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第八幕「First end」


 見知った天井に見下ろされて、総一は目を覚ました。
 頭は靄がかかったように霞んでいて、ここが自分の部屋だという事を把握するにも数分を要してしまった。寝起きだという事もあるのだろうが、いやに視界がフラフラする。
「うぅ……ん……」
 酒で酔ったように頭が重い。体を無理やり捻じ曲げて、枕元にあるはずの目覚まし時計をなんとか覗き込む。時計の針は十一時半を示していた。
 たったそれだけの動作で、酷い疲労感が総一を襲う。
 もうこのまま眠ってしまいたい衝動に駆られたが、この慌しかった一日の締めくくりをこんな不明瞭な状態で終わらせたくないと、引きずるように体を起こす。
 気絶する直前まで続いていた、あの高揚感はすっかりなりを潜めている。あれが『変換』の副作用だったのか、急に手に入った『力』にあてられたのかは定かではなかったが、今、ちゃんと元の自分に戻っていることに総一はほっとしていた。
(今思い出すと、かなりイッちゃってたからなぁ……)
 爆笑しながら大声を張り上げていた自分をすぐにでも記憶から消そうと頭を振る。目眩のする視界が余計にぐらついて、再びベッドに倒れこんだ。
 思わず、吹き出すように笑ってしまう。
「なーにやってんだか」
 再び体を起こして、そこで初めて気が付いた。
「あれ……付いてる?」
 総一の体を支えているのは、見間違えようも無い。自らの二本の腕だ。
 《白騎士》に斬られて宙を飛んだはずの右腕は、何事も無かったかのように肘の先に存在している。
 試しに掛け布団をめくってみると、左脚も同様だった。斬られたはずの腿の部分を恐る恐る触ってみても、切れ込みどころか傷一つ見当たらない。
「どうなってるんだ?」
 恐る恐る立ち上がると、立ちくらみのように視界が揺れた。今度は倒れこまずに体を真っ直ぐに立て直す。
 姿見の前に立って改めて見ると、昨日学校の仕度をしたときと全く同じ五体満足な自分が写っていた。
 あの出来事が夢だという事は有り得ないはずだ。あの時斬られた感触も、痛みも、全て本物に間違いはない。だからこそ、この状況は意味が分からない。
 確認のためにもう一度時計を見る。まだ両親は起きている時間のはずだ。
(とにかくまずは、俺がどうやって家まで連れてこられたかを聞かないとな……それと、俺は今までどうなってたことになってるのか。その辺を確認しとかないと、あちらさんと話を合わせようもないし)
 無意識のうちに、総一はそう考えていた。すでに総一の頭には真実を周りに打ち明けるという選択肢は消えていたのだ。
 秘匿されている宇宙人の存在、それを排除している組織と異形の戦士の存在。
 たしかに藪から棒に言ったのでは誰も信じたりはしない、突拍子も無いことばかりである。
 しかし、総一の手の中には『仮面』の力がある。実際に被害にあったクライメイトたちの証言だって取れるだろう。それらを元にマスコミに売り込みでもすれば、どんな風に情報を規制されようが大々的なスキャンダルになることは確実だ。
 総一は、ドアノブに伸ばした手を引っ込め、自分の頬を撫でる。
 そこに『仮面』は無くとも、実感があった。自分の内側に生まれ出た『力』の。
 高揚感は消えていても、その『力』に対する興味は依然として総一の中にある。
 これから、自分が放って置かれるという事は無いだろう。近いうちにまた、誰か組織の人間の方から接触があるはずだ。総一はそう考えた。
 ならば、それまでの間に彼らの『組織』にとって不利益になるだろうことなど、するはずも無い。
(放置されたのは、こちらの対応を見るのが目的か? いや、どちらにしても待つしかないのか……)
 総一は顔から手を放し、今度こそ自室のドアを開けて外に出た。
 慌しく非常識だった一日がようやく終わりを迎えることに安堵と、ほんの少しだけ残念な気持ちを感じながら。



 同時刻。鹿島智久もちょうど我が家の扉を開けたところだった。もっとも、彼の場合は出るためではなく入るためだったのだが。
 普段は日付が変わっても施設の執務室にいることの多い鹿島であったが、今日は止むを得ない事情からそういう訳にもいかなくなり、いつもよりも数時間早い帰宅となっていた。
 その事情とは他でもない。高崎総一の《キャスト》と、白城綾人の《白騎士》の戦闘のせいだ。総一の《キャスト》が派手に撒き散らした『黒』によって執務室の内装がボロボロになってしまい、仕事などできる状態ではなくなってしまったのである。
 とは言っても、早めに帰宅したとしてもやるべきことは変わらない。重そうに内側から張り詰めた革張りの黒い鞄が、彼の持ち帰った仕事の多さを表していた。
「おかえりなさい」
 靴を脱いでリビングに入った鹿島に声をかけたのは、当たり前のようにソファーに座りテレビを見ていた雪野透花だ。
「ああ」
 それに鹿島も素っ気なく返す。透花の横を通り過ぎて自室へ向かおうとした時、それを止めるかのように声がかかった。
「高崎総一を、自宅まで送ってきたのですか?」
 その声には、わずかに不満そうな響きが含まれていた。
「そうだ」
「貴方が直々にするような事ではなかったのではないですか? 誰か他の者を回せば、その間に別の仕事を片付けられたのでは……」
 透花の視線は鹿島の鞄に向いている。このまま自室に篭って持ち帰りの仕事を始めるであろう鹿島が、全て終わらせた後にどれだけ寝る時間があるのかは想像に難くない。
「無理をしすぎなのではないですか? それでなくても人が少ないのですし、もっと体を大事にされた方が――――」
 それを遮るように鹿島は告げる。諦めているような淡々とした口調で。
「人が少ないからこそ、だ……」
 鹿島が透花の方を振り返る。施設では表情らしい表情すら全く見せなかった透花は、心から心配そうに眉をひそめて鹿島を見上げていた。
 鹿島はため息を一つ吐き出すと、透花に歩み寄り頭に手を乗せる。無理やり作ったような苦笑を顔に貼り付けて――なんとか安心させようとしてるのだろう――やはり無理をしているような優しげな声色で言う。
「《アクター》のアフターケアも私の仕事だ。お前が心配するようなことは何も無い。自分の限界は自分が良く分かっているさ、無理はしていない」
 俯いて何も言い返せなくなった透花の頭を一撫でした後、鹿島は踵を返した。
 そのまま自室に吸い込まれていくかと思われた背中に、透花は最後にと付け足して、もう一度声をかけた。
「……高崎総一には、告げなかったのですね」
「何をだ?」

「彼が……人間ではなくなってしまったことをです」

 一瞬動きを止めた鹿島は、しかし大した動揺も無しに返答した。
「……いずれ、分かることだ」
「それはっ――!」
「お前も今日は疲れただろう。もう休め」
 透花の言葉を遮るようにそれだけ言い残して、鹿島は自室の扉を閉める。
 俯いたままの透花は、膝の上に置いた両手をぎゅっと握り締めた。
「やっぱり。そこは、否定してくれないんですね」
 取り残されたリビングで、透花は独りごちる。
 その姿はまるで、涙をこぼすのを懸命に我慢しているように見えた。
「それでも、私は信じたい。『私たち』はきっと人間だって……智久……」
 それに答える人間はその場にはいない。行き場の無い言葉も、流れる事の無い涙も、全ては無かったことのように空気の中に吸い込まれて消えていった。
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