく、透花の膝の上にも手作りらしき弁当箱がちょこんと乗せられている。もう少ししたら、サッカーなどをしに飛び出してくる生徒で騒がしくなるのだろうが、今はまだこの木陰に響くのは、静かな秋風に葉が揺れる音だけだ。
 透花は弁当を口に運んでいた箸を一旦置くと、静かに口を開く。
「何か、ご用ですか?」
 総一が来たことに対して驚きも興味もないといった風な、相も変わらずの無感動な声。
 しかし総一の方も慣れてしまったのか、特に気にした様子もなく言葉を返す。
「いや、まぁそうなんだけど……とりあえずは雑談が目的、かな」
 そう言って、学食で買って来たパンのいくつか入った袋を掲げ、
「とりあえず隣、いい?」
「どうぞ」という返事を待ってから腰を下ろした。
 総一は袋からガサガサと焼きそばパンを取り出して、一口かじる。透花の方を見ずにかけた言葉は、まるで独り言のように彼女の耳に届いた。
「ここは、いい場所だな」
 一瞬だけ迷った後、透花は返事をする。
「……そうですね」
「昼はいつもここで?」
「雨が降ったりしない限り、大抵は。いつもと表現できるほど、この学校に在籍している期間は長くありませんが」
 そういえば、と総一は思い出す。
 透花が転校してきたのが、総一のクラスに白城綾人が転校してきたのと同じ日ならば、それはまだ二週間ほどしか経っていないということだ。
「失礼なことを言うかもしれないけどさ……」
「はい」
「俺は正直な話、昨日白城から聞くまでの間、アンタが本当にこの学校の生徒になったとは思ってなかったんだ」
「……どういう意味ですか?」
「いや、半信半疑っていうか、知らなかったって言った方が正しいか。ほら、俺がこの学校でアンタを見たのは俺を教室に呼びに来た一回だけなわけで、俺はもちろん下級生の転校生事情になんて詳しくない。アンタたちが転校してきた理由は俺の監視だろ? 俺のクラスには白城がいるわけだし、アンタは俺を呼びに来るために制服を着てきただけなのかな……と」
「ああ、なるほど」
 透花は納得をしたように頷く。そして、少しだけ顔を伏せた。
 それに気付かず、総一は言葉を続ける。
「それに、アンタに最初会った時から思ってたんだ。アンタの雰囲気はちょっと浮世離れしてて、俺たちと同じ――こんな風に普通に学校に通っているような人間じゃないと思ってた。……いや、思いたかったのかな? アンタは、『あっち』側の世界に俺を連れて行ってくれた人だから」
 透花はそれに顔を上げて眉根を寄せた。
「それは確かに、勝手で失礼な話ですね」
「おいおい、勝手はないだろう。恨み言を言うんじゃないが、最初に俺を勝手に巻き込んだのは『組織』の方だろ?」
「そうでしたっけ? すいません、忘れてしまいました。私、記憶喪失なもので」
 素知らぬ顔で返す透花に、総一は驚いて動きを固めていた。まるで、何か奇妙なものでも見るような視線に気付いたのか、透花が訝しげな声を上げる。
「……なんですか? 変な顔して」
「いや……普通に驚いた。アンタ、冗談とか言えるんだな」
 透花は呆れたように目を伏せて一つため息を吐くと、
「それこそ、本当に失礼な話です」と零した。

   ●

「あの人――鹿島は、私にそういう『普通の学生』をやらせたいんだと思います」
 弁当箱が空になったのと同時に、透花はそんなことを言った。
「んっ…うん? 何の話?」
 まだパンを咀嚼している途中だった総一が、あわてて飲み込みながら答える。
「私が、この学校に来た理由です」
「へぇ……。でも、なんでそう思う?」
「私の記憶が戻るきっかけになれば、と思っているのかもしれません。私が記憶喪失の状態で『組織』に保護されたのは三年前。それ以前は、おそらく普通に学校へ通っていたはずですから」
「ああ、それは確かに」
 おそらく、という言葉が多少耳に残ったが、話の腰を折るのも良くないと、総一はただ相槌を打つだけに留めた。
「貴方もさっき言っていましたが、目的が監視なら本来は一人でいいんです。高崎さんの場合、積極的に情報を漏らすような人ではないですし、なにより今は望んで『組織』にいる以上そうする理由がありません。あくまで、一般人への説明やアリバイ作りなど、慣れていないことのフォローができる人間が傍にいればいい」
 今まで、白城綾人が自分に対してやっていたことを思い出し、総一は確かにと納得した。言われて見れば彼が行っていたことは、監視というよりフォローといった方がしっくりくる。
「私は記憶喪失なので、自分の本当の年齢は分かりません。年齢が分かっていたって、偽装して同じ学年に配置することはできたはずです。なのに、わざわざ一学年下に配置するなんて全く意味がありません」
 俯き気味に話し続ける透花の顔を覗き込んで、総一は息を呑んだ。
 涙こそ流れていないものの、白磁のようだった彼女の頬は赤く、すっと通った眉は力いっぱい寄せられ、それはまるで泣き顔のようであったからだ。
「あの人はいつも、人にばっかり気を使って、自分のことは置いてけぼりで……。きっと、今回のことも記憶なんて二の次なんです。智久は私を学校に置くことで、『普通』にさせようとしているだけなんです。高崎さんを監視しているという名目があれば、『組織』の中での体裁も保てますから」
(なるほど。智久……ね)
 総一は、それを黙って聞き流しながら、自分の中の雪野透花のイメージがどんどんと変わっていくのを感じていた。
 いい意味で、ではない。それは、悪い意味での話。
(なんだ……全然、普通の女の子じゃないか……)
 自分を非日常に引き擦り込んだ少女。無表情で、無関心で、不可思議な雰囲気の少女。そう思っていたのは最初だけだ。思えばあの初陣の日、地下鉄道の中で会話をした時にもその片鱗は感じていた。
『戦うことが、楽しいですか……?』
 あの時に彼女が見せたのは、確かな『怒り』と『恐怖』だった。そして感情を表すということは、総一に対して関心を示したということでもある。雪野透花は無表情でもなければ、無関心でもない。記憶喪失だという話を聞いて、総一は半ばそう確信していた。彼女は他人に対する関心の有る無しが極端で、感情の表現の仕方が分かりづらいだけなのだ。
 今の透花も、顔さえ見なければいつもと何も変わりない、抑揚のない無感動な口調で喋ってはいる。だが、話している内容は恋する少女そのものだ。そういう事柄から遠いと自覚している総一でさえも分かってしまう。彼女は、鹿島智久のことが好きなのだと。
 気遣われることへの嬉しさと、それが自分を遠ざけることに繋がっていることへの悔しさ。相反する気持ちに、経験の足りない頭脳が追いつかないのだろう。
 総一は、透花に気付かれないようにため息を一つ吐き出す。
 今の総一の気分を一番的確に表す言葉は、失望だった。
 無表情で、無関心で、不可思議な少女。自分の非日常の一歩目に立っていた彼女は、そういう存在であって欲しかったのだ。
 『組織』で出会った大人たちは、自分が今まで関わった事のないような人間ばかりだった。白城綾人という自分が目指す目標――超えるべき壁も見つけることができた。だからこそ、期待していたのだ。自分を戦いの場へ何度も誘った彼女には、とっておきに『異常』な人間であって欲しいと。
「本当は、私だって綾人くんみたいに戦わなきゃいけないのに――」
「え……ちょ、ちょっと待て!」
 ほとんど右から左へ通り抜けるように聞いていた言葉に、無視できないものを見つけて総一は慌てて透花を制止した。
「なんだって? 戦う? アンタが? 白城みたいに?」
「……はい」
「アンタ、やっぱり《アクター》だったのか?」
 総一の中で、失いかけていた透花への興味が再び持ち上がり始めた。
 先ほども思い出した地下列車の中で総一がかけた、「《アクター》なのか?」という問いに、透花は「分からない」と答えた。総一は今まで、それを深く考えてはいなかったが、考えて見れば確かにおかしい。戦えもしないただの記憶喪失の少女を、国連直属の『組織』が、末端とはいえ作戦に使っているわけがないのだ。
「そう……ですね。少なくとも、《キャスト》に『変換』することはできます」
 しかし、透花の口調はまたも歯切れが悪い。総一は首を傾げながら問いかける。
「少なくともも何も、『変換』ができるんなら《アクター》に間違いないんだろ?」
「いえ……実は、そうとも限らないんです」
「なんだって?」
 困惑する総一に透花がかけた問いは、どこかで聞いた覚えのあるものだった。
「高崎さんは誰かから聞いたことがありませんか? もしくは、自分で考えたことはありませんか? 『核石』を体内に取り込んで異形に変わることのできる《アクター》は、同じく『核石』を体内に持ち、身体の形状を変形させられる《顔無し》とどこが違うのだろうかと」
 総一の脳裏を、一人の男――一体の《顔無し》の姿が掠める。自分と総一を同じものだと言った、ヨエルという『ビスク』の姿が。透花が言ったのは、彼が言っていたことそのままで、総一は一瞬身体をびくつかせた。
 あれから、総一自身も考えていた。今の高崎総一から、《キャスト》である《恐怖》に『変換』されるというなら、元の姿に再変換された後の高崎総一は、はたして最初の高崎総一と同じものなのだろうか。もしかしたらそれは、同じ形をしているだけの別物ではないのだろうか。いや、《キャスト》が自分の奥底にある思い入れやイメージに影響されるのならば、形さえも少しずつ変わってしまっているかもしれない。
 総一の無言を肯定と受け取ったのか、透花はさらに言葉を続ける。
「現在、《アクター》が人間であると定義される所以は、元が人間であったということと、肉体の自己修復ができないということのみです。しかし、《キャスト》の時に受けた傷は人間の身体には反映されません。そして、疲労を回復してから再び『変換』すれば、《キャスト》の傷も治っている。これは、一種の自己修復と言えなくもないと思いませんか?」
「まさか……」
 総一が漏らした声に、透花は頷いた。
「私が記憶がない状態で発見されたのは、三年前のある戦いの真っ只中でした。私はそこで発見された瞬間から、『組織』で調整された『仮面』など付けた事がないにも拘らず、『変換』を行うことができたんです」
 総一は、知らず知らずのうちに口元に手を当てていた。先ほどの失望はいつの間にか消え失せ、興味の対象となった彼女をじっと見据える。
 考えは一瞬で改まっていた。そう、記憶喪失である彼女には、まだ『伸びしろ』が残っている。本当の彼女がどんなものかも見極めずに、勝手に失望するなどどうかしていた。
「高崎さんも鹿島から話は聞いたと思います。この戦いの発端。人間の中に混ざりこんでしまったであろう、元凶の異分子」
 自分の胸に手を当て、目を閉じ、はっきりとそれを口にする。
「私は、疑われているんです。いえ、自分でも疑っています。記憶を失う前の私は、『女王の写し身』だったのではないかと」
 自分は、人間ではないのかもしれないと。



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