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第九幕「硝子の日常」


『映画撮影用ロボット暴走 臨海公園で民間人数人に軽傷』
 翌日の朝刊で、一面を飾るでもなく三面記事というほど地味にでもなく取り上げられたその記事は、そんな見出しで始まっていた。
 総一が両親に聞いた話に寄れば、その事件の内容については総一が帰ってくる少し前にクラスの連絡網で伝わっていたそうだ。
 新聞の記事の方には、ご丁寧にもあの『銀色の巨人』に似せたロボットの残骸のような写真まで掲載されていた。全く、手回しのいいことだと思う。
 総一を家まで送ったのは、あの鹿島という黒スーツの男だったようで、帰りの遅い総一を案じた両親は医療関係者にはとても見えない彼の容貌にかなり驚かされ、さらにその身分にもまた驚かされたらしい。
 総一は手の中で弄んでいた名刺を一瞥する。
『海上自衛隊 第10護衛隊群 三等海佐 鹿島智久』
 自衛隊の人間の名刺というものを初めて見たが、それはとても公式のものとは思えないほど簡素で、無地の名刺に必要最低限の文字だけが印刷されたようなものだった。
 前に父親の名刺を見たことがあったが、カラーで社章が記されてあったり、割と派手だった印象がある。もしかするとこれも偽装なのかもしれなかったが、もう総一は深く考えることを止めていた。
 連絡網で回ってきた報告はもう一つあり、その事件のあった翌日――つまり昨日は学校が休みになるという事であった。おそらく、学校側への説明やこれから行う対応の指示などが行われていたのだろう。
 そんなわけで今日は、社会科見学だった一昨日、休みだった昨日を挟んで二日ぶりの学校である。
 間に色々なことがありすぎたせいだろうか、久しぶりに見上げる校舎は総一に懐かしさすら感じさせた。
 都立霞ヶ丘高等学校は、総一の家から二駅ほど離れている、『太平洋隕石』後に建てられた新設校だ。
 総一のように津波の被害から逃れるために疎開した人々を除けば、首都としての機能を失ったからといって、それほど東京の人口に増減は無い。
 しかし、2000年度後半から続いていた合併などによる学校数減少の流れがそれを機にさらに加速し、廃校となった場所がマンションなどに建て替えられたり、いくつもの学校合併によって逆にできてしまった空白地帯に学校が新設されたりと、東京の人口分布は2015年以前とは多少様変わりする結果となった。
 東京に戻ってきたとはいえ、元々住んでいた場所と離れた所に住んでいる総一にとってはあまり実感の湧かない話であるのだが、ずっと同じ場所に曽祖父の代から住んでいるという正樹から、そういう話をされたことがある。
(そういえば、正樹たちはあれからどうしたんだろう……)
 新聞には軽傷数人とあった。もしもそれが正樹たちの誰かだとすれば――――
 そうだ、昨日自分でも言っていた。あの事件は『組織』が仕組んだことに他ならない。もし身内の誰かが酷く傷ついていたのなら、いざという時に自分は遺恨無く『組織』に入る気になれるのだろうか。
 そんなことを考えている間に、総一は教室の扉の前に立っていた。
 中から聞こえる、いつもと変わらないざわつきに安堵の息を吐きながら、総一は扉を開ける。
 その瞬間――――

「ほんっっと――――にっ! 申し訳ない!!」

 すぐ横から、耳をつんざくような叫び声が轟いた。
 耳を押さえながら振り向き見ると、そこには地面に頭を擦り付けんばかりの、これでもかという土下座をした北里正樹の姿が!
「えっ、ちょっ、お前何やってんの!?」
 驚いた総一は正樹を立ち上がらせようとして近付き、半ば無理やり顔を上げさせたところで再び驚いた。
 正樹の顔は左半分だけ、おたふく風邪にでもなったかのように腫れ上がっていたのだ。頬に貼られている大きなガーゼが物凄く痛々しい。
「正樹……その頬どうしたんだよ? まさか、この前の時に怪我でもしたのか? っていうか、早く顔を上げてくれ」
「いや、本当に申し訳なかった! 俺を許してくれ!」
「い……意味が分からない……」
 頭を抑えてフラフラと立ち上がった総一の肩を、誰かの手がポンと叩く。振り返ると、君塚弥生がなぜか達観したような顔でうんうんと頷いていた。
「君塚、正樹は一体どうしちゃったんだ?」
 したり顔の弥生に、すがるように問う。
「北里君はね、謝りたいんだよ。ホラ、覚えてないかな。一昨日の事件の時、臨海公園で最後にとり残された高崎君を置いて、北里君ったら一人で戻ってきちゃったんだよ? 私が『高崎君のことお願い』って言っておいたのに」
 弥生は困ったもんだと言わんばかりに、両腰に手を当てて言った。
「あ、あーそういえば……」
 思い出した。臨海公園で『銀色の巨人』――『顔無し(ノーフェイス)』に襲われて雪野透花に手を引かれる前。呆然としていた自分の隣で、正樹が何か叫んでいたような気がする。
 あの後、総一は透花に連れられるまま、バスが停まっている駐車場とは別の方向に行ってしまった。結局その日のうちに学校の人間とは会わなかったのだから、クラスメイトたちには総一の安否さえ分からない状態だったわけだ。
 そんな状態で、最後まで総一を見ていたはずの正樹は総一を置いて逃げたことをずっと気に病んでいたのだろう。
「でも、あれはぼけーっとしてた俺が悪いだろ。正樹が責任を感じる必要なんてどこにもないじゃないか!」
 そう、あの時のことは総一自身記憶が曖昧だったのだが、だからこそ自分がまともな状態で無かったのは分かる。しかも、いつ殺されてもおかしくない距離に『顔無し』がいたのだ。
「あそこで逃げ出したって、それはしょうがないことだ。俺だって同じ立場ならそうしたさ。俺は全然気にしてないんだから、頭を上げてくれよ。な?」
 そこまで言われて、ようやく正樹は立ち上がった。
 罪悪感のせいだろうか、普段めったに見ないような真面目な顔を俯けて、
「いや、あの時さ。俺、総一から手を離しちまって……その後すぐにあのロボットにぶっ叩かれてるのが見えて、総一がどうなったかとか、確認するのも怖くて……自分がこんなに臆病だなんて思わなかったんだ。だから――――」
 つっかえながらもそう口にする正樹に、総一はため息を吐き出した。
 この友人は、普段は授業中や学校行事などの真面目な場面でもおちゃらけたりふざけたりするくせに、こういう場面では酷く殊勝だ。
 それだけ、『友達』というものに対して常に真摯で、『友情』というものが生む責任に対して真剣であろうとしているのだろう。
(まぁ、本人はそんなこと深く考えちゃいないだろうけど)
 だからこそ、無自覚だからこそ、彼のそういう部分は魅力的に写るのだと総一は思う。
 彼が男女を問わず好まれ、広い友人付き合いをしている理由は、きっとそういうところにあるのだ。
「だから、仕方ないことだって言ってるだろ? それに、俺はこうやって全身無傷でここにいるんだからさ、何も気にする必要なんて無いんだ。っていうか、どっちかと言えばお前の方が重症じゃないか」
 笑いながら、総一は正樹の肩をわざと強めに叩く。
 それでやっと、正樹の顔に笑みが浮かんだ。
「だ、だよなー! 見てくれよこれ、マジで物凄い痛いんだぜ? どんだけ強くぶっ叩いたらこんな腫れるんだよって感じだよな!」
「本当だよ。それで、その傷は一体どうしたって? 昨日逃げてた時に転んだりでもしたのか?」
「俺は子供かっ!」
「そのほっぺたはね、桜ちゃんがやったんだよ」
 やっといつもの調子で話し始めた二人を確認して、少しの間離れて見ていた弥生が会話に戻ってきた。
「緑川が?」
 総一が教室をぐるりと見渡すと、緑川桜子はばつの悪そうな顔を机に肘を突いた手の上に乗せて、こちらをじっと見つめている。目が合った瞬間に、さっと逸らされた。
 怪訝な表情を浮かべて、弥生に訊ねる。
「どうしたんだ、あれは?」
「昨日、北里君がバスの方に一人で逃げてきた時にね、桜ちゃんも怖かったせいか、しばらくぼーっとしちゃってたんだ。だけど、北里君が『ごめん』って私たちに謝った瞬間、立ち上がってバッチーン! ってね」
 『一人で逃げて』の辺りで正樹が苦い顔をする。何故か少し楽しそうに話す弥生の表情から詳しく読み取ることはできないが、総一はなんとなく弥生がわざとその部分を強調して言ったような気がした。
「まぁ、そのすぐ後に事情説明とかをしに自衛隊だって言う人が来てね、高崎君が無事に別の場所で保護されたっていうのも聞いて、なんとなーく気まずい感じになっちゃったわけ」
「バッチーンじゃねぇよ、もっとエグい音がしたっつーの! グーだぞグー! 平手でこんな風になるわけねぇだろうが!」
 正樹は開き直ったのか、先ほどまでの落ち込みようが嘘のように憤りを露にして叫んでいる。
 思わず、笑みがこぼれた。
 そうだ、これが日常なのだ。友人がいて、自分がいて、学校での生活の中で自分は何不自由なく安全に過ごす。それが人として、間違いなく正しいカタチに違いない。
 だから、物足りなくなんて無いのだ。
 総一は、自分の頬の辺りをそっと撫でた。
 教室の扉が開き、担任の若い男性教師が出席簿を振りながら教壇に上がる。
「おーいお前ら席に着けー。昨日休みだったからってたるんでるんじゃないぞ、お前ら再来週には中間試験なんだからな、忘れてるんじゃないぞー」
 ずっと扉周辺にたむろっていた総一たちも、自分の席へと向かう。総一の席は窓際の真ん中辺り、正樹はその一つ後ろである。
「えーっと、今あんなこと言っておいて悪いんだが、一時間目は体育館で集会だ。一昨日の事について新聞やニュースで見たものもいるだろうが、一応学校側からも説明しなきゃならんらしい。形だけみたいなもんだが、くっちゃべったりしてうるさくするんじゃないぞー」
 一度席に着いた生徒たちが、「なんだよー」などとわめきながら教室の外にわらわらと出て行くのを見送り、人が少なくなったのを確認してから総一は立ち上がった。
 その後ろから、今思い出したことを問うように正樹が声をかけた。
「そういえばさ、ユウジって誰なんだよ?」
「は? ユウジ?」
 心当たりなど無い名前に、総一は首を傾げる。
「お前が臨海公園でボケーっとしてた時に言ってたんだよ、あのロボットを見上げながら、寝言みたいに『ユウジ……』ってな」
「……いや、知らない」
「え、いや。知らないって事は無いだろ。お前の口から出てたんだぞ?」
 正樹は怪訝な顔で聞き返すが、それでも総一はなお首を横に振る。
「知らないって。それに、俺の高校からの知り合いなら正樹だって知ってるはずだろ?」
 総一と今現在付き合いのある知り合いは、ほとんどが高校に上がってからできた友人だ。つまり、正樹とも顔見知りのはずなのだ。
 総一とその家族が、疎開していた祖父母の家から東京に戻ってきたのが二年半ほど前。最後の一年しかいなかった中学では、そこまで付き合いの深い友人はできなかったのである。
「そういえば……そうだな。悪い、俺の聞き間違いかもしれない」
「そんなことより、早く行こう。もう俺たちしか残ってないぞ」
 そう言って、総一は正樹から顔を背けて小走りで教室から出た。
 無意識にだろうか、下唇を血が滲むほど噛み締めながら――――。
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