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第三十八幕「花を断つ剣(1)」


 鋭い音を立て、粘液の触手が唸る。
 本体である巨大な球体の緩慢な動きとは裏腹に、その動きは俊敏であった。
 矢のような速度でボートの背後に迫る六本の触手に向かい、《恐怖》は掌に力を溜め咆哮する。
「爆ぜ奪れ……『黒炎』!」
 ボートを覆い隠すマントのように、『黒』の炎が燃え広がる。それを介せず突っ込んできた触手は『黒』に飲み込まれるように掻き消えた。
(なんとか……なったか?)
 高崎総一は、心の中で安堵した。
 自分の能力――『黒』の特性は、未だ良く分かっていない。触れたものを一瞬で掻き消すその力は、しかし《無》のように消したものが何らかの形で自分へ還元されるわけではない。
 だが、この力は《無》の、自身に他のものを吸収する力に押し勝てる。一番危惧していた、『黒』の力すら吸収されてしまうという事態にはならなかった。それだけ分かれば、今は十分だった。
『高崎君、彼女の本体を撃つんだ! 彼女の身体を元と同じくらいの大きさにできれば、自然と彼女の『変換』は解除される』
 睦月は《無》を『彼女』と呼んだ。その違和感に、総一は上を見上げる。うねうねと新たな触手を生み出す《無》は、もはや雪野透花の意識などどこにも無いように見えた。
(いや、違う……。本当に無いんだ)
 あれは、『彼女』などではない。ただの巨大な『何か』の塊。他のものを取り込むというたった一つの目的しかない、意思も意識もない自動機械。
「くそっ……抉り奪れ!」
 憤りを押し固めるように、掌の上で『黒』の球体を精製する。
 それを『敵』に向け、総一は叫んだ。
「『黒瞳』!」
 《恐怖》の掌で球体が弾け、『黒』の光線が一直線に《無》へと迫る。大きすぎる上に動きが緩慢な的に、それは難なく命中した。しかし――
「……なっ!」
 命中し粘液の塊を貫いた『黒』は、確かに《無》の身体を抉り取っていった。
 だが、反対側が見通せるほど綺麗に開いたはずの風穴は、次の瞬間には周りの液体に埋められ、跡形も無く消えてしまったのだ。《恐怖》の攻撃によって開いた穴はせいぜい直径二十センチメートル。それは直径二十メートル以上もある今の《無》にとって、ほんのかすり傷のようなものでしかない。
(ダメだ。これじゃあキリがない)
 そうこうしている間にも、間断無く触手はボートを狙って襲い掛かってくる。
 《恐怖》の防戦とボートのスピードでなんとか逃げ延びてはいるが、攻撃の決定打がない以上、ジリ貧になりつつあるのは明白だ。
(なんでだ……なんでこんなことになってるんだ?)
 総一は戸惑っていた。多少予測していたとはいえ、この状況はあまりに不可解だ。
 そもそも、こんなデメリット持ちの《キャスト》が前線に配備される意味が分からない。
 そのデメリット――制御が利かなくなるということを知らなかったというなら話は分かる。しかし、睦月は元に戻す方法を知っていた。つまり、この状況はこれが初めてというわけではないのだ。
 自分たちの命にも関わる大きなデメリットを、他の隊員たちも全員知った上で受け入れているということになる。
 指揮官であるところの鹿島は、透花が戦闘に参加することに反対であるようだった。透花自身も、戦闘を好んでいるようには見えない。
(なんでだ? 確かにコイツの力は圧倒的だった。でも、味方と戦う羽目になるほどのリスクを負ってまで必要なものじゃない。俺や白城だっているんだ。無理してコイツを出すことに何の意味も無いのに!)
 何もかもが矛盾しているように思えた。雪野透花が戦うことでは誰も得をしない。逆に、誰も彼もがリスクを負っている。だというのに、その誰もがこの状況を止められなかった――いや、止めなかったのだ。
『高崎君! 何をしているんだ、早く撃て!』
 睦月の声で意識が思考の渦から引き戻されると、触手が五本、ボートに向かって接近していた。
 それを『黒炎』で払いのけ、以前『クレイマン』に向けてやったように、両手の爪の先から十発の『黒瞳』を飛ばす。全弾なんなく本体へ命中。それでも《無》の大きさは、それほど変わった様には見えない。
「沢村さん、このままじゃ元の大きさにするなんて無理です。前にこうなった時は、どうやって元に戻したんですか!?」
『前の時は、白城君が彼女と戦ったんだ』
「……」
 そこに驚きは無い。以前に同じことがあったとして、それを止めることができたのは総一の知る中で、実力的にも立場的にも白城綾人しかいないからだ。
『僕はその日は出撃していなかったから、詳しいことは分からない。でも、報告では白城くんは彼女を止めるとき――』
 一拍置いて、睦月はあまりにも簡潔に、それを口にした。
『アレを……《無》を、外側から削りきったらしい』
 それは今のこの現状において、何の参考にもならないただの力技だった。
 確かにそれは道理ではある。点で穿つより、線で斬り飛ばす方が早くアレの大きさを小さくできる。それは考えればすぐ分かることだ。
 しかし、あの全てを飲み込む《無》に飛び掛り、周囲を蠢く触手を潜り抜けて、彼は剣を突き立てたというのか。それが彼には、全く恐ろしくなかったというのか。
 いや、少なくとも恐れはあったのだろう。だが躊躇はしなかっただろう。その場を見ていなくとも、総一はそう確信した。
(そうだよな……やっぱり、お前は『そういう奴』だよな)
 総一の口元には、今回の出撃で初めての笑みが人知れず浮かんでいる。
 自分がこんなにも戸惑い、考え、手も足も出ない。あまつさえ人に意見を求めた。そうして得られる解答が綾人の手によるものだと想像が付きつつも、それに縋ろうとした。
 そんな自分の弱さを、白城綾人はことごとく浮き彫りにする。
「俺は……強くなんか無い」
 以前綾人に言われた言葉を、口の中だけで呟く。
『え? 何か言ったかい?』
 睦月の声には答えず、総一は顔を上げた。
(そうだ、俺はまだ弱い。まだ、お前の足元にも届かない。だから何でもするさ。お前を殺せる力を身につけるまでは……!)
『高崎君、来るぞ!』
「ああああああああ!!」
 睦月の声に合わせて腕を振るう。『黒炎』にもなる前の不定形な『黒』を、接近してくる触手に向かって無造作に叩き付けた。
 《恐怖》の攻撃は一度『黒』を球体に押し固め、それを開放することで遠距離へ射出している。その所謂『溜め』の時間が、今の総一にはもどかしいのだ。
(いや……待て。溜めて、撃つ。だから効率が悪い。なら――)
「沢村さん……ちょっと、無茶言っていいですか?」
『……なんだい?』
「ボートを、反転させてください」
 現在、ボートは《無》から離れるように沖へと向かって走っている。《無》が放つ触手から逃げようと思えばそれは当然だ。総一は、それに突っ込んでいけと言っているのだ。
 猛反対にあうのを覚悟していた総一だったが、しかし睦月の声は落ち着いていた。
『勝算があるんだね?』
 その問いにすぐ頷くことは、総一にはできない。
 今自分がやろうとしていることは、酷く危険な賭けだ。そんなことをするよりも、遠くからチマチマ撃っている方が確実だし安全なのではないか。そう思わなくも無い。
 しかし、自分のスタミナの限界を総一は感じ始めていた。防御と攻撃を絶え間なく行い、巨大すぎる《無》からの圧迫感を常に感じている。しかもその『敵』は、自分が知っている女の子なのだ。精神の消耗は、『顔無し』と戦っている時に勝るとも劣らない。もし自分がバテてしまった時のことを考えれば、長期戦も利口な策とは言えなかった。
「試してみたいことがあるんです」
 悩んだ末、総一はそう答えるのが精一杯だった。
『……了解!』
 睦月の対応は素早かった。急激に右へ旋回し、《無》と真正面から向き合う。
 振り向いた瞬間、前方から迫る触手を捉えた。その相対速度は追われていたときの数倍。とてもボートの方で避けきれるものではない。
『高崎君!』
 睦月の呼びかけ。しかし、もう十分射程に入っているのにも関わらず、総一は『黒炎』で防御しようとはしない。総一は睦月が答えUターンする前から、掌の中に秘策を抱えていた。
 ギリギリと、外骨格に包まれた腕が軋む。溜めに溜めて圧縮した『黒』が、掌の中で外へと出たがって暴れている。
(でも……ダメだ。それじゃあダメなんだ)  
 『黒』は、『黒』そのものに攻撃力がある。詳しい原理は知らないが、敵に触れた瞬間に掻き消すような能力。
 今はそれを圧縮・開放することで遠距離まで飛ばしているが、たとえば極近距離の相手に圧縮した球をぶつけることができれば、同じ効果――いや、圧縮されたままの分だけ強い効果が及ぼされるはずだ。
 しかし、そんなことを実現させるのは不可能だ。弍見啓輔の課題をクリアできていない――自分の《キャスト》を理解できていない総一では、《白騎士》のような身体能力は発揮できない。直径十センチ程度の球をあの《無》に押し当てることなど、できるはずもない。
「だから、少しだけ借りるぞ……」
 何でもすると決めた。強くなるために。力を得るために。この状況を打破することなど通過点だ。ちっぽけなプライドなど捨ててしまえ。
「お前の……在り方!」
 迫る触手に向かい掌を突き出す。だが『黒瞳』や『黒炎』のように、圧縮していた『黒』が一瞬で弾けたりはしない。
 まっすぐに、しかし安定した速度で掌に圧縮されていた『黒』の球体がその形を伸ばしていく。
 それはまるで、掌から剣が生えているよう。
 総一が『黒』を圧縮する際、球体なのはそれが一番安定するからだ。しかし、他の形にできないわけではない。圧縮・開放したときの結果を『黒瞳』や『黒炎』として使い分けられるように、イメージさえあれば圧縮したままだろうと思い通りにならない訳は無い。
 掌いっぱいに広がったその刃は太く、大きく、なによりも無骨で、白い騎士の振るっていた剛剣を思わせる。
 黒一色の大剣を一振りし、《恐怖》が吼えた。
「斬り奪れ! 『黒鋼(くろがね)』!!」



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