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第三十五幕「失くした僕らの日(1)」


 高崎総一は、自室のベッドに寝転がりながら物思いにふけっていた。
 自分の《キャスト》――《恐怖》と自ら名付けたはずのそれが、なぜその名前なのかという理由。原型となったイメージはなんなのかということ。この三日間、考え通して答えの出なかったそれを、まだ諦めきれずに考えている。
 今総一のいるベッドの下――部屋の床には、総一の過去を示す様々なものが放り出されており、足の踏み場も無い。
 家族のアルバムは総一が生まれた頃のものから。小学校、中学校時代の卒業アルバムや文集はもとより、学校で描いた絵や工作物まで。総一が幼少の頃から関わり、形として残っているものの全てがこの部屋に持ち込まれていた。
 弍見啓輔に与えられた三日間で、総一はその全てに目を通していた。弍見から与えられた課題――『自分の《キャスト》を原因を理解する』こと。原因自体に心当たりの無い総一には、自分の過去を漁るより他に方法が無かったのだ。
 しかし、隅から隅まで目を通した中に、《恐怖》のイメージに繋がるようなものは何も見つけられずじまい。そういう形のおもちゃでも持っていなかったかと両親に尋ねてみたが、それも外れであった。
 ここまで空振りだと、本当にそんなものがあるのかどうかすら怪しいと考えてしまう。
 そして総一は昨日、ある一つの仮説を立てていた。
 総一は、《恐怖》のイメージに繋がるようなモノや出来事を覚えていない。しかし、現実に《キャスト》がああいう形になった以上、記憶のどこかにそれが無くてはおかしいという理屈は通っている。つまり、自分はそれを不自然に忘れている――一種の記憶障害なのではないだろうか、という考えである。
 今日の昼、雪野透花に近づいたのはそれが理由だった。記憶喪失の透花に、少しでも記憶を思い出す方法、あるいは思い出しそうになった経験談などを聞こうとしていたのだ。
 その目的は果たされずに終わってしまったが、あの透花の様子では記憶が少しでも戻っている感じでもなく、話をちゃんと振ったところで無意味に終わっていただろう。
(覚えていない、知らない、分からない。それで済めばいいんだが……)
 《キャスト》のイメージ。それが強固になることが戦力のアップに絶対必要だというなら、それこそ今の総一にはどうすることもできない。
 しかし、敵は待ってくれないのだ。次に《顔無し》が来るであろう時期は今週末。早ければ明後日にも奴らはやってくる。
 総一は、ベッドの一番近くに落ちていたアルバムを拾い上げた。小学校の卒業アルバム。『太平洋隕石』の津波から逃れるため、祖母の家へ疎開する前に通っていた学校のものだ。卒業したのは祖母の家の近くの小学校だが、四年生まで通っていたその学校のアルバムも、教師が気を利かせて送ってきていたのである。
 多少の懐かしさを感じながらも、それはすでに何度も見返していたものだ。手慰みに、自分の写っている写真だけをパラパラと追っていく。
「ん……んん?」
 その中で、ふと総一は気付いた。
 今まで、全ての写真を穴が開くほど見ていたときには気付かなかったもの。《恐怖》と似た形のものだけを探していたときには気付かなかったものだ。
 総一の写っている写真の中に、いつも同じ男の子が一人、総一のすぐ近くに写り込んでいる。
「誰だ、こいつ?」
 運動会の弁当を食べている時、休み時間の教室の一角、そういった日常を切り取った数枚に、必ず総一の横にはその少年がいる。
 総一は大急ぎで、同じ年代のアルバムを床の上から探し出した。そしてすぐに発見する。小学生の頃の家族写真、おそらくは遊園地だろう。園内の案内図前でピースサインをしている、二人の少年を写した写真があった。
「これか……?」
 学校でいつも一緒だった、家族ぐるみの付き合いをするほど仲のいい友達。いくら七年も前とはいえ、欠片も覚えていないなどということはあるわけがない。
 覚えているはずのことが、記憶に無い。それは、さっきまで自分が考えていたことと全く同じではないのか。
 この少年と《恐怖》。全く接点がなさそうに見える二つに、どんな関係があるのかは分からない。しかし、総一にはそれが無関係であるとは思えなかった。
 総一は再び小学校の卒業アルバムを手に取る。見返すのは全員の顔写真と名前が記されたページ。遊園地の写真と見比べながら、その少年を探していく。
「コイツだ。コイツの名前は……。片瀬……ゆう、じ?」
 首を傾げる。名前を見て、その少年――片瀬祐二のことを思い出したからではない。
 ユウジという名前。身近にはいないはずのその名前を、どこかで誰かが口にしていた。そんな気がしたのだ。それも、つい最近に。
「……ああ。あの、臨海公園の時の後だ!」
 正樹が土下座をして待ち受けていた朝。校長からの説明があるからと体育館に集められる前に、正樹に呼び止められて言われた言葉。

『あ、なぁ、ユウジって誰だ?』
『え?』
『あの時、言ってただろ。あの銀色のを見上げながら『ユウジ』って』

 総一は驚きと嬉しさに自分の口元を手で押さえた。
 誰かが、どころの話ではない。ほかならぬ自分の口から出た言葉だ。それも《顔無し》との初遭遇で出た名前なら、無関係であるわけが無い。
「っ……そうだ、こうしちゃいられない!」
 総一は自分の部屋を飛び出すと、居間にいた母親に矢継ぎ早に問う。
「母さん、俺の小学生のときの友達で片瀬ってやつがいただろ? ソイツの連絡先が知りたいんだけど、電話番号か何か知らない?」 
 テーブルでのん気にテレビを見ていた総一の母親は、突然の勢いに面食らって目を丸くした。
「ええ!? どうしたの急に?」
「いいから! 今すぐに知りたいんだ。何かない?」
「何年か前の年賀状ならその辺にあると思うけど、電話番号まであるかは知らないわよ」
「分かった!」
 総一は家族への手紙などを保管している場所から、母親宛の年賀状をごそっと引き出す。
 片瀬家からのものはすぐに見つかった。送られてきた年は一番最近のもので二〇一八年。総一たちが疎開した三年後だ。子供の関係が疎遠になっても、親の間でのやり取りは行われていたらしい。
 しかし、裏面を覗き込んで総一は落胆した。そこには、コンビニなどで売られている既製品の絵柄の横に、差し障りの無い一文が手書きで添えられているだけ。形式だけという感じの、あまりに簡素な年賀状だった。もちろん、細かい連絡先など載っているわけもない。
 居間の掛け時計を見上げると、時間はすでに夜の12時を回ろうとしていた。はがきの住所だけを頼りに家を探すのは以ての外だし、電話番号があったとしてもかけるには失礼な時間だ。
「今日はここまで……か」
 仕方がない。最後に手がかりだけでも掴めただけ良かった。総一はそう自分を納得させる。
 自室に戻って床に散らばったものを片付けると、総一はもう一度その年賀状をじっと見つめた。
 手がかりはできた。しかし、このはがきだけで本当にどうにかなるだろうか。今もその住所に住んでいるのなら問題ない。しかし、自分と同じ小学校に通っていたのなら同じように疎開した可能性もある。普通に引っ越してしまったということも考えられるだろう。とにかく、今と住所が違えばその時点でお手上げなのだ。
「ふぅ……」
 ため息を一つ吐く。普通の高校生一人には、人一人を探すことすら困難だ。いくら人外の力を手に入れても、そんなものは日常生活の中で何の役にも立たない。
 だが、そんなことは分かっていたはずだ。いくら非日常に惹かれようと、完全に日常――今ある家族や友人、生活そのものを切り捨てることなどできないと。
 ヨエルに選択を迫られたあのとき、総一が差し出された手を掴まなかったのは、そういうことだったはずだ。
「いや、違う」
 差し出された手を、総一は掴まなかったのではない。正しくは、掴めなかった。
 ヨエルの誘いに乗っていたなら、こんなに悩むことなく強力な力を手にできていたかもしれない。しかしそれは、《顔無し》の気分一つでどうにでもなる、危うい『力』になっていたことだろう。
 それは、総一の求めるものとは違った。
 力を与える側、与えられる側。そんな一方通行の関係では、今の日常と何も変わらない。自由に見せかけた制約の中で、鳥篭の鳥として飼われるのが関の山だ。
 高崎総一が望むのは、不変であり無敵であり自由である力。それを何故望むのかも、今は分からない。ただ、『力』を手にした瞬間からずっと心の中にある欲求。
「片瀬……祐二」
 悪魔のような自分の《キャスト》の姿。薄闇の中に立つ血まみれの少女。非日常や『力』に対する異常なまでの欲求。自分の中に眠る数々の謎。
 彼に会えば、何かが分かるのだろうか。
「しかし、人探しか……。ん、人探し?」
 ベッドに寝転がったまま目を閉じようとした総一は、何かを忘れているような気がして身体を再び起こした。
 大事なこと……ではなかったように思う。何かのついでにちょっと聞いたような、たいした情報というわけでもない。ただ、それが今この時に、あまりに都合のいいものだったような気がして……。
「……あっ!」

   ●

「なあ、君塚のお父さんって、確か探偵だったよな?」
 朝、教室に入って机についてすぐ。真面目な顔でそう詰め寄られた君塚弥生は、面食らったように一歩後ずさった。
「いきなりだね……うん、そうだけど。それがどうかした?」
 いつもは他人の事にあまり関心がなさそうで、ぼーっとしている印象の強い総一が、鬼気迫るといった表情でいること自体が珍しい。明日は雪でも降るんじゃないかという考えを飲み込んで、弥生は苦笑いと共に答える。
「実は、人探しを頼みたいんだ。高校生が払える金額じゃあ無理かもしれないけど、とりあえず話しを聞いてもらえたらと思って」
「人探し……それって、自力で探すのは難しい人なのかな? お金の問題もあるけど、個人的には探偵にわざわざ頼まなきゃいけない依頼なんて、高校生にはそう無いと思うんだけど。あんまり深刻なら、警察の方が早いと思うよ?」
 少し眉根を寄せて、弥生はそう答えた。確かに、普通に生きている高校生が探偵に世話になることなどまずないだろう。
 それに加えて、弥生にはもう一つ、総一を父親に会わせたくない理由があった。
 弥生の父親である君塚陽介は、あまり形式ばらない仕事のせいか悪戯好きの子供のようなところがある人間なのだ。そして、探偵なんて仕事をしているにも関わらず、口があまり堅くない。
 最近不安定そうに見える総一に対して、これ以上の余計なことを吹き込まない保証は無い。
「ああ、いや。警察とか、そんな大したものじゃないんだ。ただちょっと、昔の同級生に会いたくてさ」
「昔の同級生? それなら当時の別の友達とかから……」
「それがさ、俺って小学生の頃に『隕石』のせいで疎開したから、当時の友達って全然連絡取れないんだ。その頃はケータイなんて持ってなかったしな」
 小学生のころ、と聞いて、弥生はなんとなく嫌な予感がした。
「そんな前の同級生に、なんでいまさら?」
「ちょっと話――っていうか、聞きたいことがあるんだ。当時のことで」
「聞きたいこと……大したことじゃないって言ってたけど、それって絶対に聞かなくちゃいけないことなのかな?」
 友人として突っ込むべき分を越えている質問だ。そう感じながらも、弥生は自分の口を抑えることができない。
 以前、父の助手である『彼』に、『総一と会って見たらどうか』と提案したのは自分だ。それがどういう意味を持つのか、分かっていなかったわけではないのに。
 いざ本人に話を振られてみれば、情けないことにそれを否定したくて仕方がない。
「……ああ、絶対必要なことなんだ。できるだけ早く。……で、どうかな? 無理にとは言わないけどさ」
 そこまで聞いて、弥生は僅かな望みに縋るのを止めた。
 弥生の早とちりや勘違いではない。この話は、十中八九……いや、九分九厘『彼』に関することだろう。なら、無理にどころの話ではない。総一が勝手に調べて『彼』と二人で会うような事態に陥るより、自分が間に入るのが一番いいに決まっている。
 大丈夫だ。総一の様子を見れば分かる。今はまだ、総一の興味は『彼』にだけ向いている。
 自分のことに関しては、何も思い出してはいないはず。
 覚悟を決めれば、弥生の対応は早かった、彼女は少し考えるようなそぶりを見せた後、
「分かった、聞くだけ聞いてみるよ。その人の名前とか、手がかりになるようなものがあれば教えて欲しいんだけど」
 白々しくも、そう答える。
 総一はほっとしたように顔を綻ばせて、一枚のはがきを差し出した。
「助かるよ。これがその同級生の親から送られてきた年賀状なんだけど、俺が探して欲しいやつの名前は――」
 この後の流れは決まっていた。
 その名前を聞いて君塚弥生は、とんでもなく驚いたような顔をし、それが父の助手であることを告げる。
 そして、紹介してくれるように食いついた総一に対して、快く受け入れてやればいい。
「私の方で会う段取りを付けてあげる」と、世話焼きな友人を演じるのだ。
 総一と知り合ってから一年半。ずっと、そうしてきたのと同じように。



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