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第十一幕「Maybe happy days(2)」


 休日の午前八時過ぎ、普段通学時には制服姿の学生でごったがえす代々木駅前は人通りも少なく、総一は難なく目的の人物を見つけることができた。
「おはよう、早いんだな」
 切符売り場前の柱に寄り掛かっていたその人物――緑川桜子はゆっくりと歩み寄る総一を目に留めると、いつも細められている切れ長の目を驚きに見開いて、
「なんで、高崎君が?」と独り言のように呟いた。
 それもそのはずだ。総一が君塚弥生から聞いた待ち合わせの時間は午前九時。まだ一時間ほども余裕がある。
 もっとも、それは今ここにいる桜子にとっても同じことなのだが。
 総一は絶句してしまった桜子の横に何でもない風に寄り掛かった。
「ま、緑川ならそうするかなって思ってさ」
 桜子は総一の顔をしばし不可解そうに見つめた後、緊張を解くように息を吐き出した。
「……ふぅ。あたしってそんなに分かりやすいかな?」
「いや、そういうんじゃないんだけど。緑川が正樹を避けようとしてるなら、この方法しかないって思ったから」
 きょとんとした顔の桜子を見返して、
「それでも、こんなに早くから来てるなんてのは予想外だったけどな」と総一は笑った。
 それでなくても桜子と正樹の家は隣同士なのだ、万が一にでも来る時間を一緒にしたくない桜子が時間をずらしてくると考えるのは当然だろう。
 そして正樹は自分から良く遊びに誘うくせに、ほとんどの場合待ち合わせした時間ギリギリに顔を出す。ともなれば、桜子の取れる行動は「早くに家を出る」という選択しかなかったわけだ。
「それで、高崎君はあたしに何か話があるわけ?」
 どこか諦めたように桜子は言う。
「聞いたんでしょ、この前の話」
「うん……まぁね」
 確かに総一が来たのはその事について話があったからだ。しかし、総一はそれを言い出すのをためらってしまった。正直な話、それはとてつもなく言い辛いことだったからだ。
 考えてみれば、弥生の提案した今日の集まりは正樹と桜子の仲を取り持とうとするためのものだろう。
 二人の問題がこういう形になってしまった以上、ただの友達として仲を戻すことは当人たちも難しいと考えているだろうし、今思えばテンションの高かった弥生は確実にそのつもりだと伺える。
「実際その通りだからね、否定するつもりも無いんだけど……。でも、あたしが気まずいのもなんとなく分かるでしょ? だからできれば、今はそっとしといて欲しいな」
「それは分かるけどさ……緑川だって今日こうして来たわけだし、丸一日正樹を無視するわけにもいかないだろ?」
「今日一日くらいなら、なんとかなるよ」
 しかしそれは、総一としては少しマズい。
 つい先日、弥生から今日の集まりの話を聞いた段階では正樹の気持ちを具体的に知っていなかった。なにせ、それを裏付ける理由が社会化見学中の態度ぐらいしかなかったのだから。
 だから総一も弥生の提案を安易に了解してしまった。
 だが、正樹に今日の話をした時に、会話の流れで総一は聞いてしまったのだ。

『――って、内容は一応伝えたけどさ。本当にお前日曜来る気か?』
『そりゃー行くだろ当然。珍しく君塚が企画してくれたんだし、テスト勉強なんてしてる場合じゃないっつーの』
『お前が今気にするべきは、君塚じゃなくて緑川じゃないかと思うんだが……』
『あー。それは、まぁ分かってるけど』
『っていうか、今のお前の立場で緑川と顔を合わせる気によくなれるよな。俺だったらとても耐えられないと思うよ』
『……じゃあさ、お前ならどうするよ?』
『え?』
『好きな子が遊びに誘ってくれてんだぜ? そりゃあ、アイツには別でちゃんと返事しなきゃとは思ってるさ。でもな、こんな機会めったに無いんだよ』
『……』
『いや、分かってんだ。結局それは俺と桜子の仲をどうにかしようとしてんだろーなーってのはさ。悪く言えば、俺のことなんて全然気にしてない証拠なのかもしれない』
『正樹……』
『でもさ、もう一度言うけどめったに無いことなんだよ、これは。そこで行かないなんて言える訳ねーんだ』

 そこまで言われた総一は、何も言い返すことができなかった。
 総一としては二人が他の誰かに仲介に入られることもなく、自分たちだけで仲直りしてくれるのが一番理想の形だと思っていたのだが、それが無理だと分かった瞬間でもあった。
 決意のある人間に自分は何も言う権利は無いのだと、身をもって感じてしまったから。
 結局のところ、覚悟の決まった人間にさらに突っ込んだことを言えるほど、総一は無神経でもなければ馬鹿でもなかったのだ。
 だから、このままこの集まりが成立して正樹と桜子をくっつけようとする流れに自分が入るわけには行かない。それがマズいと思っていた。
 しかし、それも違ったのだ。
「それで、一日先に延ばして解決するのか?」
「うん、大丈夫だから」
 キッパリと返されるともう何も言えない。きっと桜子も、色々と考えた上で決意を抱えてここに来たはずだから。だから総一には何も言えない。
 それでいいと思えた。誰かが介入しようが二人には何も関係が無いのだ。それぞれの中で、すでに結論は出ているのだろうから。
「そっか、じゃあ頑張れよ」
 偉そうなセリフだと自分でも思いながら、総一は背中を離す。
「どこ行くの?」
「まだ結構時間あるから飲み物買ってくるよ。ミルクティーでいいか?」
「いいけど」
 そこで桜子は、ククッと含み笑いをもらした。
「意外だな、高崎君に恋愛関係で励まされるなんて思わなかった」
「……なんで?」
「だって、そういうこととからかーなーり遠そうだから」
 悪びれも無く言い放った桜子に総一が言い返せなかったのは、決意だとかとは関係無しに、それが図星だったからに他ならないのだった。


「で、今日はどこに行くんだ?」
 案の定、時間ギリギリに登場した正樹は、ウキウキした様子を隠そうともせずに開口一番そう言った。
「それがねー……えーっと、ハイこれ。一枚ずつ取ってね」
 弥生がバッグから取り出したのは、何の変哲も無い四枚のチケット。
 全員で配ったそれには、サイバネティックな模様とともに『電脳と電子の世界・ジオグランシティ』と書かれていた。正樹が首を傾げながら、
「なんだこれ、テーマパークか? 聞かない名前だけど」と聞く。
 総一はそれ以上に、その名前から漂ってくる微妙なB級臭が気になったのだが、それは口に出さないでおいた。
「そうなんだよ! 実はここ、まだオープンしてない室内テーマパークなんだけど、今日は関係者の家族とかだけのお披露目日なんだって。たまたまお父さんの仕事の関係でチケットもらえたんだ」
「君塚のお父さんって、これのスポンサーか何かなのか?」
 総一がプラプラとチケットを振りながら問うと、弥生は首を横に振る。
「うちのお父さんの仕事はね、私立探偵なんだ」
「探偵!?」
 大げさに驚いた正樹が叫ぶ。総一にとってもそれは意外な事実だった。世に様々な職業はあるが、探偵ほどフィクションとリアルで見かける機会に差があるものも珍しい。
 桜子を横目で見ると、彼女だけは特に動じた様子も見えなかった。同性ということで総一たちより弥生と距離の近かった彼女は、その事を知っていたのかもしれない。
「探偵ってさ、具体的にはどういう仕事してるんだ? 漫画みたいに警察が事件が捜査してるのに混ざって、『犯人はお前だ!』とかやったりするわけ?」
 いつもなら、ここで桜子が『そんなことあるわけないでしょ!』と正樹の頭の一つでも引っ叩くところなのだが、今日の彼女にそんな様子は微塵も見られない。
 桜子は本当に正樹が来てからピタっと口を開かなくなっていた。
 弥生から話を振られたときに無難に受け答えするくらいで、自分から話題を振ることも、話しに割ってくることも無い。普段では考えられないことだ。
「んー、私もそこまで仕事について色々聞いてるわけじゃないけど、夫婦の素行調査とか企業の内部調査とかが多いって言ってたかな。凄い地味な仕事だってたまにボヤいてるよ」
「探偵が企業の内部調査やるってのは初耳だな」
 興味本位から、総一も口を挟む。
「ハハハ! 企業スパイとかって言い換えると、なんかヤバそうな響きだよね」
 冗談のように笑い混じりでそう言う弥生は、言葉とは裏腹にその事に対して少しも危機感を感じていないようだ。
「おいおい、ホントにそんな笑ってたりしてて大丈夫なのか? 探偵って仕事は良く分からないけど、自分の父親が危険なことしてるかもしれないってのに……」
 多少大げさに総一が脅かすが、弥生は気に留めた様子も無いようだった。
「お父さんのこと、凄い信用してんだ?」
「え、うーん……どうだろう?」
 正樹のセリフに首を傾げる。しばらく唸るように考えた後に、顔を上げた弥生は「信用ってのと違うと思うけど」と前置きをして、
「うちのお父さんって、性格的に誰かに心配をされるような人じゃないんだよね。それに、私が小さい頃からお父さんがたまに言ってることがあって、悪いことしてるなんて思ったこと無いよ」
「へー、それってどんなこと?」
 正樹が聞くと、弥生は――父親の真似をしているのだろうか――腕を組んで顔を俯ける。それはまさにハードボイルドでクールという表現の似合う、フィクションの中の古い探偵のようだった。
「『俺の仕事はセイギのミカタだからな』って」


 総一たちは代々木から山手線に乗り込み、15分ほどかけて品川までやってきた。
「品川って、そんなテーマパークが入りそうな建物あったか?」
 正樹が駅から出るなりそんな言葉を漏らす。
 しかし、その疑問も当然のものだ。
 屋内型のテーマパークと言えば、東京ジョイポリスやサンリオピューロランドなどがあるが、それらはみな大きな専用の建物の中に作られたものだ。
 近々オープンするそんなものが作られていたならば、さすがにどこかで耳にするだろう。
 そうなると、池袋のナンジャタウンのようにどこぞの大きな建物の中に納まっていることになるのだろうが、品川にはそこまで大きな娯楽用の施設は無いのだ。
 映画館や水族館など、品川の大きな娯楽施設はほとんどがプリンスホテルの中にあると言っても過言では無く、他にそんなキャパシティを持つ建物など総一たちには見当が付かなかった。
「まぁまぁ、黙って付いて来なさいって」
 自信満々に先導する弥生の後に付いて歩くこと五分。
 駅のすぐ近くに小さな建物があった。
 工事中のシートに覆われたそこは、交番や狭小住宅といった小ぶりな一軒家ほどの大きさで、中はロビーのような空間がその大きさを余すところ無く使われて広がっている。
「そうか、地下!」
 中に入った瞬間声を上げたのは、久しぶりに口を開いた桜子だ。
「そ。実はここって、地下に広大なスペースを取って建設されたテーマパークなんだよ」
 縦長の楕円の形をしたドームの天井には、機械の中にある基盤のような模様が張り巡らされ発光し、未来的かつ幻想的な空間を作り出している。
 同じ模様の入った服を着た係員の女性が横に立っているゲートを挟んで、出入り口側には待合室のように長椅子の並べられ、ゲートの奥には地下に降りるエレベーターに繋がる通路が伸びていた。
「でも、この辺の地下にそんなデカいスペース取って大丈夫なのか? このぐらい海に近いと、地盤の関係か何かでマズいんじゃなかったか?」
「うん。だから、ここは最新の設備で作られてたんだって」
 待合室を見回すと家族連れが何組か見られる。弥生と同じようにチケットを手に入れた、関係者とその家族だろう。
「作られてたって……過去形なの?」
 桜子は弥生に対しては口を開く気になったのか、疑問を口にした。
「ここって本当だったら何年か前にオープンしてるはずだったんだって。なんだけど、『太平洋隕石』の津波のせいで地盤が緩くなって、その最新の技術でも工事が進められなくなっちゃったらしいんだ。だから、この出入り口用のエレベーターなんかもほとんど完成してたんだけど、テーマパーク自体がいつオープンできるか分からないから、ああやって建物全体工事中ってことにしてるみたい」
 出入り口の方を指差しながら説明する。
「じゃあ、そろそろチケット出しといてねー」
 エレベーター側へ繋がるゲートはどこか駅の改札に似ていた。ところどころ未来的な意匠を施されているが、改札と同じようにsuicaのようなICを扉の横の指定箇所に触れさせることで通れるようになる仕組みらしい。
 弥生はチケットを係員に渡し、代わりにブレスレット型のパスを受け取る。それを付けてゲートの横に触れると、軽い電子音と共にゲートが開いた。
 総一たちもそれに続く。と、弥生のすぐ後にゲートを抜けた総一に、弥生がそそくさと近付いてきた。
「ねぇ、分かってると思うけど、ちゃんと協力してね?」
 声を潜めてそんなことを言う。総一は、やはり来たかと小さく肩をすくめた。
「それって、正樹と緑川のこと?」
「そうに決まってるよ! こう、さりげなーく機会見つけて二人っきりにするの。桜ちゃんには私の方からそれとなく言っておくから、私たちは適当なところで抜け出してさ」
 首の後ろ辺りを撫でながら、総一はため息を一つ吐き出す。
「なあ、やっぱ止めないか、そういうの」
「ええー! 今さらなんで?」
「やっぱり、こういうのマズいだろ。本人たちの問題だし。こういう場だけでも用意したんだしさ、後は二人に任せた方がいいんじゃないのか?」
 仲直りする気が今ないのなら、それでもいい。そんな考えでの発言だった。
 互いに完全に避けるでもないのなら、きっと今はその時期ではないのだ。
 なるべく早く仲直りして欲しい気持ちには変わりはないが、正樹と桜子の両方と話して思ったのは二人には自分の考えがちゃんとあるのだということ。
「二人が気まずくて仲直りしたそうなのにできない、とかなら口出すのも分かるけど、今の状況見ててそんな必要があると俺には思えない」
 軽く後ろを振り向くと、正樹と桜子は総一たちに向かって急ぐでもなく黙って並んで歩いている。会話こそ無いが、その様子は弥生にも険悪というには程遠い光景に見えた。
「確かに……そうかもだけど……」
 何も出来ないのが歯がゆいのか、弥生は半ば納得している様子のまま「んー」と顔をしかめる。
「別に、何もしないでいるって訳でもないだろ? 今日の集まりがなければ仲直りは二人がこうして一緒に行動するのはもっと遅かったかもしれない。今日が楽しい雰囲気で終われば仲直りするのが早くなるかもしれない。全部が無駄って訳じゃないんだから、このまま見守ることだって友達として間違ってない行動だと思うぞ?」
 自分でもかなりクサいかなと思いつつ、総一は頬を掻く。
 弥生はキョトンとした表情で総一を見上げて、
「高崎君、いいこと言うね」呆けたようにそう呟いた。
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