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第二十三幕「紫黒の狂獣(2)」


 高崎総一は居心地の悪い違和感の中にいた。
 確かにこの三体の『マリオネット』は、棒立ちの的に近かった『クレイマン』に比べればとてつもなく強い。
 魚を捕るカワセミのように遥か上空から突き込んでくる一撃は、睦月の操縦でもかわしきれないほど鋭く速く、すでに《恐怖》は右肩と左ももの肉を少量啄ばまれてしまっていた。
 十発を一体へ向けて集中的に放ったり、攻撃のタイミングをカウンターのようにして狙った『黒瞳(こくとう)』は悉くかわされ、《恐怖》の攻撃は完全に見切られているようだ。
 圧倒的なスピードの差。《白騎士》との戦いでも感じた、基礎運動能力の差をここでも総一はひしひしと感じていた。
 しかし、そんなこととは別に総一の違和感は消えることがない。
 再び高みへと舞い上がり、狙いを定めている鳥型の『マリオネット』に、総一は右手に『黒』を溜めて待ち構える。甲高い音を立てて、少しずつその直径を増していく『力』の結晶。
 『黒瞳』では、真っ直ぐに突き込んでくる相手を回避させることによって進路を変えさせ、スビードを殺し、一撃の威力を弱めることしかできなかった。三次元的な鳥の動きに対し、『点』での攻撃では始めから勝ち目などないのだ。
 なら、『線』ならばどうか。いや、常に十分な距離をとっている敵には、それでも当てられはしないだろう。
 アレを仕留める方法はただ一つ。敵の攻撃に対するカウンター。『線』では『点』と同じく、とっさにかわされてしまうのがオチだ。
 『マリオネット』が動く。
 奴が三次元的な動きをするのなら、それを捕まえるのに必要な技も三次元だ。
 スピードなどなくていい。遠くまで届かなくたっていい。そんなのは敵の方のモノを使えばいいだけなんだから。
 柔らかく包み込むような、激しく捉えるような『力』をイメージする。
「――爆ぜ奪れ、『黒焔(こくえん)』」
 『マリオネット』の目の前で、一瞬で膨れ上がる『黒』の炎。そこへ高速で突っ込んだ『マリオネット』は、まさしく飛んで火に入る夏の虫がごとく、炎を抜けることさえ叶わない。
 総一は、自分の力の扱い方を段々と把握しつつあった。『黒焔』は、もちろん炎を出す技などではない。レーザーのようにして撃ち出した『黒瞳』と同じように、『黒』を炎に似せて撃ち広げただけの話だ。
 一撃貫通型の『黒瞳』とは違い、体の表面で小さく連続して爆ぜる『黒焔』に虫食いのように蝕まれ、『マリオネット』はじわじわとただの鉄塊と成り果てて海へと落下した。
 自分の手を見ながら、総一はその力を粘土のようだと感じた。
 自分の意思で大きくも小さくも、どんな形にも自由に変えられる。その使用法は多種多様すぎて限界が思いつかない。
 自分の奥底に眠る泥を掬いあげて、《恐怖》は再び『黒』を掌に集め始めた。
 二体目と三体目は、時間差攻撃をかける心積もりらしかった。分厚い炎の壁のように広がる『黒焔』も、『マリオネット』二体を丸々消し去る力はない。時間差、というよりは前衛を囮に使った特攻だ。
「浅はかな……」
 思わず声に出る不満。違和感は確信へ、そして苛立ちへと変わっていた。
「爆ぜ奪れ!」
 迫る『マリオネット』に右腕を振るう。勢いよく広がった『黒焔』に突っ込んだ二体目は、前身と同じようにボロボロになって海へと落ちて行った。
 その残骸が海面に触れるよりも早く、三体目が目にも止まらぬ速度で《恐怖》へと肉薄する。
 しかし、その嘴が急所へと吸い込まれる刹那、逆にそれを迎えるように受け止めたのは他でもない、何の仕掛けもない《恐怖》の左掌だった。
 鋭い嘴は易々と掌を貫通し、肘までを包む外骨格に無数の罅が走る。物凄い痛みが左腕に広がるが――ただ、それだけだった。
「なんだ、これは……」
 左手を握りこむ。刺さったままの嘴ごと頭部をわしづかんだ。さらに痛みが強くなる。でも、まだ足りない。
「こんなものなわけがないだろう……。アイツは、こんなもんじゃなかった」
 心に溜まった苛立ちを掬い取る。今までで一番の速度で、右手に集まる『黒』はその大きさを増していく。
 それを思い切り、手の中の銀色の頭部に叩きつけた。
「抉れろッ!」
 バンッという音と共に弾ける『黒』。掌に刺さったままの嘴だけを残して、『マリオネット』は跡形もなく消失した。
 簡単なことだった。先ほどまで脅威だったのは、『黒瞳』をすんでのところでも避けてしまうほどの機動性だ。だというのに、前衛が明けた活路を後衛が突き抜けるという方法は、その逃げ道を自ら塞いでしまうことに他ならない。
 攻撃が来る方向さえ分かっていれば、受けるのも容易いというわけだ。
(かと言って、楽な勝ちってわけでもなかったか……)
 左腕に目を落とすと、白い骨のような外骨格は見るからにボロボロで、すぐにでも崩れ落ちてしまいそうだ。
 掌には向こう側が見通せそうな孔が空き、断続的に響いてくる痛みで腕は肩より上に上げることさえ難しい。
(これはもう、使い物にならないな)
 そう思い、振り返った瞬間だった。
「やぁ、見事なもんだね」
 その声が聞こえた途端、総一は自分の身が指一本動かせなくなっていることを自覚した。
「ちょっと動きを止めさせてもらったよ。あと、この下にいた人も。殺してはないけどね、うるさくされると困るから」
 目の前で甲板より一段高くなっている、モーターボートの操縦席の天井に当たる部分。そこに、どこからともなく現れた青年が優美に腰掛けている。その言葉が示すとおり、彼がこの異常の原因に間違いないだろう。
 しかし、『ビスク』を初めて目にする総一は、当然ながらその外見に眉をひそめた。
(人間……だと?)
 できすぎなまでに整った顔立ち、異常に長い銀髪など目に付くところは数あれ、姿形はどう見ても人間のそれだ。今までただの一言も発することもなかった『クレイマン』や『マリオネット』と、今流暢な日本語で挨拶を投げかけてきた青年を、どうして同じモノだと理解することができるだろう。
(いや……)
 しかし、すぐに総一は自分の先入観を改めた。
 そもそも、《キャスト》であるこんな格好の自分に挨拶してきたこと、そしてこのボートの上に存在していることからして異常なのだ。
 なら、それに該当するものは何か。決まっている。
 雪野透花が、あの《白騎士》をして勝率三割と言わしめた規格外。『マリオネット』などとは比べ物にならない強敵。
 はっきりと感じた。この青年が今回の非日常のメインゲスト――『ビスク』に間違いないと。
 だから、総一の第一声は苛立ちにまみれた言葉だった。
「何のつもりだ?」
 いきなりと言えばいきなりな言葉に、『ビスク』は軽く眉を上げる。
「何の話かな?」
「とぼけるな。お前が指示していたはずだ。あの今来た三体に、『手を抜け』ってな」
 それを聞くと、『ビスク』はさも面白いものを見たかのように含み笑いを漏らした。
「へぇ、気付いたんだ?」
「そりゃあ気付くだろう。白城との戦いで使っていた飛び道具。さっきの戦いでアレがあったなら、俺はもっと苦戦していたはずだ。なにより、このボートが壊されでもしたら一巻の終わりだった。白城みたいに足場を簡単に移動できたならともかく、この状況で足場を狙わないなんて、よっぽどのバカかわざとに決まってる」
「なるほどね」
 『ビスク』は軽く肩をすくめた。総一の言葉を聞いてはいるようだったが、その内容は聞き流しているのか興味がないのか、貼り付けた微笑を全く崩さない。
「で……そのことが不満?」
「当たり前だろ」
 身体が全く動かず、目の前にいる青年の気分次第でどうなるとも知れない立場でありながら、総一は堂々と即答する。
「もしあの三体が全力だったなら、キミは死んでたんだよ? それでも気に食わないかい?」
「だから、さ。白城は、それでも余裕で勝ってみせた。俺にそれができないのは――あんな相手にしか、それも手傷まで負わなければ勝てないのは、俺が弱いからだ」
「弱い自分が許せない?」
 一瞬、『ビスク』の目が細められる。値踏みするような視線は《恐怖》を貫き、銀色の瞳が冷たい輝きを放った。
 それはちょっとありきたりかな、と『ビスク』は思う。今までに戦ったことのある《アクター》たちの中には、最期まで自分の非力を悔み、そして死んでいったものが何人もいたからだ。そんな理由は、正直見飽きている。
 この、どこか他の人間とは雰囲気が違うと感じていた相手も、そんな凡庸なことを言うならば、それは『彼ら』が求めていたものとはあまりにも遠い。
(もし、そんなものなら……その程度のものなら、確認するまでもない。ボクはここで、ソウイチを『不要』だと断定する)
 しかし、そんな敵の思惑を知りもしない総一は、強く相手を見据えて、答えた。
「いいや」
「え?」
「俺は、お前が許せない。そんな非力を自覚させたお前が許せない。もし全力でやったとして、もしかしたら俺は勝てていたかもしれない。ボートもボロボロになって、俺は片腕だけじゃなく全身傷だらけになったかもしれない。けれど、それでも勝てたかもしれなかったんだ」
 ギシリ、と拘束された腕が軋みを上げる。
「その可能性を潰した、お前が許せない」
 端正な青年の顔から、一瞬だけ微笑が消えた。思わず面喰ったように固まる顔。口から漏れ出た問いは確認に近かった。
「それで、自分が死ぬ可能性がどんなに高かったとしても?」
「俺が望んだのは、そういう非日常さ」
 もし身体が自由に動いたなら、肩でもすくめそうな表情で総一は言った。
 自分の命より、それを賭した戦いが望みだったと。それが当然で、それが認められる世界を望んだのだと。
「くっ……あっははははははははははは!」
 込み上げてきたのは、可笑しさと嬉しさ。
「やっぱりキミは、ボクが思った通りの存在だった!」
 両腕を大きく広げ、感極まったように立ち上がり『ビスク』は叫んだ。
「キミはおもしろい! 身体の動きを止めても全く動じないし、自分の現状よりも敵の手抜きに怒ったり、なにより自分の命の価値を色々な物の下に置いているのがおもしろい。キミみたいに『変わる』人間には色んなのがいたけど、キミほどおもしろいのは初めてだよ!」
 哄笑を響かせながら、『ビスク』は一歩一歩《恐怖》に向かって歩み寄ってくる。
 動けない《恐怖》の身体が、緊張で強張った。口ではあれだけのことを言ってのけた総一だったが、さすがにこの状況で自分に勝ち目がないことくらいは分かる。
 だが、次に『ビスク』の口から出た言葉は、総一にとって思いもよらぬものだった。
「そうそう、質問の答えがまだだったね。どうして手を抜かせたか。簡単だよ、大切な『お客様』を殺しちゃったらマズいからね」
「客……?」
「そうさ」
 瞬間、ふっと今まで全身を捉えていた拘束が消えた。体長三メートルの身体から見下ろすとあまりにも小さい青年は、《恐怖》から一メートルも離れずに立っている。その姿は、あまりに無防備に見えた。
 ゆっくりと右手を差し出し、そして彼はこう言ったのだ。

「タカサキソウイチ。『人間』を捨てて、ボクたちのところに来ないか? ボクは君が好きだ。キミが『当たり』じゃなかったとしても、『ボクたち』はキミを歓迎する」
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